climax
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 「ど、どういうことですか?遺言、って、あの……」
混乱と途惑いの表情を露にして、女王は老人に縋りつく。
分からないことだらけだ。怖い。
「私は、小さな街の薬師です。申し訳ありませんが、詳細はまったく知らないのです。ただ、陛下からの使いと仰る方が……あぁ、その方は国王陛下の印と、封蝋の貼られた封筒を持っておいでました。そして、直筆のものらしきサインもございます。……ご確認、頂けますか?」
おずおずと懐から取り出されて封筒はまだ新しく、大切に、きちんと保管されていたことを教えてくれる。
リーザリオンは躊躇いながらもその封筒を受け取り、貼られた封蝋と、印、そして、震える指を必死に押し留めて、表へ返す。
そこにあるのは、躍動感溢れる、生気漲る彼女の父の書く文字。
堂々と胸を張って、どうだ、気持ちのいい字だろう、と娘に笑いかける彼は、その文字の力に見合うだけの度量と、包容力を持っていた。
あぁ、と懐かしげに目を細める女王に、グライジーンとクラウンは、ほっと息を吐く。
「……間違いなく……王家の刻印、封蝋、そして、このサインは父のものですわ。……ようこそお越しくださいました。本当に、ありがとうございます」
先ほどまでの堅い表情はすっかり解け、満面の笑みが浮かぶ。
彼らを遠巻きに眺めていた来客は、騒ぎの原因を聞きつけて、ホールの傍へ近寄ってくる。
さすがに、前国王の遺言ともなれば聞き届けることが義務であろうが、やはりどこか躊躇われる。広間は、ざわざわと揺れた。

 何やら騒がしいな、と巡回中のレイジスは、そっと広間を覗き込んだ。
ダンスホールに、人だかりが出来ている。人より飛び抜けて高い彼の身長なら、人の壁などあまり関係がない。ただ、なぜか気になって、そっと様子を窺う。
……見えたのは、銀の髪のフクロにするはずの魔術師、そして、麗しの女王の姿だった。
例え双璧であろうとも、こういった社交界、パーティーの席には、招待されない限り出席は出来ない。
またしても自分だけ女王のそばにいるクラウンへのフクロ計画は倍になり、ますます膨れ上がる。
不器用な騎士に出来ることは、ただ、必死にホールの扉の影から中の様子を窺うことだけだった。
……ちなみに、彼があまりに大き過ぎて、影にきっちり隠れていたかというのは……定かではない。

「それでは、よろしいですか、女王陛下」
「えぇ、お願いいたしますわ、グライジーン様」
微笑んで応じた女王は、ふわりと優雅に一礼して、先を促す。
「それでは、読み上げさせて頂きます」
朗々と響く声に、リーザリオンはゆっくりと深呼吸をした。



『 ……リィ、元気にしているかい。
今これが読まれていると言うことは、私も妻も、すでにお前のそばから過ぎ去ってしまったのだね。
幼いお前を置いていくことは悲しいが、いずれは消え行くもの…それを、分かって欲しい 』



淡々と、けれど、強く弱くリーザリオンの中に染み入る言葉は、確かに、父が遺したもの。
切なさにゆっくりと目を閉じながら、グライジーンの声に耳を傾ける。




『 私は、お前に言った。恋をしなさい、と。
私が病に倒れたとき、私はすでに、自分の命が潰えることを確信していた。
けれど、希望は、捨てられなかった。お前が恋をして、成人して、そして、立派な女王に、母親になるのを、この目で見届けたかった。
……今となっては、それも叶わないのだが。リィ。恋は、したかい?
もししたのなら、今、ここでその人を求めなさい。あきらめずに 』



そっと、目を開ける。
グライジーン老は、微笑んで、答えを促している。
今は、父の言葉を持つ彼が、彼女の父の代理人なのだ。
リーザリオンは、顔を上げて、淡く微笑みながら首を振る。
「お父様のご期待に沿えなくて、申し訳ないのだけれど。……私、まだ恋を見つけたことがない。恋が何なのか、わからないの。だから、お願い。続けてください」
その柔らかな笑みの中には、嘘はない。
両親という支えを失ってすぐに、あまりにも苛酷な環境へと放り込まれた彼女にとって、恋をする暇など、そんな余裕など、わずかもなかったのだ。
グライジーンは頷いて、口を開く。




『 ……それは残念だ。いや、恋をする間もないような生活に追い込んだのは、私なのだから……すまなかった。
 それでは、私の遺言だ。よくお聞き。
私は、妻と恋に落ち、そして幸せな結婚をした。だから、お前にも、そんな幸せを知って欲しい。
何があっても、政略結婚などというお前の気持ちを無視したことだけは、したくない。
 そして、リィ。お前はまだ恋を知らない。
そんな娘に、国を継ぐために相手を選べなど、私が言えるはずもない。

……リィ。お前は今後、女王ではなく、国王代理として政務をこなしなさい。
そして、いつか見つけなさい。恋を。そして、その相手を。
そうして女王になるのなら、構わない。
もちろん、国を任せられると思う相手が見つかれば、その人に王位継承権を譲ってもいい。
お前が無理をして、女王である必要も、義務もないんだよ。

 お前は、自由なのだから。

お前の好きに生きるといい。
誰よりも愛する娘であるお前に私ができることは、こんなものだ。


 どうか、望むままに。幸せにおなり。

国王  リージェウス・レイン 』



 顔を伏せて、静かにうずくまるリーザリオンの肩に、グライジーンがそっと触れる。
両手で覆った顔を、ゆっくりと上げる少女の目には、涙が雨のように零れる。
微笑む老人の顔に、何もかもを知っていると思わせる、その瞳に。
彼女は、ただ静かに肩を震わせる。

 どれほど時が過ぎただろう。
女王が、静かに立ち上がった。
その瞳は、まだ潤んではいるが、もう、こぼれはしない。
きゅっと唇を引き結んで、集まった大勢の前で、すっと息を吸い込んだ。

「お集まりの皆様に、証人となっていただきたいと思います。この夜起きたこと、真実をありのままに。……そして、女王である私の選択を」
隅々まで渡る響きのある声が、会場を包む。
息を飲んで、その成り行きを眺めていた客人を見渡して、彼女が、笑った。




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女王と騎士と魔術師と。