Plumage Legend 〜二重の神話〜 第一章・始動
<< text index story top >>





 そこは、誰もが羨む癒しの都市。田園地帯に囲まれた、緑豊かな街。世界一美しいとされる滝、生き物たちの楽園と呼ばれるエルフ・トーレントを有する、そこはまさに自然に愛されて生まれた土地、アルツローネ=シティ。
 そこから、新たな神話は始まる。

 その日の空はいつもより青く澄み渡り、広大な屋敷の美しい庭では、鳥たちが囀り、飛び回っていた。そしてその屋敷の一室、見晴らしのいい南向きの部屋は、屋敷の主である国一番の細工師と名高いスマル=エフロートの娘、ケレスにあてがわれている。いつもならば窓辺で小鳥と戯れ遊び、餌をやっていたりしたものだが、今日の居場所は部屋でも庭でもない。
間近で、元気な声がした。
「お姉ちゃん? ねぇ、この変な箱はどこへ持って行ったらいいの?」
声に振り向けば、そこには困った顔でこちらを見つめてくる少年がいた。
愛らしい顔立ちの少年。ダークブラウンの髪と、アッシュブルーの瞳が印象的だ。ケレスは栗色の腰まである髪を手で払い、自分と良く似たトルクの面差しを見つめる。髪の色も、瞳の色も違うが……一目で姉弟だと分かる面差しを。
そして、投げかけられたトルクの言葉に少し微笑み、口唇を開く。
「変な箱って、どれ? そうね、中を確認して、それから……」
「…………おい」
続けようとしたケレスの声音を遮って、ひとりの青年が奥から現れた。
真っ直ぐに伸びた身体はすらりと高く、緩く波打つ淡い金の髪、そしてその奥から物憂げに覗くのは、蒼の双眸。美麗な顔貌をしているが、少しもそれを鼻にかけている様子はない。どこか年不相応の落ち着いた雰囲気を纏った、物静かな人だ。彼は、見つめられる視線が居心地悪いのか、ほんの少し目を細めて、控えめな声で抗議した。
「……お前ら、俺一人に力仕事させてないか?」
「だって、私は女の子だし」
「だって、僕は子供だし」
ケレスとトルクが間髪置かずに返した言葉に、彼……ソウルは、小さくため息をついてまだ埃の残る床に座り込んだ。
「…………ったく……」
舌打ちして悪態をついたソウルに、ケレスが笑う。隣のトルクに視線をやれば、同じように嬉しそうだ。ケレスは、自分とトルクが一緒になってかかると、ソウルがすぐに折れることを知っている。
「お前ら、そういう風な綺麗な顔のクセにすることは酷いな」
再び呟いたソウルに、ケレスとトルクは顔を見合わせ、ぷぅッと頬を膨らませて見せた。
不満顔のトルクが、ケレスより先に食って掛かる。
「何それ。じゃあ、お兄ちゃんだって綺麗な顔のクセに女の子避けてるじゃない」
「避けてない。嫌いなだけだ」
思わぬことを引き合いに出されたからか、ソウルも少し不機嫌になる。突き放すように言葉を返し、トルクに背を向ける。しかし、納得がいかないのか、トルクはしつこく続けた。
「でも、お姉ちゃんとは普通に話するでしょ」
「……ケレスは、特別だ」
「ふーん……?」
 半眼になって疑わしげな視線を注ぐトルクにも負けず、ソウルは、近くに残っていたアンティーク調のチェストを持ち上げた。
「あ、それあっちの壁際。後はもう、重いものはなし」
「……あぁ」
すかさず指示を出したケレスに、彼は一瞬眉間に皺を寄せたが、小さな相づちを打って指差した通りの位置にチェストを運んでくれた。それを見届けて、ケレスは不安定なスツールを足場に、明り取りの撥ね上げ窓を開けようと手を伸ばす。爪先立ちになって、限界まで身体を伸ばして、ようやく開いたその窓から、清浄な空気がさらりと流れ込んだ。
達成感に、ほっと息を吐く。そして、先程から妙に熱心に注がれる視線を探して、あたりを見回した。窓から入ってくる風に弄られる髪を押さえながら、見つけたのはソウルの視線だ。そばに、床に座り込んだトルクの姿もある。
「疲れた?」
「あれだけこき使われればな」
チェストにもたれかかったソウルが、ぽつりと呟く。ソウルは雄弁な方ではないが、言いたいことははっきり言うタイプだ。歯に衣着せぬ物言いに、ケレスはふっと笑う。
「階下に、三時のおやつの用意してあるのよ」
にこりと微笑む。元気のなかった二人が途端に服の埃を払い落とし始めたのを見て、ケレスは後から湧いて出る笑みを、無理矢理噛み殺した。
「おねーちゃん、先行くよ?」
