クラウン、魔術師ギルドに入る
<< text index story top >>



 突然現れた妙な格好をした爺さんに、俺は目を細めた。
裾の長いローブは漆黒、その髪と長いひげは白に近い灰色。飄々とした態度で、得体の知れない雰囲気が拭えない。
「……おい、爺。ここがどこだか分かってるか?」
「北公の城だと記憶しているが。誤りは?」
「ない。だから聞いている。分かってるやつが、堂々とここに侵入するとはいい度胸だ。今すぐ人を呼ぶことも出来るんだぞ?」
城の中庭で本を読んでいた俺の目の前に、歩いてきたわけでも走ってきたわけでも、落ちてきたわけでもなく「現れた」のだ。わけが分からない。
おそらく、今の自分は相当な目つきの悪さを露見しているだろう。普段は精一杯の精神制御で成り立っている無表情をあっさりぶち破って、だ。
それなのに、目の前の爺は、怯むそぶりさえ見せず、むしろ悠々と笑っている。
……一体、何だこれは。
きりきりとした痛みを訴える頭に、つい眉間に手をやって、揉み解す動作を。
……現実離れしすぎていて、意識でも手放したいと思った。
「銀髪赤眼……お主が北公の息子のクルツか?」
「だったらどうした?まず、そっちが名乗るのが礼儀だろう?」
当然のことを言ったはずの俺の言葉を一笑して、爺はしゃらりと、傍らの杖の金具を鳴らした。
「それは悪いな。人間と接することなど、なかなかない。いたしかたあるまい。儂は、魔術師ギルドの長ワイゼム」
魔術師ギルド。確か、不思議な力を使う人間たちが寄り集まって、国に囚われることなく自由気ままにやっている集団だったような……。
「お主、ギルドに何か恨みでもあるのか?えらく偏った認識じゃな。ギルドは、不思議の力を使う素質のあるものが集まり、国に所有され不適当な扱いを受けぬよう守り、力の正しい使い方を学び、国の依頼に応えて報酬をもらう団体のことだ。誤解のないようにの」
さも当然のように告げられた言葉に、俺は目をむいた。
俺は、考えたことは一切口に出していない。
……言葉に、変えていないのだ。
「不思議そうじゃな。それも当然。儂は内なる声を聞いた。言葉などに頼らずとも、会話は可能だ」
 と、言うことは。頭の中を、覗かれた?
「爺。何の用だ?」
いつまでも思考を読まれるなど、真っ平ごめんだ。
「せっかちだの。まぁ、簡潔にいえばスカウトじゃ」
「は?」
「魔術師は元来スカウト制じゃて。師匠が優秀な弟子をスカウトして、立派な魔術師に鍛え上げる。奥深き魔術の道……不思議の力を行使する際の心得を守れるか、その力をどう有効に使用するか、悪用したりはしないか。それらすべてを完璧に身につけさえすれば、お主はギルドの最高峰までも上り詰められるじゃろう」
「誰がそんなもんの最高峰まで上りたいと言った」
勝手にぺらぺら喋ってもらっても、非常に迷惑だ。俺にその気がないってのは、読めてると思うんだが。
さらに言い募ろうと口を開きかけた途端。
「……お主、力は欲しくないか?」
……痛いところを突かれた。
一瞬怯んだ俺に、爺は畳み掛けるように続ける。
「お主の求める誰にも負けぬ力を授けてやろう。大切なものを必ず守れる力を。お主の守りたいと願うものを、全て余さず守りきれる力を。……なぁ?ギルドに、入らんか?」
力……大切なものを守れる力。
爺の甘言に唆されたわけじゃない。
……世間一般の事実として、世界中のどの国であろうとも魔術師ギルドに手は出せない、その力はあまりにも圧倒的で、ギルドの幹部5人寄り集まればどれほどの軍隊が束になろうとも敵わない、となっている。これはあくまで噂だとは言われているが……おそらくそれは真実に限りなく近いものだろう。
 だとすれば。その力が、本当に俺の手の中に入る可能性があると言うのなら。
たとえ、閉鎖された魔術師の世界、ギルドに入ったとしても。
俺の体も力も全て、捧げているのはあいつだから。
……歪んでいるかもしれない。けど、たとえあいつに恋しいものが出来て、結婚して……俺のそばから離れていこうとしても。
あいつからは、決して離れられない位置につきたい。
何があろうともあいつから離れられない位置に。
そんな位置があるとすれば、それは。
 『女王になるあいつの役に立てる、もっとも有能な人間』という位置。
知識量なら、一般人としては……いや、この歳としては多すぎるくらいだろう。
いつも、親から『可愛げのない応対だ』と責められる。
けど。それでも、俺にはまだまだ足りないんだ。
あいつの傍らでいるためにはもっと。もっとたくさんの知識が、力が。

今目の前にあるのは、魔術師ギルドという、一般の前には開かれないその道。
新しい世界で、身につけられる知識はどれほど多いだろう。手に入る力は、どれほど強大だろう。
そして……その力で、あいつの傍らにいられるのなら。
一人前になるまで閉鎖された空間に閉じ込められようとも、構わない。
 どうせ、爺はこの思考を読んだだろう。
覗き見られるのは癪に障るが、今は仕方ない。
これから逆の立場に立つのだと思えば、耐えられる。

