走馬灯 6.走馬灯
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 染みひとつない真っ白な天井。
漂うのは、消毒液の独特な匂い。体の感覚がないのは、麻酔だろうか。
「……生きてる」
「目、覚めたか?」
突然耳元に届いた声に、心臓が大きく高鳴った。
それは、確かに彼のもの。
「……慎吾?何してんのよ……追試は?」
彼のためにノートを取りに行ったのだ。へまをしたのは自分だが、彼がここにいる理由にはないはず。
窓から入ってくる光は、赤い。
「……何してんのって……それはちょっとひどいんじゃないか?心臓止まるかと思ったんだぞ」
まさか空き巣と格闘してたなんて思いもしねぇっての。
そう言って笑う慎吾の表情には、安堵が見て取れた。
「でも、腕……切られただけ、じゃない」
「そんなことされるためにお前は俺の部屋に乗り込んでったのかよ?」
「違うに、決まってるでしょ……」
全身のけだるさが、ゆっくりと染み渡る。
深く息を吐く茅沙に、慎吾は笑って「そりゃそうだ」と応じた。
病室に、二人きり。
お互いの呼吸の音しか聞こえない、静かな時間がゆっくりと流れていく。
脳裏を駆け巡った、過去の記憶……あれを、人は走馬灯というのだろうか。
認めるには少し重たい感情が、胸の奥に苦く残っている。
今はまだ……言えるほどの勇気はない。
微妙な元幼馴染の距離は、縮まるようでなかなか縮まらない。
そんなものなのかもしれない。
「……おい?」
「何よ……文句なら聞かないわよ?私のせいで、テスト受けられなかったわけじゃないんだから」
そう、なるべく悪い方へ転がらないよう先手を打つのは、茅沙。
後手に回った慎吾は、その言葉を否定できるはずもなく、再び苦笑を漏らした。
「別に恨み言聞かせようなんて思ってねぇよ。次から赤点取らないですむように、お前にでも教わるかなって思ってさ」
あまりにも意外な言葉が、普段の慎吾とはかけ離れて、茅沙には気持ち悪くさえ思えた。もしかすると、自分が怪我をしているからそんな殊勝なことを言っているのかもしれない。調子のいい彼が、まさか体を動かす時間を削ってまで勉強だなんて。
「……考えただけでぞっとするわね。あんたが暴れずにじーっと机に向かってる、なんて。そんなこと出来るわけ?」
じわりじわりと体に浸透した痛みが、茅沙の表情をかすかに歪めさせた。
慎吾は、気づかない。溜め息混じりにじっと自分の手を見つめている。
「そんなこと言ったって、やらなきゃ俺は卒業できないんだぞ?やるしかない。うん」
「そんな、あんたが真面目に勉強だなんて……夢みたいなことあるわけないわ……」
茅沙は口をついて出た言葉に思わず笑い、そして……ぞっとした。
「これ……夢じゃないよね?!私が生きてるの、夢だったりしないわよね?!」
慎吾がこんならしくないことを言うのも、自分がここにこうして寝そべっているのも。すべてがあの走馬灯に見せられている泡沫の夢だったとしたら……。
考えるのも、怖い。
そんな茅沙の不安を、慎吾は笑顔で一蹴した。
「バーカ。んなわけないだろー?こんな現実感溢れすぎる夢あるかよ。お前、ホント大丈夫か?」
慎吾の言葉に深い深呼吸で応じた茅沙は、ゆっくりと、口を開く。
「……まだ、自分の中で整理ついてないんだけど。なんか……意識失った後、走馬灯を見たわ。死にかけたわけでもないのに、気が早いよね。色々回想しちゃった」
小さい頃の自分を振り返るなんて、久しぶりでちょっと恥ずかしいくらいだったわ、と淡い笑みを浮かべる。
「走馬灯って……おいおい、ホントに大丈夫なのかよ?」
「大丈夫なんじゃない?今生きてるこの時間が夢じゃないんなら。……でも私は結構ずるいし、あんまり素直じゃないから、軽く誤魔化してしまおうと思って」
ふと、茅沙の表情が消えた。せっかく、慎吾と二人きりなのだ。
自分できちんと自覚していない、曖昧な気持ちでしかないけれど。それでも、事実を匂わせる程度ならこのまま流れに任せて言ってしまってもいい。
分からなければ分からないでいい。
何をバカなことをと笑われてもいい。
そのときは、いつものように冗談に見せかけて笑えばいいんだ……そう思えた。
「はぁ?……どういう意味だよ?微妙すぎて俺にはいまいちわかんねぇぞ?」
もっとはっきり言えよ、と促す慎吾の困惑が手に取るように分かる。普段は見ることの出来ないそんな様子が面白くて、茅沙の苦笑を引き出す。
「こら、笑ってないで説明しろって」
「そうね……なんて言えばいいのかしら。走馬灯の中で、短い人生を……しかもかなり偏った形で振り返ってみたわけだけど、やっぱり一番楽しいのは……もっと欲しいと思うのは、あんたとこんな風にバカ話してるときなんだな、って思ったの」
その奥の真実を言うには、もっとたくさんの勇気や自信が必要で。
それとは別の、多くの気持ちで幾重にも包んだ言葉で伝えた。
どんな答えが返ってこようと、平気だ。自分の気持ちを納得させた次の瞬間、慎吾が、軽く息を吸い込んだ音が聞こえた。
「バーカ」
「え?」
「お前、怪我して気ぃ失ってそんなこと考えてたのかよ?これからさっきみたいなことないようにちゃんと注意してれば、そんな時間、いくらだって持てるって」
顔を向ければ、その表情には薄い微笑み。
それはきっと、ただの幼馴染への笑顔。
「さて……あんまり話させてるとお前の先生に怒られるからな。そろそろ寝ろ。寝付くまで、ここにいてやるから……昔みたいに」
「……そうね。目が覚めるといつも慎吾がいて……」
いつも、怒った顔で『馬鹿じゃねーの』とか憎まれ口を叩いて。
「今日は、ごめん。危ない目にあわせて……お休み」
ゆっくりと下りる瞼に、滲んだ涙が染み込んだ。




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