恋愛予行演習 5
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 「美味しー、透次さん料理も出来るんだ、やっぱり大人だ!」
「つーか、何でそんな無茶するんだお前は」
深く深く溜め息をついた透次さんに、首を傾げてみせる。
 1週間ぶりの食事はやっぱり美味しい。目の前には、一番笑ってて欲しい人がいるし。その人の手料理だし。
 さっき、乗り込んで行った透次さんの部屋で抱き締められて、観念した私の腕を掴んだ透次さんは、いきなりその腕を包んでいたセーターをめくり上げた。
『何だこの細さは!!』
1週間飲まず食わずの、点滴生活を送ったって言ったら、すごく怒られて、リビングに連れてこられて、何かしばらくごそごそした透次さんは、食べろ、って深いスープ皿を目の前に置いた。
 目の前には、透次さんが『ありあわせだぞ』と言いながら出してくれたリゾットとフルーツの缶詰のヨーグルトソース和え。透次さんはリゾットのために作ったコンソメスープに色々足したスープスパゲティを食べてる。
一緒に食べる人が透次さんだってだけで、こんなにも楽しい。
食べられる、って思った。
「だから、大人な透次さんとの差を見せつけられて、色々」
「お前、まだそれ言うか。大人は高校生に手出したりしないの。俺これでも22だぞ?」
にじゅうにさい。それだけで十分大人だと思う。5歳違いの夫婦だってたくさんいると思うけど、そういうのはまた別なんだろうか。
大学生ってことは、4年生なのかな。だからあんなにたくさんの本があるのかな。
「……さっき、作ってたの卒論?」
「違う。原稿」
即座に否定した透次さんが、だらしない姿勢でずるずるーってスープを啜る。家でやったら嫌になるくらい怒られそうだなぁ。
「じゃあ卒論でしょ?」
「違う。新作の原稿」
新作。原稿と来ると、そういう系統のものしか思い浮かばない。
「……文芸部とか?」
リゾットに息を吹きかけながら聞くと、透次さんが顔を上げて苦笑した。
「某著名な新聞の、次のクールから始まる連載小説」
「何で透次さんが?」
おかしい。それって透次さんは関係なくて、深雪さんなんじゃないの?それともあれは、ネタをまとめてたの?
「まだわかんねぇのか?結構鈍いなぁ。だからな?俺が、梶原深雪なんだよ」
……さらっと言われた言葉の、どれだけが頭に残ったか、分からない。
「深雪さんお隣にいるんでしょ?……それとも透次さんが実は女の人で深雪さんだったとかそんなオチなわけ?!」
「阿呆か。俺が女だったらお前は困るだろうが」
いや、そんな自信満々言われるとそれはそれで恥ずかしいんですが。
確かにこれまでで1週間も前後不覚に陥るような恋をしたことは、ないけど。
「えと、困るけど、違うの?」
「誰が女だ。俺の切実な胸の内を読んだんだろう。わかんねぇのかよ?」
……いや、その。
 友達から受け取った白いハードカバーの中身は、確かにずーっと切々ともう痛いくらいに語ってくれちゃって、はっきり言って皆さんにお見せするのはまずいんではとか思うくらいなんですが。
私の、微妙な、複雑な気持ちが顔に出てたのか、透次さんがおずおずと尋ねてきた。
「……お前、まさか変な誤解してないか?この本、俺が自費出版で作った世界に一冊しかない本だぞ?こんなもん店頭に並んだら、いくら俺でも生きていくのを挫折してしまう気がする」
「えぇっ?!そうなの?」
そんな世界に一冊しかない本、いいのかな?!って言うか、ホントに透次さんが梶原深雪なの?え、結局どうなの?