 「覚悟は決まったか?決まったなら、とりあえず顔見せでも済ませるかの。儂が弟子を取るなど、久方ぶりじゃ。転移の術を使うから、しっかり我に捕まっておれよ」
さらりと言われた言葉。
一瞬、思考が止まった。
「どうした?あぁ、大丈夫じゃ、今日は顔見せだけだぞ?」
何を誤解したのか爺がにこにこ笑いながら話しかけてくる。
それは、要するに。
「俺にあんたの弟子としてギルドに入れ、と言いたいのか?……いや、入るものだと決めつけてるな?」
沸々と、湧き上がる怒りを必死に押さえつけて、俺は静かに爺に問う。
「……入らんのか?」
どうやらこの爺の中では、それはすでに決定事項らしい。
しかも。
この爺の戯言によれば、俺はこいつを『師匠』なんぞと呼ばにゃあならん展開になっているらしい。
……そんなもの、糞食らえだ。
「入る。連れて行けよ」
にっこり笑って、言ってやる。
舞い上がった爺は俺の思考を読むこともやめてしまったらしい。
ますます、ことの進みが楽になってきた。
爺の持つ杖に左手を預けると、意識は一瞬で暗転した。


 ぐらぐらする頭を必死に支えて、両足を突っ張った状態で目を開けた。
「おぉ、最初の転移で立ったままとは、なかなかどうして、やはり筋がいいようじゃな。さぁ、こっちだ。おいで」
……爺の声も耳に入らないほど、そこは、驚くほど美しい世界。
今までいた場所と季節が北領の秋だったからかもしれない。
周囲はすでに葉も落ち、時折雪がちらつくほどの寒さが身を覆っていた。
そこから、まさに春の最中のような場所に立っているのだ。
びっくりしない方がおかしい。
転移の魔術、と言うくらいなのだ、おそらく、北領から魔術師ギルドに飛んできたのだろう。
これでは、実際の世界のどこにギルドがあるかなんて、ちっとも分からない。
俺を促して勝手に移動する爺の後を追いかけていたら、爺はまたしても勝手にぺらぺらと喋り始めた。
すれ違う、爺と同じようなローブを纏った人間が慌てて会釈するあたり、どうも本当に爺は偉い人物らしい。
……嘘臭いな、と思っても俺に罪はないだろう、絶対。
「ギルドの場所は、ギルド長である我しか知らぬ。代々、ギルド長のみが知る最重要機密なのだ。外側からは見えぬように結界も施してある。魔術の仕組みは、またこれからじっくりと教えてやるわい。焦るな」
笑う爺は、俺が連れてこられて本当に嬉しいようだった。
その顔に、才能のある子供をゲットしました、自慢してやるぞって書いてある。
……とは言っても俺は、こんな機会に恵まれたことはともかく、爺の弟子になるなんて欠片も嬉しくないし、ついでに爺の望みを叶えてやるつもりもないんだがな。

 しばらく歩いてたどり着いた場所は、どうも、集会場のようだった。
何人か先客がいて、そいつらもやっぱりローブを纏っている。
「まぁ、その辺にゆっくり腰掛けとれ。皆が揃ってから、紹介するでの」
爺はえらくご満悦のようだ。まぁ、今すぐ張り倒したいのも山々だが、まだだ。俺は、俺の師匠を選ばなけりゃならない。
 魔術師ギルドの内部。物珍しげに部屋を見回す。
とは言っても、内装は俺のいた城と大して変わらない。窓から外を覗けば、たくさんの建物と渡り廊下が目に入った。
どうやら1階建ての平屋ばかりで、それが幾棟も並んでいるようだ。地面は全面を芝生に覆われ、屋根までの高さの木々が緑の梢を揺らす。確かに景色は綺麗だが。
どこに行っても、あまり見かけない造り。

