魔術師の欠けた、女王と騎士の日常。
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 魔術師の抜けた穴は、大きかった。

「あぁもぅ……どうやってこんなにたくさんの仕事こなしてたのかしらクラウンってば!!」
「はは……目を閉じても書類が見える……」
一人でやるにはあまりにも苦痛な仕事量に、二人は必然的に同じ部屋で政務をこなすこととなった。それにしても……国最大の規模を誇る王立図書閲覧室、その12人掛けのテーブルを一人で占拠できる書類の山には、さすがの二人も恐怖した。
初めて見たときには、思わずクラウンの執務の様子を眺めてみたいと……そんなことまで考えた。
「ねぇ、レイジス?クラウン、ギルド関係だって言って、それだけだったのよね?」
愛用羽ペンを彼女の自己最大速度で動かしながら、怪訝な口調で問いかけたリーザリオンに、レイジスが真面目腐った顔で神妙に頷く。彼の無骨な手は、素早い、とは言い難い速度でのんびり進む。
「そうです。詳しく聞き出す前に消えやがって……申し訳ありません、リーザ様」
「違うの。責めてるわけじゃないのよ。クラウン、ギルドの中でも、桁外れの能力者だから……本当は、もっとお仕事あると思う。私、あんまり深く考えずに頼りきってしまって……これからは、もっとよく考えないと。魔術師は国の所有するものではないし」
さらり、とサインを加えた書類を、即席で作った『済』書類箱に加えると、リーザリオンはペンを置いた。同じように、一束を書類箱へ放り込んだレイジスに、女王は微笑んで、お茶にしましょうか、と席を立った。



 『魔術師』という存在には、いくらかの制約がある。
ひとつは、必ずギルドに登録を受けること。
ふたつは、いついかなる時でも必ずギルドの要請に答えること。
みっつは、私情を挟んで行動しないこと。
細やかな部分はまだあるにせよ、最も重要視されるのは、このみっつだ。
クラウンは、はっと息を吐き出す。
身体のどこかしこを引き絞って、可能な限りの俊敏さを、可能な限りの力強さを、可能な限りの精神集中を。
すいと息を止めて、動いた。
かの国からは遠く離れたこの地で、立て続けに入るギルドがらみの『仕事』……彼女には見せられない、この姿。
 かの国とはあまりに違う空気でくすんだ銀糸に、どす黒い液体が飛沫いた。


 前回は、あまりにも自然な動作でポットを扱うクラウンだったが、今回は少女が、たどたどしい手つきでポットを扱っている。レイジスは、前回と同じく、大人しく腰掛けて、彼女の姿を微笑みながら見つめていた。
「……後は待つだけ、と。ごめんなさい、あんまり、慣れてなくって」
さらさらと落ちて行く白い砂を見つめて、照れたように微笑む姿は、歳相応の……むしろ幼い印象で目に焼きつく。
玉座に坐する際の女王たる彼女の姿は、その威厳あふれる神々しい姿は、なりを潜め……見る影も、ない。
「お茶を淹れる際に最も気をつけるのは、そこに自分の気持ちを込めることだと、祖母から聞いたことがあります。いくら美味しいお茶が淹れられても、そこに気持ちがなければ、意味はないのだと教わりました。俺も……そう思います」
クラウンの淹れたお茶が美味かったのは、技術だけではなくて……彼女が頼み、彼女が欲したからだ。お茶を淹れるというのは、そういうことだろう。
「それにしても……今頃あの馬鹿はどこで何してるんでしょうね。リーザ様を不安にさせて、ご無理をさせてるって言うのに。とっとと帰ってきやがれ」
いい香りを立てるカップを、どうぞ、と差し出され、笑顔で受け取りながらレイジスが愚痴る。
差し出したリーザリオンは、カップの重みが消えてから、自分も彼の向かいに座り、苦笑する。
「そんなこと言いながら、ホントは、喧嘩する相手がいなくてつまらないんでしょう?お城のどこかで、必ず毎日一度は大声で怒鳴りあってるじゃない。皆、わざわざ報告してくれるんだから、今日は何時頃どこそこでやりあってました、って。お茶の時間までに喧嘩がないと、ほら、いつもお茶の準備をしてくれるシィンが不安がって私に言うのよ。『今日は双璧のお2人、どこかへ出張ですか?』って。あんまり不安そうな顔だから、いつもからかっちゃう」
くすくすと笑いを交えながら、侍女の口真似をするリーザリオンに、レイジスが笑う。

 魔術師の欠けた午後も、怒鳴り声が聞こえない以外はいつもとほぼ変わらず……穏やかに、過ぎる。




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女王と騎士と魔術師と。