モノカキさんに30のお題 29.おかえり
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 それから、二人はたくさんのことを話した。めぐみの父のこと、めぐみを助けてくれた原田の友人のこと、高木のこと。
たくさんの人を傷つけ、迷惑をかけ、心配させたのは事実だけれど、それらをすべてきちんと理解した上で、お互いに幸せになろうと、そう約束する。
並んで歩く道に、二人の唇から自然と笑みがこぼれた。
「先輩、やっぱり勉強、みてもらっていいですか?誰もいない部屋で勉強しても、張り合いないし……ご飯作っても、美味しくないし」
ゆっくりと顔を上げ、小首を傾げるめぐみに、原田は笑う。
「もちろん。ただ、もうめぐみちゃんの家に居候、ってわけにはいかないから。教授も俺たちのこと知ってるし、いくら安い家賃だっていっても、もったいないからね」
それから明後日の方向に向いて、それだけじゃないけど、と呟いた原田の言葉は、めぐみには届かなかった。
「じゃあ、晩御飯と、家庭教師と。……なんかパパ、自分がいる時じゃないと来ちゃ駄目ーっ、とか、無茶言いそうな気がする……」
苦笑混じりに溜め息をついためぐみの言葉に、原田はこっそり同意した。
「……あぁ……そうしてほしいなー……」
ぼそりと呟いた声だったのに、今度はめぐみにしっかり聞こえてしまったらしい。
「えぇっ、どうしてですかー?!勉強みてもらってる間中べったりくっつかれて観察されるんですよ?気持ち悪いじゃないですかー」
「……いや、うん……なんて言うかね」
原田は苦笑で言葉を濁して、困ったな、と頭をかいた。
 空にはすっかり、赤い夕暮れ色が落ちている。東の青紫色から太陽のそばの朱色へのグラデーション。ここ最近は、それを綺麗だと感じる余裕もなかった。見た記憶さえない。
夏がやってきている。知らない間に……感情の変化に似た静けさで。
けれどそれは、確かに感じられるもの。何度も繰り返してきた季節を経験したから、肌で分かる。
今まで知らなかった感情をようやく自分のものにして、原田の胸は軽かった。
「……めぐみちゃん」
「はい?」
はたと立ち止まった原田に呼び止められ、数歩先に進んでしまっためぐみはくるりと振り返った。
原田が、柔らかな笑顔で手を差し出していた。
「……夏が来たら、暑くてこんなことできないから」
「はぁ」
「手、つなごうか?」
夕焼け色に染まった頬は、太陽のせいか、それとも照れのせいだろうか。
一瞬そんなことを考えためぐみは、すぐにつまらないことだと放り出して、原田の手に自分の手を重ねた。
 夕日に照らされながら、ぼんやり歩く。
裏路地は広い道と違って車の排気音もなく酷く静かで、時折、民家の台所から美味しそうな匂いが漂ってきたり、包丁を使う軽やかな音が聞こえてきたり、お風呂に湯を張る水音が響いてきたりする。日常の一部を切り取ったように、人の気配に満ちた路地は、温かい。
 ついさっきまで時間も、心も遠く離れていたのに、今はこんなにも近い。
時間も、繋いだ手の感覚も、感情も共有していると言う現実を強く実感させてくれて、それだけで胸が温かくなった。
「……先輩」
「ん?」
めぐみが原田を見上げれば、原田からも同じように視線が返ってくる。
めぐみはにっこり笑って、はっきりと言い切った。
「私、絶対看護士になります」
「……どうしたの、急に」
原田がびっくりしたように目を見開いて、首を傾げている。
確かに唐突だろうな、とめぐみも頭の片隅で考えながら、見つめてくる原田の視線から目を逸らした。
「先輩が、お医者さんになったら。先輩にそばで見ていてもらうためには、看護士になるのが一番早いと思いません?もともと看護士は私の夢だったし、一石二鳥です、いいでしょう?」
めぐみは機嫌よく笑って、軽く走り出した。原田と繋いだ手はそのままだから、原田も一緒になって走る。この路地を抜ければ、もうマンションは見えてくる。
「一石二鳥って……いや、うーん……まぁ、そうやって目的を持ってた方が合格も近くなるし、そういう意味で一石二鳥って言った方がいいような気も……」
唖然としながらもきちんとした返事を返してくれる原田に、めぐみは苦笑した。
きっとこれからもずっと、自分たちはこんな風に時間を共有するのだろう。
笑って、泣いて、怒って、困って。
その間に、たくさん傷ついて、たくさん傷つけるだろう。自分たちも、関わる人たちも。
それでも、幸せになりたい。

 見慣れた玄関のドアを開く。
原田は、二度と見ることはないと思っていたドアの前で、しばらく躊躇した。
めぐみはそんな原田に構わず、さっさと鍵を開け、がちゃんとノブを回す。
そして、一歩先に玄関へ踏み込み、そして振り返った。
めぐみの視線に気づいて、原田も顔を上げる。
しばらく、静かに見詰め合って。
「先輩。私、先輩と一緒に戻ってこれたら、どうしても言いたいことがあったんです」
「ん?何」
にっこりとめぐみが笑って、先程の原田のように手を差し出した。
「先輩……お帰りなさい!」
その言葉に原田は一瞬唖然とし……差し伸べられた手を取り、恥ずかしそうに笑った。




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