声にはっとして顔を上げると、梯子を降りようとするトルクの姿があった。そちらに向かって肯定の相槌を打つと、小さな弟は満面の笑みを浮かべてすぐさま見えなくなった。
喧嘩をしてもやはり心配なのか、ソウルはトルクのそばで、トルクが降りていくのをじっと見守っている。
その様子を横目に、ケレスは部屋の細々としたものの整理を確認する。積み上げられた本や巻物、アルバムなどを、邪魔にならないよう端へ寄せる。と、一本の巻物が、ケレスの手から滑り落ち、転がった。慌ててそれに手を伸ばす。
が、触れた拍子に巻物の緩んだ糸が解け、中身を……古い絵巻を広げてしまう。いつのものか想像もつかないほど古びた羊皮紙。描かれているのは、よく神殿や教会で見かけることの出来る絵物語。
「天使だ……。これは、創世の神のお話だけど、この裏の絵……?!」
古くなった絵巻の台紙と羊皮紙の隙間に、ちらりと見えた美しい蒼の顔料。ケレスは好奇心をそそられ、少し剥がしてみる。描き出された優美な絵に、思わず息を飲んだ。
「……変わった絵だな。世界が崩れている……」
突然耳元に響いた声音に、ケレスはびくんと震える。
「ひゃあっ!! ……あ、ソウル、やだなもうびっくりさせないでよ」
振り返ると、そこには手の中の絵巻を覗き込むソウルがいた。その蒼い瞳に、既視感を抱く。ずっと遠い昔から知っている、色彩。
 この世で最も美しいのではないかと思うその澄んだ蒼は、一人の天使の瞳だった。淡い金髪の美しい天使は、空を、そこにある世界……天界を崩し、瞳に封じようとしているかにも見えた。もう一人の天使は、緑に覆われた大地……人間の住むこの地界に手を差し出すが、その努力も空しく緑は崩れ、崩壊していく。見事な翡翠の瞳から大粒の涙を零しながら、必死の表情で大地を抱える天使は、雄々しい蒼の瞳の天使とは違い、優しい慈愛に満ちている。緑の地に住む人は暗い闇の底に落ち、空を舞うのは様々な姿の天使たち。
「この絵、何……? すごく、嫌な感じがする……」
絵巻が震える指から逃れ、かつんと床に音を響かせる。全身へと広がった震えを収めるためにも、両腕で自らを抱きしめた。身体に、力が入らない。
がくん、と膝の力が抜けたその瞬間、背後から優しく支えてくれる腕の存在に気づいた。
「ソウル……」
肩越しに窺ったその瞳は、絵巻に向けられていた。厳しい視線を崩さないまま、小さく呟く。
「確かに、あまり気持ちのいいものじゃないな……先に下に降りてろ。これは、奥の方に片付けとくから」
「でも、これは……」
ケレスは続けて言おうとするが、ソウルに見つめられ、口を噤む。
「忘れていい、きっと」
ソウルはそう言って、床の絵巻を拾い上げた。背を向けて、使わなくなった家具の隙間に滑り込んでいく。
きっと、奥まったところにある戸棚へ仕舞いに行ったのだろう。
その後ろ姿を見届けて、ケレスは深く息を吐いた。心を落ち着けようとした、その瞬間。
「来た…………ライト姉さん」
「…………………………………………ライト?」
再び家具の隙間から現れたソウルが、途端に嫌な顔をした。……と言っても、わずかに眉が顰められただけで、それほどはっきりしたものではないのだが。
「もうじき家の敷地内。どうする?」
呟いて、ケレスは首を傾げる。ここは屋根裏部屋、さっさとこの場所から出なければ、すぐにでもあの悪夢は忍び寄って、追い詰められてしまう。そうでなくとも、逃げるためのルートは限定されて、捕まりやすくなるだろう。
問い掛けたケレスに、彼は無感動な瞳でため息をついて、すぐさまケレスの足元に跪いた。
「ケレス、助けてくれ」
年齢を感じさせないよく響くテノールの声。柔らかそうな淡い金の髪を見下ろして、ケレスはため息ひとつ。彼に見えないと分かっていて、それでも思わず笑みがこぼれた。
彼の前から数歩下がって、目当ての場所を探しゆっくりと歩く。
「えーと……あった、この下が、私の部屋」
もうずいぶん前だが、お転婆が過ぎて屋根裏に閉じ込められた時、暇を持て余して、ここから自分の部屋に穴をぶち開けたことがあった。
そのおかげで……いや、そのせいで、ケレスの部屋の天井には、人が一人通れる程度の隠し通路がある。屋根裏から部屋への、少々危険な一方通行だが。
「ソウルならここから飛び降りるくらい何でもないよね。バルコニーのそばに大きな胡桃の木が生えてるでしょ? そこから降りるといいよ」
