Plumage Legend 〜二重の神話〜 第二章・鼓動
<< text index story top >>





 スマル氏に呼び出されることなど、今となっては日常茶飯事だ。入浴前に呼びとめられて、後で来てくれと言われていたソウルは、ケレスと別れてスマル氏の書斎に向かう。
慣れた足取りでスマル氏の書斎の前に立ち、扉を三度叩く。
あの人は、いつも返事などしない。だからソウルも、返事を待たずに扉を開いた。
軽い身のこなしで入り口に一歩踏み込み、それと同時に床を蹴って、書斎机から少し距離を置いた位置に降りる。足の踏み場もないほどの本の数々。それら全てが、彼のデザイン帳であり、細工関連の技術書であると知ったのは、ようやく一通りの技術を身につけた頃だった。
「小父さん……仕掛けが、心なしか増えているように思うのですが。気のせいですか?」
呟いて本棚に立て掛けられた梯を見上げたソウルの視線の先に、スマル氏はいた。
「あぁ、来てくれたんだね。いや、この間も壁にある罠に一人、引っ掛かった同業者がいて。用心するに越したことないかなーと。ちょっと増やしてみたんだ」
「……その通りでしょうが。できれば先に教えて貰えませんか? この部屋に入るたび、周囲を窺うのは嫌です」
そうなのか……と新しい発見をしたかのように声を上げて梯子を降り、いつも通りの笑顔を浮かべているスマル氏に、ソウルは思わず泣きたくなった。涙を流すことができるなら、彼の言動にはいつも泣かされることだろう。
ソウルの胸の内などいざ知らず、やはりのん気なこの人は、ソウルにとってライト同様鬼門だ。
「…………何の御用ですか?」
「いやー。ちょーっとね。うん。あはははは」
なんでもないような態度だが、ソウルには分かる。どこか言い辛そうな彼の言葉。
これは、ケレスだけでなく自分にも何か関わりのあることなのだろう。
いつもこんな風に彼の頼みは始まるのだが、今回はやけに、事態が深刻そうだ。
「あの、どんなことでも構いませんから。嫌だなんて駄々こねるほど幼稚でもないですし」
「……そうかい? それじゃあ言わせてもらうよ。……えぇと、明日、転校生が来るんだ。よりによって、ケレスのクラスにね。その転校生が問題なんだ」
どういうことだろう。
転校など、大金を使わない限りは自ら望んで出来るものではない。とすると、偶然まずい相手が来ると言うことだろうか。一体、何が問題なのか。
「問題? 何故ですか?」
「うーん……君は聞きたくないだろうけど、その転校生の名前がね」
あまりに遠まわし過ぎて、想像もつかない。ソウルは、ぼんやりとその誰かを思い描きながら呟く。
「だから、はっきりしてください」
「イーブルバイス家のラーダなんだよ。実は」
 ラーダ=イーブルバイス。名を聞いて、ようやく思い出した。
メルト=シティにいた頃、ふたつ年下の学年にいた。
もう3年も会っていないが、きっとあの陰険さは変わっていないだろう。
付き纏われた悪夢は、まだぼんやりと覚えている。
「どうしてほしいですか? 追い返す程度でいいんでしょうか。もっと派手に……」
「い、いやいやいや。そこまでしなくても」
焦ったスマル氏の制止も無視して、ソウルは言葉を続ける。
「いいえ、奴からケレスを護るためには、二度と俺たちの前に現れるのが嫌になるほどの精神的苦痛を与えて」
「ソウル君!」
 思い出しただけで、虫唾が走る。
イーブルバイスとリファインドは、輸入商という同じ職種についていた。
だからなのだろうか、家の敵対を引き継いだように、初めて会った時にはすでにお互い敵対していた。
陰険卑劣な年下の、家の商売敵。負けず嫌いの、向こう見ず。
……それでも、すべてにおいて勝っていたのは、ソウルだったのだが。
 アルツローネへ旅立つと決めた時、別れ際に、彼は何と言っていただろうか。
『お前に幸福の独り占めはさせない……! お前しか持ってないものを見つけたら、絶対にこの僕が、お前から奪い取ってやるからな……!』
おそらく、それは彼なりの呪いの言葉だっただろう。だが、ソウルにとっては、曖昧になるほどくだらない科白だった。
幸せなど……この屋敷に来るまで、忘れていた言葉だったから。
 連なる記憶を掘り出すまでは、すっかり忘れ去っていたのだが、もし今自分しか持ってないものはと訊かれれば、自分は真っ先にケレスだと答えるだろう。
……それが事実か否かは別にして。
「それで……奴が諸悪の根源であることは分かっているんですが、一体何がそんなにまずいんですか?」
理由次第で、殺されるよりも嫌な目にあわせてやりますが、とスマルに向かって呟くと、彼は尚更言い難そうに目を伏せた。だが、数瞬後には顔を上げ、きっぱりと言い放つ。
「……見合いの話が、出たのだよ」
 その一言に、ソウルは静かに静かに息を呑む。
「見合い……?」
声は思いがけず、かすれて響いた。自分も驚いたが、こちらを見つめてくるスマル氏も酷く驚いたようだ。わずかに目を見張って、しかしはっきりとした調子で続ける。
「ケレスにはまだ黙っているんだ。言ったらこの屋敷ごと破壊しかねないから。こちらとしても、あまりいい話ではないし。出来たら、断りたいんだけどねぇ……」
「そうしてください。あんな奴、ケレスには釣り合わない。身分違いもいいところだ。三流輸入商の息子が、一流細工師の御令嬢に求婚なぞ……」
内心の苛立ちと戦いながら、ソウルは呟いた。
既に声の調子は元通りで、動揺は面に出ない。
それでも……あのラーダに譲るくらいなら、ケレスは自らが貰い受ける。
ラーダと共にあるよりは、絶対に幸せにできる。根拠のない確信があった。
ソウルは、心から……ケレスに関わる総てから、不安要素が取り除かれることを願っている。
「わたしも、どうせケレスをやるのならケレスを上手くあしらえる人にと思っているんだよ。ケレスはどうも根底に『頑固』が染み付いているような人種だからなぁ……」
「…………ケレスを上手くあしらえるような人間、いるんですか」
あの、小憎らしいくらいに可愛い少女を。
スマル氏への問いかけは、あまりにも……無茶な回答を伴って返って来た。
「いや、ソウル君が。君ならまだケレスを何とか落ち着かせることが出来るし。あぁ、いい考えだね。ソウル君。ケレスと婚約なさい」
「こ……」
あまりに飛躍し過ぎて、唐突過ぎて……思わず言葉が出なかった。
まさか、こんな状況下で、結婚などの嫁ぎ先の決定に最も権限を持つ彼女の父、スマルから直接そんなことを告げられるなど、思ってもいなかったのだ。
「勿論、ケレスがその決定に納得すれば、だけどね。わたしは、ケレスに嫌な結婚を押しつける気も、不幸を嘆かせる気も……更々ないのだから」
わずかに微笑む瞳の奥には、彼女がやがて誰かを選び、その男の下へ嫁いでしまう寂しさが見え隠れしている。だが、ソウルには……彼女を納得させる自信は、なかった。
「……ケレスが、頷くと思いますか?」
「ソウル君がいたんじゃ、頷く可能性は皆無だね。わたしと二人きりならどうか分からないが……さて、挑戦する勇気は?」
 挑むような瞳が、そういえばこの人は上手だった、とソウルは朧気に思い出した。
自分がリファインド家から出られるように仕向けただろう彼の言葉と瞳は、その頃の自分に、どうしても抜け出せなかった『永遠』から踏み出す、道標と勇気をくれたのだから。
「だからって……どうしてあそこで頷いたんだ、俺……」
スマル氏の恐ろしい申し出に、思わず『考えさせてください』と捨て台詞を吐いてソウルは部屋に逃げ帰った。
永遠に解けそうもない疑問を前に、ソウルは悩む。
普段の思考とは違う部分を使っているせいだろうか、妙に頭が痛い。
眠れば、また、あの不思議な夢を見るのだろうか。ケレスにそっくりの、彼女の夢を。
おそらく幸せな夢の中にいるだろう、ケレスに想いを馳せ、ソウルは眠りに落ちていった。

