彼と彼女の出会い
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 それは、かの国の王が、賢王たる名に相応しい治世を行っていた頃のお話。

「お父様!お母様!おはようございます」
きらきらと輝くような笑い声が、走り寄る。
少女を迎えたのは、立派な貫禄を備える壮年の男性と、控えめな上品さと暖かな優しさを兼ね備えた女性。
笑い声の主は、両手を広げて出迎えてくれる男性に飛びついて、満面の笑みを浮かべた。
「おはよう、リィ」
「支度はしてもらったかしら?」
柔らかな声に包み込まれて、その笑みをさらに大きくした少女は、こくりと頷く。
「はい!……でも、どうして今日は『特別』なの?お父様やお母様のお誕生日でもないし、私の誕生日はこの間済んだところでしょう?」
そう言って、彼女が不思議そうに片側に倒した頭を撫で、彼女の父は笑って囁いた。
「とてもいい物を見せてあげよう。きっと驚くぞ」
同じように声を潜めて微笑む母の隣りで。
 リィは、ただ首を傾げることしか出来なかった。
ちっとも分からない。
可愛らしい頬を膨らませて小さな意思表示をするが、それにさえ両親は笑うばかり。
もうすぐだよ、と焦らされても、まだ幼い彼女には、両親が自分に黙って楽しいことをしているように、見えた。
「……酷いわ!なに?何なの?私、今知りたい!!」
しばらくそうやって父の腕の中でじたばたと暴れていたリィだったが、ふいに響いた叫び声に、はっとした。
「……お父様、今の、何?」
聞いたこともないような乱暴な言葉遣い。声の響きは北風のように冷たくて、けれど大人とは違って、少し高い。
「何度言わせるつもりだよ、ふざけるな!!こんな暑いところに連れてきやがって、しかもこの服は一体何だ!!冗談も大概にしろ!!」
「おやおや……あれでは、北公も大変だな」
とんでもない暴言に縮み上がっているリィを横目に、彼女の父は苦笑した。リィを向かい合って抱き締める形から、同じ方向へ向けて肩に持ち上げる。
「お、お父様?」
「あぁ、大丈夫だよリィ。害はないから」
「えぇ、たぶんリィにはないわ……お兄様が、どうなっているか見物だけれど」
父の傍らに立っている母は、くすりと悪戯そうに笑って、呟いた。
何が来るのか……得体の知れないものへの恐怖に、リィは声が上がるたび、びくりと震えて父の首にしがみついていた。

 そして。
ばたーん、と突然、しかも乱暴に開かれた応接室の扉に、リィは顔を伏せて小さく悲鳴を上げた。「だから、ここに何があるってんだ!いい加減にはっきり言わねぇと」
「国王陛下の前だ!大人しくしないか!」
父に似た年頃の男性の声と、先程の暴言を吐いた声。
そろりと目を開いたリィの目の前には、天使がいた。
銀色の髪の毛が、肩の辺りでさらさらと揺れている。こちらを見つめ返している瞳は、鋭くとがった深紅。まるで人とは思えないような美しい髪や顔の造りなのに、全てがけんのある目つきによって打ち消され、ようやくその美貌を人のものに見せている。
その後ろには、天使の面影をかすかに残す整った顔立ちの壮年の男性が。ただし今は、その美貌も色褪せるほど取り乱し、荒い息をついていた。
呆然と目を見開いて天使を見つめるリィに、彼も驚いたらしい。びっくりしたように目を瞬き、けれど周りを見渡すと、すぐさま居住まいを正した。
「……国王陛下ならびにシーリュ王妃様、リーザリオン王女殿下、お見苦しいところをお見せいたしました。申し訳ありません。私、北公の第一子、クルツ=ライドでございます」
さらり、と髪が肩を滑る。かすかなきらめきを残して、天使は彼女たちの前に膝をつく。
力一杯の悪態と抵抗はどこへ消えたのか、その姿はまさに、天使。
「リィ、彼はね、お父様の従弟の、息子さんだ。北の壁を守っているのが誰か、歴史で習ったかな?」
「えっと……ウルフィン北領主様!お母様の、お兄様!」
「うん、そうだね。それじゃあ、リィの何かな?」
うーん、と首を傾げる彼女をそっと床に下ろして、彼女の父は頭を垂れたままの少年の手を引いて立たせた。
母は、汗ばんだ額をハンカチでぬぐう壮年の男性と談笑しているようだ。
「お母様のお兄様は私の伯父様だから、従兄!そうよね?」
「よく出来ました、だな」
「伯父様、お久しぶりです。いかがお過ごしでした?」
にこりと微笑んで頭を撫でてくれる父の腰に抱きついて、伯父に簡単なあいさつを済ませたリィは、立ち上がった天使に目をやった。まっすぐ立った彼は自分より少し背が高くて、宝石のような目をしている。見れば見るほど、引き込まれるような美しさ。
「はじめまして、リーザリオン・レインです。リィと呼んでください。お目にかかれて光栄ですわ、天使様」
「……天使?」
ドレスの裾をつまんで礼儀正しくお辞儀した彼女に、彼はいぶかしげに目を細める。
リィは笑って言った。
「天使様じゃないのなら、ウサギさんでも、いいかしら?」
綺麗な銀色の毛並みとルビーみたいな目が素敵よ、と楽しげに笑う彼女に、彼は怒ることも出来ず沈黙した。明るい笑顔は、彼の戸惑いを吹き飛ばすほど華やかだった。
「……ライ」
「え?」
「ライだ。ライでいい」
照れたようなぶっきらぼうな口調に、いつ無礼を働くかと冷や汗をかいていたウルフィン公は即座にいきり立った。
「ライ!!」
「待って伯父様!いいの、私ね、昔からお兄様が欲しかったの。ライ、一緒に遊んでくれる?」
「……父さん」
すいと視線を滑らせたライは、ウルフィン公の伏目がちな吐息にぱっと表情を明るくした。
「行って来ます」
「ありがとう、伯父様!お父様お母様、行って来ます!」
体当たりするようにウルフィン公に抱きついて、リィはすり抜けるようにライの手をつかみ、走り出した。
「リィ!遠くまで行かないようにね!」
母の声を背中に聞き、リィは華やかに笑い声を上げながら、応接室の扉を力任せに押し開いた。
「大丈夫!中庭までーっ!!」
「ライ!姫様をきちんとお守りするんだぞ?!」
「わ、わかっ……リィ!危ないだろ!」
「だーいじょうぶーっ!」
駆け抜ける足音、遠ざかる笑い声、彼女の行動を諌めるライの叫び……

 それが、二人の出会いだった。




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女王と騎士と魔術師と。外伝1