「……馬鹿を言うな、頼むから」
いいからさっさと食べろ、ってぬるいリゾットを差し出されて、私は素直に頷いた。
なんか、もう、言われたことが理解できなくてどうすればいいのか分からないけど、お腹がすいたって、頭がちゃんと認識できてる。冷め切ってしまわないうちに、食べたほうがいいんじゃないかなって思った。
食べたい、って考えるのは、ホントに久しぶり。
「咲姫ちゃん!!大丈夫?!ケダモノになんかされなかった?!」
スプーンで何度かリゾットを口に運んだ頃、ダイニングに駆け込んできたのは、かなり取り乱した深雪さんだった。その真剣な表情に、あぁ、心配してくれたんだ、って嬉しくなる。
「透次さん、ケダモノだったんだ、やっぱり」
確認をとるように透次さんのほうを見た。
「何だよそのやっぱりって!」
「透次!!咲姫ちゃんに何したわけ?!」
「してねぇって言ってるだろうが聞けよ馬鹿姉!」
「聞いてあげるもんですか、大事なファンにあんたってば、どうしようもない子ねホントに!」
……なんか、姉弟喧嘩の引き金引いちゃったみたい。
なんとなく面影の似通った顔が二つ、テーブル越しに顔をつき合わせて睨み合っている。この光景は、なんか珍しくて面白い。私は一人っ子だから、喧嘩したことないし。
「だから!……あぁもう、そんなことはどうでもいいんだった。おい、こいつ、俺がせっかく話してやったのに分かってくれねぇんだ。お前からも何とか言ってくれ。俺にはもう無理だ」
先に折れたのは透次さんらしい。深雪さんがガッツポーズしてるし。
大きすぎるくらいのスープ皿を抱え込んで、のろのろと口を動かしている私は、それを見てるだけ。透次さんが、ほら、って私の方を見て視線で促す。
深雪さんが、隣の椅子に腰掛けて、向かい合うようにして笑顔で言った。
「だからねー咲姫ちゃん、騙してたってことになるんだけど、私は透次の隠れ蓑なの。原稿を書いてるのは透次で、世間様に出て行く広報は私。てことで、正確には私じゃなくて透次が梶原深雪なの。透次は大学に通いながら自由に動き回ってネタを探して好きなように書く。私は、そんな透次の代わりにパーティーとか公演とか握手会とかファンサービスをして、家の中でじっとしてる。そういうことなの」
にこにこ笑顔のままでまくし立てられて、私のスプーンもさすがに止まった。
「え……え?ホント、の、ことだったんですか?!」
だって、だって、深雪さんは深雪さんで……ってことは私、今までずぅっと本物の、小説を書いてる『梶原深雪さん』と一緒にいたわけなの?本物の『梶原深雪さん』に攫われたわけなの?何で?何でそういう非常事態が起こっちゃうの?!
「ほら信じてなかった。っつーか、何で俺の言葉は信じないんだ?」
おろおろしてる私に向かって、透次さんが溜め息ひとつ。それに深雪さんはさっきの喧嘩のノリで応じてる。
「前歴がいっぱいあるから」
「お前が言うな!!」
この姉弟喧嘩はそれはそれで面白いんだけど、いや、でも今はそれよりも。
「えーと……な、何でそんなことしてるんですか?別に、透次さん自身が顔を出しても、本は絶対売れるし、むしろ更なるファンの獲得に……」
「そこには、まぁ、色々深い事情が……」
今度は、深雪さんが言いにくそうに呟いた。透次さんが、ふんと鼻で笑って、口を開く。
「この馬鹿姉が、俺が叔父夫婦んとこに養子に入ったら、勝手に怒りやがって、んで、勝手に俺の部屋に入って勝手に俺の書いた話持ち出して勝手に『梶原深雪』で投稿したら、それがうっかり銀賞に輝いちまったんだ。だから、俺がデビューしたのは実質……大学1年くらいか」
「……それって……深雪さんだけが悪いんじゃないと思う」
さらっと透次さんは言ったけど、あの、養子縁組でいきなり姉弟の縁切られたら、普通は怒るんじゃないかな。よく分からないけど。
「そうでしょ?!それにね、透次ったらひどくって、せっかく入賞したのに『俺の大学ライフをめちゃくちゃにする気か!』って逆ギレするのよー?で、俺の大学ライフを守るために、お前が『梶原深雪』になれ、なったら俺が原稿書いてやるからって……」
「せっかく普通に大学入ったってのに、また高校ん時みたいに付き纏われるの嫌だったんだよ。お前だって知ってるだろ、あの時どれだけ大変だったか」