 綺麗な蒼い瞳が、自分一人を見つめている。
夢見る蒼というのは、こんな色なのだろう。群青色に輝く瑠璃か、透き通った綺麗な蒼水晶か。よく晴れた青空の蒼や、グラスに張った水に純粋な青い色水を落としたような、そんな普通な色も持っていて……。
 俺は、お前のためだけに今ここにいるからと、何度言ってもらっただろう?
いつも心配で心配で、彼の気紛れがいつ終わってしまうのかと怯えた時期もあった。
 目を覚ましたら、今までのは全部夢で……隣りには誰もいなくて。夢が覚めてしまうのが嫌で、なかなか眠りにつけなかった。やがて、彼が隣りにいることを、当たり前だと思えるようになった。
そんな生活をしばらく繰り返して、誰かから彼が自分の傍でしか熟睡しないということを聞いて、とても驚いたことも覚えている。
可愛いとか、綺麗だとか、そんなことをいつも囁いてくれて。
自惚れてしまいそうになる自分が大嫌いだった。
 彼は、自分の世界の中心だった。いつも、いつも彼がそばにいて、抱きしめてくれて。
そんな幸福に慣れてしまったせいだろうか。
夢から、叩き起こされた。
――彼が『公開処刑』という、最も嫌われる罰で地上に堕ちてしまった時に。
 彼はそれでも美しかった。
毅然とした、堂々とした足取りで処刑場に現れた彼の姿は、あまりに秀麗で……本当に彼が罪を犯したのかと、誰もが疑問に思ったほど。
簡素な服を纏っていても、蒼く澄んだ切れ長の瞳は凛とした輝きを失わず、肉体は見事な彫像を思い出させた。髪は細く輝く金の絹糸のようで……。
 そして、羽を落とされ、背は血塗られていても……彼の姿はどこまでも美しく気高かった。落とされた羽は、罪を示す黒い鴉の翼ではなく、何よりも白い、輝くような鳩の翼に変わった。祝福するかのように空へ舞い上がる白い鳩。数え切れないほどの無数の羽ばたき。世界に、彼の愛が舞い降りた。
 罪の証が現れず、皆騒然としていた中、自分は彼に愛されたことを、永遠に誇りに思おうと、神にも誓い、そして自分は……。
 「…………朝……? 寝覚め……悪」
死んだあの美しかった人の生暖かい血の感触、心配させまいと優しく頬を撫でてくれた血の気のない冷たい指先……。
綺麗な蒼い瞳。美しかったということは覚えているが、それ以上は思い出せない。
身体に染み込んだ生々しい感覚は、入浴でもしなければおちないだろうと、ケレスは諦め半分にため息をついた。



<< text index story top >>
Plumage Legend 〜二重の神話〜 第二章・鼓動