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 王都は、華やいで賑わっていた。
市場は喜びの声で溢れかえり、王城の周囲には、溢れんばかりの花や進物が乗せられた荷馬車が集まり、職人たちはこぞって城の改装や宴の準備に追われていた。
 すべては、かの賢き女王のためだ。
彼女が、ようやく二十歳になる日。それが、間近に迫っている。

 城下では彼女の結婚相手について口々に語られ、それが国にとってどれだけ大きな影響を持つかを物語っていた。
同時に、露骨な恋愛表現をしている双璧の二人のどちらかが選ばれるのではないかという噂も、一歩踏み出すたびに耳に入るほど蔓延している。
……民の誰からも愛される女王は、常に話題の的だ。仕方ない。


 「面倒ね。色々と。……自分の誕生日だって言うのに」
もう飽きたわ、と独り言ちながら、ペンを置く。
彼女の足元に置かれた箱には、すでに山のような招待状が、すべて直筆で書かれていた。
「お父様って、凄かったのね」
毎年誕生日のたびにきちんと招待状を書いていた父に対して、意外だわ、という評価を付け足して、女王はソファに移動した。
柔らかなスプリングに横たわり、ぼんやりと天井を見上げる。
二十歳。
成人、大人。今よりたったひとつ歳をとるだけで、何故大人になれるのだろう。
大人のように扱われるようになる、と言うのは、自分には当て嵌まるはずがない。
女王として5年間もやって来たのだ。その間、子供扱いされていたのなら、国はこれほどまでに安定しなかった。民の協力や双璧の助力があったことも理由だろうが、それでも、自分は精一杯やった。今更大人だと言われても、しっくり来ない。
瞼が重くなり、瞬きが多くなる。
ふっと眠りに落ちる瞬間を感じながら、彼女は幼い頃に想いを馳せた。


 「リーザ様。……リーザ様?」
はっとした。急速に意識が覚醒する。
慌てて体を起こすと、そこはソファで、目の前にはレイジスが、驚きの表情で、手を差し出しかけて止まっている。
「……やだ、あ、寝ちゃってたのね。……ごめんなさい、おはよう、レイジス」
「お、おはようございます……あの、お邪魔して、申し訳ありませんでした」
「いいの、気分転換のつもりが、お昼寝になってしまって。招待状、同じ文章ばかりだから、もう飽きちゃった」
可愛らしく微笑みながら、リーザリオンは立ち上がって、執務机に移動する。
彼女を追いかけて、騎士は身体の向きを変え、その後に続く。
「あの、リーザ様、馬鹿……いえ、クラウンを見ませんでしたか?」
「……レイジス、無理言わないでちょうだい。いくら私でも、眠っている間の来客は分からなくってよ?」
革張りの椅子に、ぽすんと座って羽ペンを弄るリーザリオンが、上目遣いにレイジスを睨む。いや、睨むというより、見上げたといった方がいいかもしれない。それには迫力が足りなさ過ぎる。
「す、すみません……」
「怒ってるわけじゃないのよ。気にしないで。……あ、そうだ、せっかく来たんだからついでにお仕事頼んでいいかしら?」
しょぼくれて項垂れる騎士を元気付けるように、女王は傍らの分厚い書類を取り出して、彼に手渡す。
ずっしりと重いそれに、彼は何だろうと首を傾げたが、ただリーザリオンは笑うだけ。
「お祝いのときの、警備の配置表。よろしく頼むわね、総代さん」
満面の笑みで言われれば、先ほどまでの悲しげな様子は跡形もなく消え失せ、レイジスはぱっと敬礼して頷いた。
「もちろんです。ご心配なく。不明な点や改良点は、またこちらへお伺いします」
それでは、お邪魔致しましたと頭を下げた彼が、背を向けた瞬間。
ぷっと、リーザリオンは吹き出した。
驚いてレイジスが振り向けば、少女はお腹を抱えて、息も絶え絶えに笑い転げている。
「……レイジス……アナタってば、背中に何つけてるの?」
乱れた息のまま告げられた科白に、わけも分からず背に手を回したレイジスは、一瞬で固まり、青ざめると、すぐに赤くなった。
背中から感じた感触は、布ではなく、紙。
これはもしや、あれだろうか。
「えっとー……『式典のために欠かせないものをとって来る、これは秘密だ』って、秘密じゃないじゃないの、クラウン」
呆れた、と今度は苦笑するリーザリオンに、彼は破れるほどの力を入れてそれをへぎ取る。
魔法か何かで留めたのか、紙には穴もクリップの跡も何一つ見当たらなかった。
 今度会ったら、フクロだ。絶対フクロだ。
「いつからそこにあったのかしらねー?」
楽しそうに笑う女王の言葉がさらに追い討ちをかけ、心にそう誓ったレイジスは、先ほどまでの恥ずかしさなど忘れ、むしろいきり立って帰っていった。


