Plumage Legend 〜二重の神話〜 第三章・胎動
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 「はじめまして。ラーダ=イーブルバイスです。昨日この街に着いたばかりで、まだ分からないことだらけです。迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
 艶々とした黒髪、瞳。背も高く整った造作をしてはいるが、青白い肌が目立つ。教師に連れられて教室の前方に立っているのは、まだ柔らかい線の残った少年だ。
にこりと微笑んで顔を上げた転校生、ラーダに、近くの少女たちが小さく喜びの悲鳴を上げるのを聞きながら、あるいは少年たちの忌々しそうな舌打ちを聞きながら、ケレスはそっと溜め息をついた。
じき、卒業というのに……わざわざこんな辺鄙な土地へ転校して来なければならないなんて、なかなかに可哀相ではないか。そう思いながらも、心の一方ではケレスはその転校生を無視することに決めていた。理由は簡潔に一つ、何となく気に入らないからだ。
周囲は転校生の容姿にとらわれているようだが、ケレスには転校生の性格が大体予想できていた。衣服や立ち居振る舞いから見ても、ある程度の財産を持っているのだろう。逆に言えばそれだけしか取り柄がなく、容姿ですべてを誤魔化すことを知っているタイプだ。何にせよ、相手の見目がどれだけ標準より上だろうと、ケレスのすぐ傍にいる『特上免疫』の存在は、覆りそうもない。
「中の上」
きっぱりと判定を下したケレスは、そのまま夕食の献立に思考を切り替えた。外部を一切遮断する。
だが、その静けさは……隣にいる親友のアークに、破られた。
「ケレスっ!」
「え?」
前に立っている教師と転校生が、不思議そうにこちらを見つめている。クラスメートが平気な顔で転校生を見つめたり、窓の外に気をとられたりしているのはきっと、いつものケレスの様子をよく知っているからだろう。ケレスはときどき、こんな風に他者の声を切り捨てて、自分の内側に閉じこもる。呼ばれたことに気づけば、もちろん反応はするが、それに気づくまでが長いのだ。
「ケレス=エフロート。何度呼べば答えるのですか?」
「す……、すみません!! 何の御用ですか?」
慌てて席を立ったケレスに、教師は溜め息を返す。
「……何も、聞いていなかったのですね貴女は。ではもう一度言いましょう。転校生の世話、お願いします」
教師の言葉に、ケレスは頭から血が引いていく音を聞いた。必死で拒む。
「困りますそれは!!」
「頼みましたよ」
頼まれても、好きになれそうもない相手に、一体どう接しろと言うのだ。小さな望みをかけて、もう一度拒んでみる。
「…………でも」
「頼みましたよ?」
「……………………はい」
抵抗も空しく打ち破られ、顔を引きつらせたケレスは、渋々といった具合で返事をするしかなかった。
……三十代半ば、独身男の数学教師。被害に遭ったことのないケレスでも知っているほど生徒に嫌われている。嫌われ者で、怖い。高圧的だが、反抗するとろくな事がない……らしい。あくまで噂だから、よく分からないのだが。
仕方なく素直な返事をしたケレスに、教師は実に満足そうな笑顔を浮かべた。
そこへ、授業終了の鐘が鳴る。今日はこれで学校は放課だ。教壇から降りた教師が出ていくのを待って、ケレスの元へ嬉しそうなクラスメートが集まってくる。
「ケレス、いーなぁ! 私も、友達になりたーい!」
「綺麗だし、すっごく優しそうだよねー! 上品だし!」
「そーそー。なんてったって顔がいいもの! かっこいい男の子が同じクラスにいる、それだけでうれしいものよー」
目を輝かせるクラスメートの女の子たちに、ケレスは吐息をもらした。そうだろうか。
確かに顔はいいかもしれないが……何とは言えない、それでも確かに受ける違和感。
「……私、あの人みたいなの、何か……生理的に受けつけないって言うか。虫唾が走るほど嫌いって言うか……。あの教師め、一生怨んでやる……」
どうも今日は、朝からずっと運が悪い。あの夢に始まり、トルクとソウルは……。
朝から自分に降りかかった出来事を順序立てて回想して、ふと意識に引っかかったそれは。
「……あ」
「…………ケ、ケレス? 大丈夫? 顔、赤いけど」
アークの気遣うような声に、ケレスは答えられなかった。
トルクを追いかけて突入したソウルの部屋で、彼の半裸を見た、その身体の線が妙に記憶に残って、頭から離れない。
……どうしてだろう、あの身体を、背中を、知っている気がする。
一度も触れたことがないのだから……知っているはずもないのだが。
「えーっ! なんでぇ?! すっごいかっこいい子だよ?!」
「そうだよー! ケレス、どういうセンスしてるの?」
口々に言われて、ケレスはどう答えていいのか分からない。ただでさえ、こびりつくように残ったあの記憶が思考の邪魔をするのに。熱くなっている頬に、指を這わせた。
「えぇと、その……でも、やっぱり、ソウルの方がずっとかっこいいし、綺麗だし……」
「あー……なるほど」
「ソウルさんかぁ……納得」
 ケレスは、毎日ソウルと顔を突き合わせて生活している。あれが普通、だとは決して言わないが、だが、世の中ではソウルを『上の上』と見ても、たっぷりおつりが来ることだろう。
