王様と冠
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 クラウンの朝は、朝食の準備から始まる。
クラウンは、寝起きのいい方だ。朝日が昇ると同時に起床。身支度を整える。
 そして、まず、井戸で水を汲む。
魔術師に弟子入りしたのだからそれくらい魔法を使えばいいのに、と、誰もが思うだろう。けれど、これは彼の方針だ。それに逆らっては、クラウンがここにいる意味をなくしてしまう。
小屋、と呼ぶには豪奢すぎる広い棟を出て、一見美しい、けれど本当はたくさんの危険な植物が植わっている中庭を抜け、このギルド内にいくつか存在する井戸に辿り着いた。ここは、他の魔術士たちが寄りつかない、少し特殊な場所。
クラウンの師匠であり、ギルド最高の能力を誇る第一級魔術師、加えて変わり者と評判の彼が暮らす場所だから。
 水を汲むためには、自分の力を使わなければならない。
桶を落とし、蔓を引いて水を汲み上げる。けれど、汲み上げた水を移し変えるものは持っていない。汲み上げた水は、魔術で調理場の水瓶まで転移させる。
これも、修行の一環なのだ。
クラウンは、疑問を感じず、ただひたすら、彼の言葉を信じて続けるしかない。
クラウンが魔術を手に入れるためには、もはや、彼に従うしかないのだから。
 水を汲み終わると、クラウンは調理場へ向かわず、まず、彼の部屋の前へと転移する。
師匠である彼は、派手な演出が好きで、転移の瞬間に破裂音や轟音を立てるのが常だが、クラウンは風に紛れた転移が好きだった。
風に溶け込み、一体となって世界を渡り、再び風から生まれる快感を、クラウンは忘れられない。
 意識を集中して目を閉じる。肩までに切り揃えた髪を揺らす風に、身体を溶かす。
そして、再び目を開ければ、そこは目的の部屋の前。
他の棟にもないくらいの、豪奢な扉。事実、押し開けるには少し力を使うその扉は、彼に似つかわしい。クラウンにとって誰よりも特別な位置にいる彼女に、よく似た色彩を持つ彼は、この組織におけるジョーカー、すなわち、道化であり、切り札でもある人。
不確定要素、なるものだった。
「――キング。師匠。起きてくれ、朝だ」
 クラウンは、元は名高い貴族の嫡男だった。
けれど、クラウンはある少女の傍らに、何を犠牲にしてもいたいと思っていた。
だから、全てを捨てて、新たな力を手に入れるために、彼の弟子となった。魔術師ギルドの公認する、世界にただ一人の第一級魔術師……キングの弟子だ。
 キングは、ギルド創設者の孫で、魔力は血筋も含めて折り紙つきだ。魔術の能力は、肩書きに劣らない底知れなさがある。軟派な顔立ちではあるが、舐めてかかると返り討ちにされることだろう。このギルドで、いや、世界でもその存在がひっそりと語り継がれる、キング。
扉越しにかけた声に、返事は無い。
これはいつものこと、と、クラウンは調理場へと転移した。

