モノカキさんに30のお題 22.ふたり
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 あのまま、泣き明かして朝が来た。
部屋の中で静かにしていたら、父はどうやら寝てしまったと思ったようだった。取っておいたグラタンをちゃんとオーブンで焼いて、冷蔵庫の中を確認してサラダも出して食べていた。夜中に喉が乾いて水を飲みに行ったら、シンクの中で水を湛えたグラタン皿とサラダボウルが置いてあったから。そんな父との距離は、めぐみにも心地いい。
そのまま寝付くことも出来ず月を眺め、やがて空が白んでいくのを見た。それからしばらくすると父が出かける前に、部屋をこっそり覗きに来た。心配してくれるのは嬉しいけれど、今泣き腫らした顔を見られては父も仕事に専念できないだろう。そう思い慌ててベッドの中に入って寝たふりをしていたら、さすがにわざわざ起こしには来なかった。
父がドアを閉める音を聞いて、しばらくそのままベッドで寝返りを打つ。少しでも眠って忘れられるかとも思ったのだけれど、そうもいかなかった。眠気はちっともやってこないし、それに何だかあちこちが痛い。めぐみはベッドからにじり出た。
泣きすぎて頭が痛い。喉も渇いたし、何より目元がひりひりする。
めぐみは洗面所に行ってタオルを取り出すと、顔を一度洗って、濡らしたタオルを目元に当てた。
そっとタオルをはずすと、赤くなった目と、腫れた顔を鏡に映して、その酷さに溜め息をついた。ひんやりした感触が、額に触れた原田の手の平を思い出させる。
それに引き摺られるように共に過ごした時間が、まるで本のページが風でめくられているように、勝手に脳裏を過ぎ去っていく。
きゅっと歯を食いしばって、意識的に原田との思い出を締め出した。
考えればつらくなる。どうすればいいか分からなくなる。
思い出したくないわけじゃないけれど、思い出したくない。
めぐみにとって原田と一緒にいたふたりの時間は大切なもので、そう簡単に捨て去ってしまえるものでも、忘れてしまえるものでもない。
気持ちを整理するつもりが、ますます乱されてしまう。
彼に冷たい言葉を投げかけられても、腹が立つより悲しみが先に湧き出してくる。
優しい原田が、あんなにも酷い態度をとったのだ。何か、どこかに理由があるはず。
それとも本当に、勉強に専念したいから、なのだろうか。
原田は学生で、しかも奨学金で大学に通っているのだから、勉強をおろそかにするわけにはいかない。けれど、今までであればアルバイトの掛け持ちにめぐみと一緒にすごす時間まで加えてくれていた。わがままを聞いてくれただけなのかもしれないけれど、それでも一緒にいてくれたのは事実だ。
だとしたら、理由は何だろうか。
アルバイトを増やしたから?
勉強が難しくなったから?
テストが近いから?
それとも……勉強をおろそかにしてしまうような何らかの変化が、原田に起きたからだろうか。
勉強をおろそかにしてしまうような変化、があるとすればそれは……。
めぐみは、記憶の中をしばらく探し回って、ひとつの可能性を見出した。
それは、恋、だ。
忘れもしないついこの間の出来事。
彼と楽しそうに歩いていた人は、とても綺麗な大人の女の人だった。すらりと背の高くて、ヒールの高いミュールを上手に履きこなしていたし、その足で原田と同じスピードで颯爽と歩く人だった。めぐみには追いつけない、原田の当たり前の速さで。
 昔めぐみも、恋なんて知ってしまったら、きっと勉強に身が入らなくなって駄目になってしまうんだと思っていた時期があった。今はそんなことないと思うけれど、もしかすると原田は、あの女の人に勉強をする暇もないほど夢中なのかもしれない。
そうではないとは、決して言い切れないのだ。
そうだとすれば、つじつまが合う。
彼女がめぐみと同じ家に住んでいることを嫌がったのかもしれない。
ご飯くらい作ってあげるわよと、そう言ったのかもしれない。
そうでなければ、めぐみが想いを打ち明けたことで、すでに彼女のいる原田が気まずくなったのかもしれない。
そう言えば一度も原田に『恋人がいるのか』と問うたことはなかった。
優しい原田は、断ることも出来ずめぐみの前から去ることしかできなかったのだろう。
考えれば考えるほど、そうかもしれないと納得してしまう。
いや、きっと事実もそうなのだろう。
めぐみは深く溜め息をついた。なんてありきたりな終わり方。
好きになった人に、彼女がいた。略奪愛なんて、真似したいと思っていたわけじゃないけれど、それが出来るほどの魅力が自分に備わっていなければ、したくても出来るわけがない。
初めて抱いた想いなのに、こんなにもあっけなく終わってしまった。
……けれど、初恋なんてそんなものなのかもしれない。
初恋は実らない、なんてジンクスは有名だ。
どんどんと悪い方向へ転がっていく思考に、めぐみは再び溜め息を吐き出す。
やっぱり寝たほうが良いかもしれない、と思い直して、鏡の中の自分から目を離した。
濡れタオルを持ったまま、部屋に戻る。
すると、ベッドサイドのテーブルにおいてあった携帯電話の背面ランプが、ちかちかと点滅していた。
原田からの連絡かもしれない。
大急ぎで携帯電話にかじりついたけれど、そこに表示されていたのは今一番考えたくない人の名前だった。
『今日会えないかな?』
そう簡潔に記されたメールの送信元は、高木。
本当は昨日も、会いたいと言われていたのだけれど、めぐみは原田との約束を信じて断った。
だからかもしれない。彼も、何らかのはっきりとした答えを求めているのかもしれない。
めぐみは、了承のメールを彼に送り返した。
とてもひどいことを言ってしまえそうな自分に、嫌悪を抱きながら。




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