モノカキさんに30のお題 25.棘
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 昨日会ったときはまだ元気そうだったのに、と高木は思う。
学校にやってきためぐみは泣き腫らした目元が痛々しくて、高木は生半可な言葉をかけることも出来ず大人しく彼女の姿を遠巻きに眺めていた。教室のあちこちで密やかに憶測が飛び交っても、決して彼女自身にその言葉が届くことはない。けれど彼女の周囲を守るように囲う友人数人の、柔らかい表情は少し意外だった。
普通なら、もう少し回りの会話に気を配りそうなものなのに。彼女たちは、お互いの会話を楽しんでいるだけのように見えた。めぐみ自身も、そんな環境に何の疑問も持っていない風だ。あれが、彼女たちの『普通』なのだろうか。
ぼんやりそのあたりを見つめていた高木は、ほんの少しこぼれためぐみの安堵した微笑みに、胸を撫で下ろして自分の席についた。

 それから、彼女が行動を起こすのは早かった。
「今日、これから行って来ようと思って」
帰宅の準備をしていた友人に、はっきりと言い切っためぐみは、彼女たちに熱い歓声と激励を受けて、二日前の腫れた顔が想像もつかないほど明るく笑っていた。
めぐみが笑顔を取り戻したのは高木にとっても安堵すべきことではあったが、それが彼女の想い人に会うためだとなれば話は別だ。
……止めなければ。
反射的にそう思って、高木は先回りすべく何食わぬ顔で教室を後にした。
 彼女が会いに行く相手のいる大学……確か原田だったか。そこへ行くためには、この道が最も近い。以前彼を待ち伏せしたときに通った道を、めぐみがすぐに追いつけるように、高木はなるべくゆっくりと歩いた。周りから見ればどこか変かもしれないが、そんな外聞を気にしている場合ではないのは明らかだ。
めぐみが、とうとう動き出してしまった。
ずっと手に入れたいと思っていた大切な人。
目の前まで迫っていると思い込んでいた。
それなのに、気がつけば目の前からすり抜け、見失い、あまつさえ別の男の手の中で、自分も見たことがないような嬉しそうな笑みを浮かべていた。
出遅れた、どころではない。取り戻すのも困難に感じられるほど、彼女を捕まえた男は強力だった。しかも……無自覚に。
腹が立った。彼女を横から掻っ攫われたのも理由のひとつだが、それ以上にどう頑張っても今の高木に手に入れることの出来ない、年齢以上の落ち着きと教養は、ひどく高木の癇に障る。
彼の話をするめぐみの、照れ隠しに似たはにかみの表情も、自分との差を見せつけられるようで許せなかった。
だから……邪魔した?
そこまで考えて、高木は自分の目的が大きくずれていたことに気づいた。
自分は、めぐみを手に入れようと彼に妨害を加えたわけではなかったのだ。
途中で躓いてしまった自分とは違い、真っ直ぐに伸びる竹のような育ち方をした彼が、よりによって己の想いを寄せる人の心まで攫っていってしまったから……そんな彼が、原田の存在が、気に入らなかったのだ。
もちろん、彼女の存在がなければ原田のことなど知るはずもない。けれど、知ってしまったら……耐えられなくなった。高木の過去の彼女たちも、高木をつなぎにして、原田のような男たちへと乗り換えていった。今までずっと、乗り捨てられてきたのだ。そんな自分の価値が分からなくて悔しくて、なおのこと彼のような男が嫌いになった。
得られた事実に、高木は深く溜め息をつく。
それでも……引くことは出来ない。引く気など、もともとありはしないのだから。
「……高木、君?」
「あぁ……めぐみちゃん」
訝しげな声を上げる彼女の前に、高木は立ちはだかった。
「言ったよね?邪魔するって」
にっこりと笑ってやると、めぐみはほんの少し怯んだように一歩後図去る。
そんな仕草も、愛らしい。愛らしいと思うし……同時に憎らしくなる。
「これが、最後の引き返すきっかけ。で、ボス前の罠、ってとこかな?」
冗談めかして笑ってやったけれど、めぐみの表情は変わらず硬い。
「どう?引き返して、オレの彼女にならない?」
「……ならないよ。高木君、そんなこと望んでないもの」
ぽつりと呟かれて、高木はぞっとした。
彼女に……己の何がわかるというのか。自分でも、つい今しがた意識したばかりだというのに。冗談に聞こえるだろう口調を装ったのに、躊躇いもなく見抜かれてしまっては、何の意味もない。
「そんないい加減なこと、言わないで欲しいな。オレは本気なのに。ねぇ、めぐみちゃん……あんな男、やめなよ。オレにした方がいい。めぐみちゃんの気持ち裏切るような男なんて。ただ歳食ってるだけの男なんて」
何を言えばめぐみの心を引き戻せるか、なんて関係ない。
高木にとっては、めぐみの心を得ることよりも、彼から奪い取るという事実の方が、ずっと重要なのだから。
「……私は……高木君が嫌いだから付き合えないんじゃない。先輩が好きだから。先輩じゃないと、駄目だから。……高木君は、今は信じられないかもしれないけどね?絶対、絶対いるんだよ?高木君じゃないと駄目なんだ、って言ってくれる女の子は。それから先、高木君がどうなっちゃっても高木君のそばにいたいって言ってくれる女の子が」
悲しげに眉を顰めて、懸命に訴えるめぐみの姿に、更に言い募ろうとしていた高木は思わず口ごもった。
「高木君が、先輩のことどう思ってても……もし友達におんなじこと言われたとしても。私の気持ちが動かない限りは、どうしようもないよね?」
そういうことなの、とはっきり言い切られてしまっては、高木にはどうすることもできない。もう、高木の打つ手は存在しない。
……あるとすれば、彼女が原田をきっぱりと諦めて、新しい恋に踏み出すのを待つことか。今何をしても、どれだけ説得力のある言葉を聞かせても、きっと意味はないのだろうから。
 高木が吐き出した棘を、彼女は甘んじて受け、血を流しながらも笑う。痛くないと、言い訳のような言葉を本気で口にする。
見ている方が、つらい。
今までがどうだったかは知らないが、めぐみはたくさんの棘が刺さったまま、平気だとこれからも笑うだろう。
どれだけ嫌いな相手でも、好きな相手でも。
傷ついても決して道を譲らない彼女のために、高木が出来ることは。
「……知らないよ、傷ついても」
塞いだ道をあけてやることだけだった。
「……大丈夫。私ね、かなり打たれ強いんだから。頑張れるの。……ありがとう」
笑顔を残して、走り出した後姿を……高木は、ぼんやり見つめていた。
いつか、現れるだろうか。
彼女のように、見た目で人を判断しない、美しい人が。
小さなしこりを残したまま、胸の中の想いを閉じ込めた。
いつか彼女と、明るく笑い合えることを信じて。




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