言葉に詰まった深雪さんが、悔しそうに唸った。透次さんは、やっぱり偉そう。
そんな透次さんが、大変、なんて言うんだから、相当のことなんだろう。
「何?何があったの?」
興味津々で訊ねたら、結構あっさり答えてくれた。
「……俺、高校は永林だったんだ。外からの編入組。それだけでも目立ってたんだが、現国の教師にえらく気に入られて、授業で詩やら短文やら出すたびに学校誌に載せられたりしてまぁ色々と」
「えーっ、じゃあ私の先輩なんだ!うわー知らなかった」
そうか、だから永林の校則を知ってたんだ。ようやく少し納得する。
多分透次さんは、その頃から有名だったんだろうな。……でも、透次さんが高校生のときって、私……中学?下手すると、小学生かもしれない。それを考えると、なんとなく寒気が走った。
と、電話が鳴った。
続けて話して、電話の音を無視してる透次さんに、仕方なく深雪さんが席を立った。
「そこまでは俺も我慢できたんだが、2年の3学期だったか、小さい短編小説を出してやったら、それをそっくりそのままこいつみたいに勝手にどっかの出版社に送りつけやがった。そしたら、なんか訳の分からん怪しいおっさんたちが寄ってたかって俺を付け回すもんだから、仕方なく叔父夫婦んとこに厄介になって、そのまま子供がいない叔父さんたちの養子になったってわけ。学校も遠くなったから転校して、名字変われば、なかなか気づかないだろうと思ってな。実際、3年は静かに受験勉強に励めたぞ」
だけど、それってわがまますぎるわよね?!と深雪さんが電話のベルを差し置いてまで私に詰め寄った。えーと、でも、付き纏われるのはちょっと……勝手に、ってことは無断なんだろうし。
……あれ?
そこまで聞いて、ようやく気がついた。
「それじゃ、あの羽と血痕と香水の話って、透次さんが永林に通ってた頃書いたやつだったりとか……?」
渡されたコピー用紙に、作者の名前はなかった。だから、ただ友達が発掘してきただけかと思ってたんだけど……そうじゃ、なかったんだ。
「あぁ。あれが、その送りつけられた短編だよ。あの頃は俺も若かった……あの結末に、今のミステリー系梶原深雪は想像つかなかっただろう」
もらったコピー用紙のお話は、タイトルが『恋愛予行演習』。始まりは絶対ミステリーだと思ってたのに、結末に至る頃にはいつの間にかラブコメになってたと言う、なんだか騙されたような、それでいて読後感の気持ちいいお話。あの読み切ったあとの感じは、確かに梶原深雪さんによく似てた。
それでも、気づくわけない。
人を本気で好きになったことがなかったタラシの大学生が、一目惚れしたミステリー好きの女子高生を連れ回すために、羽や血痕を用意しただなんて。そんな冗談みたいな結末を、深雪さん……実際は透次さんなわけだけど、書くなんて思うわけがない。
「もし……もし、あの日、その話の主人公を俺に見立てて、お前を連れ回してその通りに告白するつもりだった、って言ったらどうする?」
「へ?」
「だから、もしそう言ったらどうする?」
さらっと、透次さんが呟いた言葉を頭の中でシュミレートしてみる。
その上での、答え。
「……今、再現して欲しい。聞きたい」
うきうきしながら透次さんに詰め寄ったら、透次さんは溜め息をついて、苦笑しながら分かった、って、囁いて。
『……俺は、今まで人を好きになることが分からなかった。けど、今はそんな自分が信じられないくらい振り回されてる。この気持ちは……手放さないし、今まで溜め込んできた分、容赦もしてやらない。今までのは全部、予行演習だ。お前と恋愛するための、予行演習だったんだろうよ』
透次さんが、笑う。
「だから、タイトルは恋愛予行演習なんだ。途中で筋書きはずれたけど、俺はちゃんと結末にたどり着けた。この短編さえも、俺がお前を手に入れるための予行演習だったんだから」
その笑顔に、もう、何も不安はなかった。
この人なら、きっと一緒に楽しめると思う。
大人だとか子供だとか関係なくて。
だってこの人は、子供だもの。
ようやく恋愛の本番にたどり着いた、私と同じラインに立った人だもの。
大丈夫。
もう、迷わないから。




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恋愛予行演習 5