そんなケレスに、普通の感覚など存在しないのだ。自覚しているが、どうしようもない。あのソウルを見慣れてしまっては、きっと『普通』なんて言葉は消えてなくなる。
「あーぁ、誰か変わってくんないかなぁ?」
ケレスの溜め息に、クラスの誰もが、仕方ないわね、と呟きながら笑ってくれた。
「どっちにしろ、ご指名受けたのはケレスなんだから、諦めて従っときなよ? あの先生に好き好んで喧嘩売る人なんて、どこにもいないんだから。いくらケレスがソウルさん一筋でも、ね」
「なっ……や、そ、そんなんじゃないってば!」
思わず、首を振って否定した。だが、彼女たちはそれを照れ隠しととったか、途端に色めき立つ。
「そうよねー、綺麗よねーソウルさんってば!」
「ソウルさんって、こんな田舎にいていいような美青年じゃないもんねー! どこかの貴族様みたいじゃない? あの堂々とした貫禄といい、全てを卓越した美貌といい……!」
うっとりと表情を緩ませる友人たちに、ケレスは淡く微笑んだ。
ソウルがこの街で有名で、誰からも綺麗だと言われるのは、何だか自分のことのようで気恥ずかしい。……だが、同時に寂しくもある。ソウルは、決して自分だけのものではないということを思い知らされて。
「…………あら? きゃあっ、ソウルさんよ!」
「え?! ど、どこどこ?! ……きゃ――! ホントだ――!」
一人の女の子の上げた嬌声は、波紋のように広がって教室中を包む。
ケレスも、窓に近づいて外を窺った。
「ホントだ……あぁ、そっか。迎えに来るからって、言ってた」
窓から少女達の指差す方をガラス越しに確認したケレスは、納得したように頷く。ソウルが、校門のちょうど五十メートル先のガス灯に凭れて立っていた。今朝転びかけたところを掬い上げてもらったあたりだ。
「ケレスはいいなぁ! ソウルさんと一緒に歩けるのって、ケレスくらいじゃない!」
羨ましそうに呟かれて、ケレスは何だか居心地悪く、言い訳めいた言葉を口にする。
「……で、でもッ。この間噂流れたじゃない、隣りのクラスのラザエルさんと……!」
「だって、あれ噂でしょ? 今朝だってケレス、ソウルさんにあんなこと言って……」
「あんなこと?」
いまいちピンと来ない言葉に、ケレスはまた首を傾げる。
「言ってたじゃない、朝……『ソウルの馬鹿』って。痴話喧嘩かと思って野次馬掻き分けてみたら、ケレスとソウルさんなんだもん。びっくりしたわよー」
そういえばそんなことも言ったなぁ、とケレスは言葉の意味と状況を思い出す。
……もしかするとあれは、とてつもない誤解を生みそうな台詞だったかもしれない。
「ケレスが転びそうになったところをソウルさんが……」
「すっ……て手を差し出して、羽根持ち上げるみたいにケレスを支えて……」
ほぅ、とため息をついた少女達は目を細め、遠くに向かって微笑んだ。が、ケレスにしてみれば恥ずかしいことこの上ない。顔が赤くなっていくのを意識する。
「でもー……ケレスだったから嫉妬しなかったんじゃないかな? そうじゃなきゃ綺麗じゃないよ。ケレス以外の女の子特別扱いするソウルさんは、あんまり見たくないしー……」
「分かるー! 私は別に、ソウルさんに大事にして欲しいんじゃなくって、ただ、ソウルさんってホント、綺麗だし……見てて飽きないじゃない? だから、遠くから眺めてるだけ、観賞用ってやつかしら……でも、私が鑑賞してるとき、もしソウルさんの隣に誰かがいるとしたらそれは、いつもケレスがいいのよね」
同意を求める彼女の言葉に、その教室にいたほとんどの少女が同時に頷いた。
「何て言うか……特別なの、ソウルさんとケレスのカップリングって……」
そんなこと、言われても。小さく呟いて、ケレスは溜め息をつく。
ソウルは、皆の目の保養で……自分が独占していた、あの頃とは違う。
そう思うと、どこかで素直に喜べない。
「……なに、それ……」
ケレスが、戸惑って呟いた時だった。一人の少女が窓の外を指差す。
「あ!! ラーダ君がソウルさんに話しかけてる!」
どういう事か、ケレスの頭は理解できなかった。急に言われたその状況が理解できない。ソウルが、転校生と会話? それが信じられなかった。
「……嘘」
「ほらほら、ソウルさん待たせてないで、ケレスは早く行きな……さいっ!」
「えっ、ちょッ、きゃっ!!」
混乱している間に、ケレスはクラスメートに押し出されて、教室から閉め出されてしまった。荷物はすでにまとめていたので問題ないのだが……ケレスは仕方なく、校舎から出るために玄関へ向かった。
 それにしても、一体どういうことなのだろう。ソウルは初対面の人間に自分から話し掛けるようなタイプではない。何より、窓から覗いただけでも何となく感じられた二人の間の空気は、酷く険悪だったような……そんな気がしてならない。走ろう、と意識する前に足は転がるように動き出す。小走りに校舎から出て、ソウルの元へ急いだ。
「ソウル?」
硬い表情が二人分。
酷く緊迫した空気の色に首を傾げたケレスに、転校生……ラーダは、告げた。
「…………これが、お前しか持っていないものか。これだけ美しければ奪い甲斐もある。お前には幸せはやらない。お前を幸せにする要素は、僕が全部奪ってやる。昔、お前が僕にしたように……!」




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