Plumage Legend 〜二重の神話〜 第一章・始動
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 夕刻。
空はもう紅く染まり始めている。涼しい風に頬を撫でられ、髪をふわりと揺らされて、ソウルはゆっくりと顔を上げ、目を瞬いた。
「……………………?」
鉱山口から見えるのは西だから、朝日ではない。しかも太陽は山の向こうに沈んでいくではないか。沈むということは、これは夕日だ。だが……。
そんなに寝ていた覚えはない。
気のせいだろう、と常備していた銀細工の懐中時計を開く。
「……………………」
 気のせい、などという台詞で済ませられる時間ではなかった。
「まずっ…………!!」
慌てて起き上がり、衣服を整え走り出す。
そろそろ夕食の時間だ。
きっとケレスは激怒しているのだろう。だが……食事抜きは、遠慮させて欲しい。
人気のない道をひた走りながら、ただ怖いのはケレスの食事抜き宣言。
あれを食らうと夜を越すのが辛い。
まだまだ成長期で、常人離れした燃費の悪さを自覚するソウルには、強烈に効く罰だ。
しかも今日は重労働の後。危機感が押し寄せてくる。
どうやって許してもらうかを必死で考えながら、ソウルは屋敷の敷地内に入った。広い庭を駆け抜けて、たどり着いた、大きな玄関。
目の前には、回せば開くドアノブが。しかし、この扉のすぐ向こうに、何やら凶悪な波動を発する存在がある。それを恐れるがために、ドアを開けるのが躊躇われた。
「……………………」
意を決して、扉を開く。
「…………ただいま」
「お帰りなさい。遅かったわね。一体今まで、何をしてたのかしら……?」
くすくすと可愛らしく微笑みながら、凄絶なまでの美貌を晒すケレスに、ソウルは一歩後退した。同時に、ケレスが一歩前進する。
「いや、その。それは……」
「おやぁ? ソウル君。遅いお帰りだね。夕食の席にはいなかったようだけど、何か大事な用でも? ケレス、あまりソウル君を責めちゃいけないよ」
 気配を感じさせずに突然現れて、前進したケレスの肩をくいっと引っ張ったのは、彼女の父、ソウルの尊敬するスマル=エフロート氏だ。
トルクの髪色によく似た濃い茶色と、ダークグリーンの瞳。温和そうな優しい響きの声をしたスマル氏は、テンポの掴みづらい、おっとりとした喋り方で、ケレスを丸め込むことが出来るという実に貴重な人物だ。ケレスだけではなく、ソウルもたびたび調子を狂わされる。
「だって! 御飯はきちんと、皆で食べたいんだもん! お昼御飯は、ちょっと無理だけど……でも、何にもない晩御飯まで顔合わせられないなんてヤじゃない!」
そうでしょ? と詰め寄るケレスの肩をぽん、と叩いて、スマル氏はやはりのんびりとした口調で、恐ろしい誤解発言をした。
「ソウル君も、もう年頃なんだし。逢い引きくらい許してあげなさい。ね?」
その台詞に、ソウルは思わず踵を返して鉱山口に引き返そうかと思った。
「…………そっか。そうだよね……うん。私も、好きな人と会ってたら、時間忘れちゃうだろうし。それじゃあ、しょうがないよね。……じゃあソウル、御飯温め直すから少し待ってて」
どこかとげとげとした雰囲気を言葉と共にソウルに容赦なく突き刺したケレスが、くるりと身を翻してキッチンへ入っていった。
もっと露骨に拒絶されるかと思っていたソウルにとって、ケレスの反応は意外だった。それをぼんやりと見届けて、ソウルはにこにこと微笑んでいるスマル氏に、ゆっくりと視線を向ける。
「どうして、あんなことを言うんですか。誤解されてしまうじゃないですか……」
「おや……? 違ったのかい? 最近よく君の噂を聞くんだよ。ほら、角のお宅のラザエル嬢と仲が良いと……だからケレスもやきもちを焼いているんだろうね」
そんな噂が立っていたとは、知らなかった。
確かに何度かその『ラザエル』とかいう少女を自宅に送り届けた気がする。だがそれは、その少女がじき夜更けになろうという時刻にこの屋敷の前を歩いていたからだ。いくらケレス以外の女性に興味がなくとも、見て見ぬ振りをするのは男としてどうかと思った。
それでも、仕方なしに送ったのだし、言葉も二、三言しか交わしていない。
目撃者でさえ、いるかどうか怪しいところだ。
なのに。
「…………そんなこと、ないのに……」
「じゃあ、一体何をしていたんだい? 夕食を忘れてしまうほど、夢中だったんだろう?」
首を傾げながら問われて、ソウルは言葉に詰まる。何と説明すればいいのだろうか……わずかに迷ったが、気がつくと、口はすでに問いに対する答えを紡いでいた。
「…………昔の、夢を。孤児院にいた頃から、義父に引き取られた頃、小父さんに……会うまで。それから、この家に厄介になって……今までを、ずっと」
いつもそうだ。彼を前にすると、言葉が滑り出してくる。まるで魔法のように、引き出される言葉。
「……そうか。それじゃあ、遅れても仕方ないね。さぞ寝覚めが悪かったろうな」
苦笑しながらスマル氏が呟いたが、ソウルはそれを否定して、頭を振る。
「……いいえ。結構、楽しかったです。ケレスとか、小さくて……可愛くて。少し、懐かしくて」
「嫌だなぁ、ケレスが可愛いのは、昔から、だろう?」