とんとん、と革造りのショートブーツの爪先で叩く。ソウルが、他の場所とはやや違う色の床板に手を伸ばし、それが外れたのを見て、ほっと息をついた。ゆっくりと上げられた顔には、淡い安堵の色がある。
「……分かった。ありがとう」
「うん。それじゃあね。気をつけて」
礼を言うソウルを、ケレスは苦笑いを浮かべながら見送る。ソウルには今回の片付けで、力仕事ばかりを押しつけてしまったし、これくらいのご褒美がなくては、可哀相だろう。
「あぁ、そうだ。菓子は、俺の分も残しておいてくれ」
「え?」
「夕飯までには、帰るから……」
するりと穴に身を滑らせて、ソウルはその場から消えるように逃げて行った。その後ろ姿を見つめて、ケレスはため息をつく。床板を元に戻しながら。
このため息が、恋煩いだったら、どれほど幸せか。
ケレスにとっては、存在しない想い人に気持ちが伝わらないもどかしさより、これから迫るだろう恐ろしい『絶対最終兵器』の方が問題だ。
向かうところ敵無しのソウルでも、彼女に対しては酷く逃げ腰なのだ。ケレスだって、苦手ではないがあまり相手はしたくない。悪人、ではないのだが。
 ともあれ、屋根裏にいる限りは安全だろう。いくらなんでも、ここへ入ってくるためには階下からの梯子を上らなければならない。そちらからやってくると分かっていれば、ずいぶん心の準備はできる。ケレスは、空気の入れ替えにと開けていた撥ね上げ窓を閉めるため、再びスツールに近づいた。
……と、頭上の光が翳る。跳ね上げ窓から注がれていた光が。
悪寒が、全身を駆け上がった。さらさらと鳴るのは、衣擦れか髪の揺らぎか。
どちらにせよ、何かがやってきたのだ。想像もしなかった……撥ね上げ窓から。
とん、と床が鳴る。喉が、悲鳴を出し損なってひくりと潰れた音を漏らした。
「を――ッほほほほほ! ソウル!! 今日こそは決着をつけて差し上げますことよ! 死を覚悟なさいっ……?」
不可思議な嘲笑と共に現れたのは、焦げ茶色の髪と瞳の、紛うことなき美少女。
彼女が、何を隠そうソウルも恐れる『破壊神』ことライト=ステイルだ。ケレスの従姉で、ケレスを実の妹のように可愛がってくれる、ソウルの天敵。
ソウルの天敵という時点で既に普通の人とは言えないのに、その上彼女はとても頭がいい。薬物の知識は広く深く、セルヴィーナ=シティの王立学院、青の塔から勧誘があったほどだ。余りある才能を持て余すと、こんな不思議な人になってしまうのかもしれない。
もちろん、彼女にも結婚を約束した相思相愛の相手がいるのだが。
その人も、なかなかの個性的な人物だ。……彼女に負けず劣らずの、『変人』という言葉がしっくりくるような。
「……ケレス。あの人類最大の無表情男は一体いずこへ? いたはずなんだけれど。……もしかして、私に畏れをなして逃げたとか?! ……あの男に限ってそれはなさそうだし……急に体の具合が悪くなって寝ているとか! ……そんな訳ないわよね。じゃあ……?」
傍らからねめつけるような視線を投げてくるライトに、ケレスは視線を合わせないようほんの少し瞳を逸らしたまま、無理矢理言葉を搾り出した。
「えっと。逃げた……みたい、なの」
答えると同時に、反射のように手が耳を塞いだ。
「何ですってぇええぇッ?!」
塞いでもまだ響き渡る、ライトの絶叫。金切り声の直撃は、どうやら逃れたらしい。
「さては、あのイケメンぶりっ子、私の可愛いケレスに言い寄って逃がしてもらったのね?! そしてケレスは直にあの男の餌食となってしまうんだわ――ッ!!」
 あぁぁぁ、と天を仰ぐライトに、ケレスは薄笑いを浮かべたまま何も言わなかった。いや、言わないのではない。突っ込みたくても突っ込めないのだ。ケレスは、これがまだ序の口だと、嫌と言うほど知っている。これからまだまだ話は飛躍し、結局は何でもソウルのせいになる。これが、彼女がひどい通り名で呼ばれる理由だ。
逃げたくても逃げられない。悪夢の終わりは、彼女の気が済むまでやってこない。
ケレスはそっと溜め息を吐き出した。しばらくこうして大人しく聞いてやっていれば、いずれ終わりは来るだろう。
とことん付き合う覚悟を決めて、ケレスは複雑な笑みを浮かべて、叫び続ける彼女の姿を見つめた。




<< text index story top >>
Plumage Legend 〜二重の神話〜 第一章・始動