 そんな微笑ましいエピソードを経て、女王の成人を迎える式典が、かの国では盛大に行われる。


 艶めいたシルクのドレスは、漆黒。闇色の長い髪は普段通りに後ろに流しっぱなし。目の色も含めれば、きょうの自分は真っ黒だった。まるで、弔事に参列するかのごとき姿は、主役である彼女を、やや浮かせていた。いつもと違うとすれば、紅をひいて、いつもより赤みを帯びた唇くらいだろうか。
飾り気のない姿。
それでも、彼女は美しい。

 招待客の波を縫い、賞賛や祝いの言葉を一身に受け、それを流しながら、リーザリオンは彼を探した。
クラウンだ。
式典に欠かせないものとは、一体何なのだろう?
それが気になって、実は昨夜はあまり眠れなかった。けれど、例えクラウンを見つけても『式典に欠かせないもの』と言う曖昧な言葉だけを残して行った彼には、絶対に言わないでおこう、と彼女はひそかに思った。小さな嫌がらせだ。

 色々と彼への仕返しを思案しつつ、一通りの社交事例も済んだ頃には、すでに今日の時間は、わずか2刻ほど。
彼は、間に合うのだろうか。
そんな不安が女王の中をよぎった次の瞬間、それは即座に打ち消された。
 ダンスホールの中央に、一陣の風が吹く。
その風に乗ってくるものなど、一人しかいない。
「……クラウン!!」
しばらく見かけなかった懐かしい顔に、リーザリオンは走り寄った。
彼は、嬉しそうな、けれど、どこか複雑な想いの瞳を彼女に向けて、それでも微笑み、一人前の女性になった女王を見つめる。
無邪気に駆け寄ったリーザリオンだったが、彼の隣りに、見知らぬ老人がそっと笑って立っているのを見、立ち止まった。
クラウンは『式典に欠かせないもの』をとりに行ったのだ。それならば、この老人が、その『式典に欠かせないもの』とやらを持っていると考えるのが、筋だろう。
「あの……失礼ですが、どちら様でしょうか?」
そっと膝を折ってドレスの裾を摘んだ彼女の愛らしい仕草に、老人は破顔し、同時に、口を開く。
「始めまして、女王陛下。このたびは、成人、おめでとうございます」
人当たりのよさそうなその口調と声に、リーザリオンは思わず、笑ってありがとうございます、と答えた。
「ところで、本日は一体、どのような御用でお越し頂いたのですか?私、クラウンから一切聞いてませんの」
小首を傾げて老人に問う彼女に、となりで見ていたクラウンが、ゆっくりと、念を押すようにその問いに応じる。
「……遺言なんだ」
「え?」
「前国王陛下の遺言書を持っておいでるんだ、この方は。……紹介するよ、グライジーン老だ」
さらりと告げられた言葉は、一瞬頭の中で止まった。
そしてそれは何度も反芻され、ようやく、彼女の中で事実として固まった。
目の前にいる好々爺は、自分の父の、生前の言葉の欠片を持っているのだ、と。




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女王と騎士と魔術師と。