くすっと悪戯そうに微笑んだスマル氏に、ソウルは手を引かれて屋敷へ滑り込む。行き先は、おそらくケレスが待っている食堂。
だが、ケレスが怒っていることを知っているソウルは、気が進まない。
あぁは言っていたものの、本当に食事にありつけるかどうかは微妙なところだ。
足取りも軽やかなスマル氏のあとを渋々ついて行ってみて、驚く。
テーブルの上に広がる、いつも以上に豪勢な食事。今日は何かのお祝いだったろうか、と首を傾げた時、ケレスが顔を上げた。
「あ、ソウル……トルク、怒ってたわよ。私知らないんだからね、どんな酷い噂流されても。だから出来るだけ時間稼いで、待っててあげたのに……」
「え?」
「だから、トルクの首席お祝い。言ったでしょ?」
そう言えば、そんなことを聞いた気がする。トルクは、ケレスによく似た性格だ。
普段は大人しく優しい性分なのに、怒らせると手がつけられない。
「……あぁ、だから、さっきあんなに怒ってくれたのか。……優しいな、ケレスは」
ふわりと湯気を上らせるスープに、程よい焦げ目のついたソテー。温野菜のサラダに、きのこのキッシュ。
テーブルに並んだ料理の数々は、確かにトルクの好きなものばかりだ。
きっと、玄関でのやり取りは、トルクに聞こえているのだろう。
そうでなければ、彼女はあんな言い方をしないから。
「え? いや、そうじゃなくて……」
「…………どうしようか……やっぱり、何か細工したものをやったほうがいいか。……ケレスは、どう思う?」
問いかけられたことに驚いたのか、ケレスはほんの少し眉根を寄せ、考え込むように間を置いてから、ぽつりと呟く。
「え……っと、そう、ね、トルクは男の子だから、指輪なんかは欲しがらないと思うけど……クロスのペンダントとか、キーチェーンとか、かしら」
「そうか……」
それならば、いくつか試作品がある。
何とか、機嫌を損なわずに済みそうだ。
よし、とソウルは気持ちを入れ替える。椅子に腰掛け、フォークとナイフを手に取った。
「……戴きます」
「え? ちょっと?」
ケレスの問いかけに答える余裕は、ない。
空腹は、限界に近づいていた。
 義父に完璧さを求められた食事中の作法は、確かに役に立っている。
食事を共にするたび、ケレスは、感心したようにソウルの手元を見つめていた。指使いを観察されるのは居心地が悪かったが、相手はケレスだ、何も言えない。
「…………トルク、もう寝てるのか?」
黙々と食事を口に運んでいた指を一時停止して、ソウルは顔を上げ、ケレスに訊いた。ケレスは、首を傾げながら答える。
「うぅん? まだだと思うけど……どうかしら。拗ねてはいたわ」
その時のトルクの表情を思い出したのか、ケレスがくっと笑いを噛み殺した。
まだ七歳の弟だ、拗ねる表情も可愛らしいに違いない。女の子に見まごうばかりの可愛らしい顔立ちなのだから、事実可愛かったのだろう。
ケレスの食べる量の三倍をケレスの食べる時間と同じくらいで平らげて、ソウルはご馳走様でした、と席を立つ。
「一緒に風呂入るから、って呼んでくれないか? とりあえず、謝ってみる」
「いいわよ? まぁ、トルクのことだからいつまでも拗ねてはいられないでしょうけど」
ソウルは、トルクがとても懐いてくれていることを自覚している。
だから、ずるいとは思うが、謝ればトルクが許してくれるだろうことは、分かっているのだ。ケレスの言葉に頷いて、二階へ向かうために食堂から出ようと身を翻し、ふと、思い立ってケレスに視線をやった。
「もし、噂のこと気にしてるんだったら、あれは、嘘だから。偶然会っただけで、何もない」
「なっ……何よ? 私は別に、気になんかしてないわよ?」
取り繕うように、何でもないんだから、と呟いたケレスを横目に、ソウルの意識は階段の踊り場へ飛んだ。ゆっくりと廊下へ向かい、つい、とそちらへ手を差し出す。
「……トルク。出て来い」
呟きに、小さな物音がした。ソウルはそこにいる相手を確信する。
「遅れて、悪かった。本当は、一緒に祝ってやりたかったんだが……。今更、言い訳はしたくないから……だから、謝る。悪かった……」
「……………………ホントに、そう思ってる?」
手すりから身を乗り出して、トルクがこっそりと顔を出した。
「あぁ。悪かったのは、俺だ。……おめでとう……トルク」
どうにか、柔らかな空気を思い描く。ケレスの周りに漂う、暖かい空気。
申し訳ないと心から思っている、その気持ちが少しでもトルクに通じればと、ソウルは願う。と、階段から降りてきたのは、トルクだ。可愛らしい顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「お風呂、一緒に入ってくれるんでしょ? 行こう!」
どうやら、お許しが出たらしい。
「あぁ。ケレス、タオル頼むな」
安堵の思いを抱いたまま、ソウルはケレスに囁きかける。が、何故かケレスは少し怒ったような顔をして、ソウルから目をそむけ、ぶっきらぼうな口調で答えを返す。
「はいはい。分かったから、早く行けば?」
一体何が気に入らなかったのかと首を傾げたソウルに、やはりケレスは、笑顔を向けてはくれなかった。




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