モノカキさんに30のお題 19.予定外の出来事
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 あまりのことに、原田はどうすればいいのか分からなかった。
こんなの、予定外……むしろ予想の範疇にない。
混乱の極致に陥って、彼女に赤くなった顔を見られないよう精一杯背けて、ただ唇を引き結ぶしかなかった。

 誘われたとき、あぁ昨日の内に荷造りをしておいてよかったと思った。
きっとこれが、彼女と一緒に過ごす最後の機会だ。
分かってはいたけれど、いざそのときになるとやはり辛い。
報われない想いを抱えたまま、消化不良を起こしそうな原田にとって、めぐみのそばにいるのはあまり得策とは言えないのだ。
それに、めぐみにはあの高木という少年がついている。
仮にめぐみが寂しさを感じても、高木ならそれを癒すことができるだろう。
勉強の仕方もある程度身についただろうし、これ以上の時間を共にしては、原田の方が正気ではいられそうにない。
離れるなら今だ、と原田は決めた。
 だから、誘いに乗った。
心配をかけないように、いつもどおりを装った。
それなのに。
いい年をして泣き出しそうな自分を情けなく思う。
心から愛しいと思う小さな女の子。そんな彼女に思いもよらないことを言われてとち狂ったのか、薄く汗ばんだ手の中には、めぐみの華奢な手があった。
気がつけばすでにそこにあった滑らかな感触。
触れる温度に、胸が高鳴る。
その柔らかさに、息が詰まる。
……いっそ、このまま息が止まって欲しい。
そうすれば、この先も何も望まずにいられる。
静かに、綺麗に彼女の記憶に留まっていられる。
「……先輩?」
「へっ?!」
……恥ずかしいくらいに、声が裏返った。
とっさのことに動転して、反射的に彼女の方へ向けた顔は真っ赤だろうし、表情も嬉しさのあまりにだらしなく崩れていると思う。慌てて、口元を空いている手で覆って、また顔を背けた。
そんな原田に驚いたのか、めぐみはほんの少し笑って、唇を開く。
「あの……返事は、別に、いいですから。私が先輩のことを好きだって、それを伝えたかっただけで、彼氏になってください、なんてことは、言いませんから。だから……今まで通り、こうしていてください」
ゆっくりと、自分で噛み締めるように呟くめぐみの言葉を一つ一つ聞いていくうちに、全身の熱がゆっくりと冷めていく。
伝えたかった、だけ。
そばにいて欲しい、だけ。
耳に強引に滑り込んでくる言葉を、遮断してしまいたくなった。
それは、姿の見えない甘やかな拘束。
恋人同士の複雑に絡まりあったものでもなく、家族の血脈による確かなものでもなく、酷く不確かで、何かの拍子にあっけなく壊れてしまう可能性のあるささやかな繋がり。
これも、予想外だ。
こんなにも弱々しい力で繋ぎとめられるなんて。
科せられた拘束はひどく揺らぎやすいものなのに、原田にとってはそれがどんな牢獄より強固なものに思えた。
隣に立っていることしか出来ないなんて……今の原田には耐えられない。
それはあの少年との約束のせいか、それとも自分に科した誓約のせいか。
それとも……彼女の言葉に思いの他荒れている胸の奥の想いのせいだろうか。
 どちらにしても、無理な話だ。
このまま、なんて曖昧な関係は、続けられない。
つけなければならなかったけじめを勝手に踏み越えて荒らした罪は、大きい。
ゆっくりと深呼吸をした。
水族館の匂いと、冷房に冷やされた空気が体内へ滑り込んでくる。
「先輩……?」
不思議そうに見上げてくるめぐみに、微笑みを返す。
 ここまで来れば、もう罪の重さなんて関係ない。
結末は見えているのだから。
堕ちるところまで堕ちて、一瞬の夢を見て、その先の奈落へ目隠しで落ちよう。
引き返せないのなら、もう落ちるだけなら、こうして束の間の幸せに浸ってもいいではないか……それが甘えだと分かっている自分を強引に納得させ、原田は微笑んだ。
「うん。行こう」
何に対する言葉かはっきりさせない曖昧な表現をして、原田がゆっくりと手を離す。
急にするりと抜け出てきた手を驚きの表情で見つめているめぐみに、もう一度手を差し出した。
めぐみが、差し出した手に自分のそれをおずおずと重ねてきた。
今度は、握る、ではなく、しっかりと指を絡めて繋ぐ。
今このときだけの、はっきり見える刹那の拘束。
ゆっくりと館内を連れ立って歩きながら、原田はめぐみの姿を焼き付けるようにただひたすら追いかける。
これが最後。
彼女と次に会うころにはきっと、こんな甘い微笑みを他の誰かに向けているはず。
ぎりりと胸の軋む音に、吐息を吐き出した。
今晩出て行こう、と一人心に決める。
隣で微笑んでくれるめぐみが、幸せになることを祈りながら。




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