 朝食の準備がある程度済んで、クラウンはかまどの火を消した。
調理は魔術の実験とさほど変わらず、本の通りに手順を守れば、必ず美味いものが出来る。
それが普通だと思っていたのだが、キングが言うにはそうではないらしい。
クラウンには、それが普通でない理由の方が理解できないのだが、キングに『お前のようになんでも器用にこなせる奴はなかなかいないんだよ』と、苦笑混じりに言われ、納得した。不器用ならば、失敗もあるのだろう。
キングは魔術の実験に関しては、クラウンが理解できないような高度な技術を使う。
けれど、調理だけは、クラウンの足元にも及ばない。あれはきっと、調理など、生活に必要な才能が全て魔術の才能へと注がれているからだ。キングには、生活の雑務は不似合いだ。ただひたすらに、世界や魔術の不思議を解明する研究者の才がある。
 自分で作ったら、並以下のものしか作れないキングは、美味いものを出すととても喜ぶ。
クラウンも、どうせ食べるなら美味いものの方がいい。
だからクラウンは、キングに指示されたから、ではなく、自分のためにも、すすんで家事をこなすことにしていた。
時計を見上げ、それが起床時間であることを確認してから、キングの気配を探ってみる。
静かなそれは、彼がまだ眠りの中にいることを示している。彼はクラウンとは違い、寝起きはよくない。目を覚ましてからしばらくは、彼の気配は乱れて掴みにくいから分かる。
ここ最近、キングが夜遅くまで何かの実験に打ち込んでいたのを、クラウンは知っている。
だが、朝、彼自身が決めた起床時間に起こさなければ、彼は起こされたときより機嫌が悪くなる。理由はよく知らないが、それはキングから命じられたことだ。師匠の命令は、絶対。
かまどの火が消えているのをもう一度確認して、クラウンは再び彼の部屋の前へと転移した。
 「キング、起きてくれ。時間だ」
彼は、敬語を好まない。
クラウンにとってキングは師なのだから、敬語を使うのは当たり前だと思っていた。
けれど、彼はそれを拒む。
キングと師弟の関係になって、早2年が過ぎようとしているが、クラウンが知らないことは、たくさんある。
例えば、なぜ必ずこの時間に起きるのか。
敬語を、いや、敬われるのを嫌うのか。
修練や、ギルドからの依頼や、彼自身の実験を犠牲にしても、ある時間帯、必ず訪れている場所はどこなのか。
そこには一体、何があるのか。
 疑問はあるが、クラウンは詮索しない。
彼が、クラウンの中にいる彼女のことを詮索しないから。
扉の向こうにいる黒髪の彼は、まだ目覚めない。
ひとつ息を吐き出して、クラウンはいつものように、扉を開けた。

 どーん。
低く響いた音に、深く溜め息ひとつ。
クラウンは、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「やーべぇクラウン、逃げるぞー!」
「そんな事態になる前に引き上げればよかったのに」
「あのジジィが悪いんだよ!!俺の知ったことか!」
朝食を済ませてから、伝令がやってきた。幹部への招集がかかったのだ。
キングは幹部で、クラウンは幹部候補生。まだ弟子の身分で候補生になった例はなく、クラウンはキングの弟子と言うことだけではなく、そういった意味でも特殊な存在だった。
 幹部候補生も、幹部の招集に招かれることがある。候補生に発言権はないが、その召集で流される情報を手に入れることができると言うだけでもずいぶん違う。
今回も例に漏れずその召集に参加し、ことの流れを見守っていたのだが。
召集のあと、師匠の祖父であるギルド長からの呼び出しで、彼が奥の執務室へと引っ込んだのを見たときから、嫌な予感はしていたのだ。
何せ、彼とギルド長の相性は最悪で、顔を合わせば喧嘩ばかり。
クラウンが彼の弟子になった理由も、半分はギルド長を前にしてもまったく怯むことのない強い志によるものだった。残りの半分は……キングが宿す、混じりけのない美しい黒の色彩だったのだが。
「クラウン」
「何か」
呼び声に顔を上げ、彼に視線を向ける。
そこにあるのは、いつも通りの整った顔と、輝く瞳。
まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のように、純粋な喜び。
「俺は、このギルドを手に入れようと思う」
言葉にして、彼は笑った。
「古き時代は終わりを告げ、新しい世代へと受け継がれる。クラウン。俺を手伝え」
「……俺が、嫌だというわけがないだろう」
有無を言わせない彼の真っ直ぐな言葉。
クラウンは、ただ頷く。従う。
従わされているわけではなく、ただ、従いたいと思うのは彼の存在ゆえだ。
「あんたは、生まれながらにして王なのだから」
「違いない」
笑った彼のあとに続く。
クラウンの主は、人の上に立つもの……王か、女王でしかありえないのだから。




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女王と騎士と魔術師と。外伝5