 「皆、待たせたの。実は、久しぶりに弟子をとろうと思って、スカウトしてきた」
総勢10名の薄墨色のローブ。その中唯一の漆黒のローブの隣に俺は立たされる。
「紹介しよう。北領主の息子のクルツ=ライドじゃ」
ほれ、お主も何とか言え、と促され、ようやく俺は口を開いた。
「……とりあえず、力が欲しくないかと唆されてきたが、俺はこの爺の弟子になる気はない。俺には、俺の意思で師匠を選ぶ権利がある。この才能は誰のものでもなく、俺のものであって、爺に見つけられなければ、俺は別の師匠に巡り会えたかもしれないのだから。……俺は、正当な要求をしているつもりだが?」
すらすらと口上を述べてやる。
途中からぽかんと口を開けて唖然、一言も発しない目の前の薄墨ローブの奴らと、わなわなと震える爺。
 どうやら、逆鱗に触れる一歩手前あたりにいるらしい。
それが爆発しそうになった一瞬前。薄墨ローブの向こう側、俺の正面に見える扉の奥が、ざわざわと騒がしくなった。
とんでもない激しく荒々しい足音、おそらくそれとすれ違った人のかすかな悲鳴。
「何じゃ騒々しい!!」
いらいらしている爺はそのまま声に感情を吐き出し、掛けた椅子から立ち上がった。
ばたん、と乱暴に扉が開く。
「うっわーわりぃね爺さん、予定入ってんのすっかり忘れてたよ。っつーか、いきなり集合なんかかけんじゃねぇよ!爺さんの葬儀かと思って慌てて帰ってきちまっただろ?……嬉しさのあまり」
乱れに乱れたざんばらの黒髪は、おそらく櫛を通せば真っ直ぐな髪質と艶を取り戻すだろう。上背のあるその体は、決してか細いだけではなくて、そこかしこに引き絞った筋肉がついているようだ。纏うものは、連中と同じローブではなく、一般的に着られている洋服、ついでに爺を嫌っているところもいい。そして、何よりその瞳。
あいつと同じ、闇夜を宿した漆黒。
一目で、気に入った。
「……あの」
「ん?何だ、綺麗な坊主」
「俺を、あなたの弟子にしてください!」
「は?あぁ、別にいいけど」
……あまりに簡潔すぎて、逆にこっちが焦った。
となりで爺が何か言いたげに口を開けたり閉めたり、全身をぷるぷる震わせてるけど、とりあえずそれは放置。
「ただし」
「え?」
鸚鵡返しに返ってきた言葉に、目を瞬いた。
ただし。
「名を捨てろ。お前、北領主の息子だろう」
「名を、捨てる……?」
突然の、しかもわけの分からない言葉。
名を、捨てる、とは……。
「そのままだよ。お前の名は世間に知られすぎている。その名を捨てろ。魔術師は名前に力がこもる。名を悪用されれば、どれほどそれ以前の名声が立派でもすぐに地を這い野に打ち捨てられてもおかしくない」
すいっと指を滑らせた彼は、ふわりと浮かべた華奢な細工の懐中時計を弄びながら淡々と続ける。
まるで、語り部のように体に染み入る声。
……この声自体が、魔力を持っているのではと思わせるような、芯が揺らぐ声。
それは途端に一変し、悪戯っぽい、からかうような口調に。
「それに、俺は権力者を弟子にとるなんてやりたくないね。身分も何もかもを捨てたまっさらな状態でなら。俺は、どんなやつでも素質があれば受け入れてやる。お前は、今までの自分を捨てて新しい一介の魔術師見習いになれるか?」
お前のような貴族育ちに、とでも言いたそうな視線で、鋭く見つめ返される。
……今の俺は、答えをひとつしか持ち合わせていない。
「何を捨ててでも、俺は魔術師になりたい。名を捨てることであなたの弟子になれるのなら、かまわない。……それに、この状況を見て、誰が弟子にしてくれると言うのですか?」
開き直って、苦笑交じりに返事を返した。
もう、ここまでくれば笑うしかない。
まわりの薄墨ローブたちは気を失いそうな蒼白な顔で、変なものを見るような目でこっちを見つめている。
爺は……触れるまでもないが、血管切れそうなほど額に青筋おったてて、顔を真っ赤にして震えている。
師匠となるだろう人を見れば、彼も爺を見て苦笑し、そして。
「お前の心構え、受け取った。今日からお前は俺の弟子。爺!喧嘩は買うが、裏でこそこそやるのはなしだぞ?正面からかかってくれば、いつでも相手してやるよ!おい、えーと……名なしじゃ都合が悪いな。フルネームは?」
「捨てた名なら、クルツ=ライド・ウルフィン・レインです」
さっと身を翻して扉に向かって歩き出したその人の背を追いかける。
俺の答えに彼はびっくりしたように目を瞬き、物覚えのいいやつと物分りのいいやつは大好きだ、と応じると、俺の肩をがしりとつかんで、声を上げて笑った。
「よし!元の名の頭をとって、今日からお前の名は、クラウンだ!名前の通り、お前はこのギルドの王冠を手にする。スパルタで行くから、しっかりついて来いよ!」
その明るい笑い声は、幼いころのあいつを思い出させる。
……始めて出会った頃の、無邪気な笑み。
懐かしい色を宿したこの人の下、俺は新しい名に恥じぬ力を身につける。
そして、必ず。
あいつの元に、帰る。


 それから、事情を話せばさすがにその日は家に帰してくれたが、その翌日早朝に迎えに来た……名前は、なんとキングと言うのだが……キングは本当にスパルタだった。
とは言え、生半可なものでない分、俺の覚悟もすぐに固まり、それからは案外、楽しい日々を送ることになる。
弟子になったばかりの頃は、キング(王)とクラウン(王冠)で、俺がキングのお飾りになるんじゃないかとふざけた噂が流れもしたが、俺がすさまじい速さで実力をつければ、すぐさま消えた。
もちろん、爺も口を出せなかった。

 なんせ、俺の師匠は爺の孫で、しかもその当時のギルド最高水準の実力を持った、ただ一人の第一級魔術師だったのだから。




<< text index story top >>
女王と騎士と魔術師と。外伝2