モノカキさんに30のお題 28.記憶
<< text index story top >>



 「……先輩」
泣きそうに潤んだ声が、自分しかいないはずの閲覧室に響いた。
ただそれだけで、他のことは何も考えられなくなった。
記憶の中のどの瞬間の声よりも、純粋に己を求めてくれる声。
幻聴だったらどうすればいいだろう。振り返るのが、とても怖い。
「先輩……」
小さくしゃくりあげる声が聞こえて、原田はいてもたってもいられなくなった。
幻聴でも幻覚でもいい。
彼女の姿が見られるのなら、声が聞けるのなら。
椅子を引くのももどかしく、乱暴にそこから抜け出して、たった数歩の距離を縮めた。
手を伸ばす。
「……めぐみちゃん」
「ご、ごめんなさい……!お勉強の邪魔してっ、な、何でだろ、違うんです、泣くつもりなんてなかったのにっ……!」
腕の中には、ちゃんとした人肌の温もりと感触があった。手の平が触れる髪はつやつやと心地よく、小さく震える体が、その存在を夢幻とは別のものだと伝えてくれる。
「私になんか、会いたくなかったですよね……なのに、押しかけてきちゃって、ごめんなさい」
俯いて必死で顔を隠し、力の入っていない両腕で原田の身体から少しでも距離をとろうとするめぐみに、原田は首を振った。
「そんなこと、ないよ。きてくれて嬉しい。俺も……会いたかったから」
「え……?」
驚いたのか、めぐみが涙を浮かべた目で原田を見つめている。
原田も、自分の口から出た言葉に、ほんの少し驚いた。自分にこんなことが言えるなんて、思ってもみなかったのだから。
だが、本音なのは事実だ。会いたかった。声が聞きたかった。
そして……抱き締められるものなら、抱き締めたかった。
「酷いこと言って、ごめん。俺……ちゃんと分かってなかったよ。俺じゃ駄目だと思ってた、一緒にいられないって思ってた。でも……たとえ俺じゃ駄目でも、一緒にいられなくても、俺はめぐみちゃんじゃないと駄目なんだ。めぐみちゃんにはもっといい男が見つかるんだって頭では分かってる。それなのに、俺にはそれが我慢できない。めぐみちゃんのそばにいたいって、笑顔も泣き顔も、全部俺の目の届くところであって欲しいって……そう、思っちゃったんだ」
記憶の中の彼女は、もっと明るくて、元気で、いつも笑っていた。
けれど、目の前にいる彼女は……違う。
目に涙をためて、震える声で、今にも泣き出してしまいそうだ。
「……先輩が、悪いんですからっ……いっぱい泣いたし、いっぱい悩んだし、すごく、苦しくって……全部、先輩のせいなんだから……っ!!」
その言葉通り、彼女をこんな風にしたのは、自分だ。
知らないところで泣かせて、苦しめて……酷い思いをさせた。
自分が、ほんの少し迷って、躊躇ったせいで。
「ごめん。ホントに、ごめんね。……だから、もう一度やり直させてもらっても、いいかな?」
「……やり直し?」
そっとめぐみの髪を撫でてから、身体を離す。
めぐみが涙を拭って、不思議そうに見つめてくる。
「やり直し。今度は、俺がするから。聞いてて」
小さく笑って、原田は深く息を吸った。
「……俺、好きなんだ。めぐみちゃんのこと。自分の気持ちをちゃんと分かってなかったせいで、めぐみちゃんのこと傷つけたけど……それでも、好きなことに変わりはない。俺は、めぐみちゃんと違って欲張りだから……はっきりした答え、聞きたいんだ」
緊張にこわばっているだろう自分の顔を、真っ直ぐ見つめてくるめぐみがいる。
次第に赤らむその頬を隠そうとして、両手が口元まで持ち上げられた。
お互いに緊張していることがはっきりと感じ取れて、原田はゆっくりと表情を緩める。
「めぐみちゃん。よかったら俺と、付き合って欲しいんだ」
傷つき傷つけることを恐れすぎて、本当に大切な人を傷つけてしまった自分に、深く後悔した。求められているものを読み取れずに、自己満足にかまけてすべてをめちゃくちゃにした過去の記憶は、絶対に忘れないでいようと原田は誓う。
めぐみが、ゆっくりと微笑みを浮かべた。
今までで一番、嬉しそうで……綺麗な笑顔だった。
「……もちろんです。私は、そのために先輩に会いに来たんだからっ……!!」
とん、と軽く抱きつかれる感触に、反射的に腕を回す。
小さくて華奢な、自分よりも子供なはずのめぐみ。
なのにその意思は明らかに自分よりも強く、また逞しい。
けれどそれは、見かけだけだ。
深い部分で傷つき、ぼろぼろになってしまう。それなのに、なかなか他人に頼ろうとせず、笑って大丈夫だと言い聞かせる。
 だから、そばにいなければいけない。
傷ついて、つらい想いをしていないかどうか、すぐに確かめることが出来るように。自立することを求められていた彼女が、少しでも安らげる存在になるために。
「……たくさんひどいことを言って、ごめん。もう……二度とやらないから」
「あんなの、もう二度とごめんですっ。絶対、絶対……約束ですからね!!」
「うん。絶対……約束」
腕の中にある身体を、感情に任せて抱き締めた。
記憶の中に残っていた、冷たい言葉が解けていく。
めぐみの押さえ込んだ泣き声と、震えと、暖かさ。
それらが新しく、はっきりと色濃く残される。
忘れられないように、深く、強く。鮮やかに。




<< text index story top >>
モノカキさんに30のお題 28.記憶