モノカキさんに30のお題 18.砂糖菓子
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 無理だ、という返事が返ってきたらどうしよう、と半泣きになりながら送った一大決心のメールだったが、意外なほどあっさりと了承を得ることが出来た。
めぐみは安堵と緊張を抱え込んで、固い表情のまま待ち合わせの場所に指定した、自宅から最寄の駅前で原田を待つ。
先日梅雨明けしたとかで、空は明るく晴れ渡っている。
「……めぐみちゃん、ごめんね待たせて」
俯いていためぐみの前に、人影が落ちた。
「先輩!あの、その……来てくれてありがとうございます」
「俺こそ、誘ってくれてありがとう」
にっこりと笑う原田の表情には、何の曇りもない。まるで、梅雨明けした今の空のようだ。
よかった、とめぐみは誰にともなく思う。
「俺、水族館好きなんだよ」
そういって電車の中機嫌よく笑う原田に、胸を締めつけられるような甘い痛みが広がった。
ここのところ食事中もずっと何か考え込んでいるようだったし、勉強を教わっているときもどこか上の空だった。嫌われたのかと不安に思っていたのだけど、そういうわけではないらしい。
自分の中にある気持ちを恋と名付けためぐみは、原田の一挙一動に心を揺らされる。
言おう、と心に決めただけでは、まだ覚悟は足りない。高木のことも、あるからだろうか。
 土曜日だからか電車は混んでいたが、昼時も過ぎた午後2時に入館した二人のほかに、人影はさほど見当たらなかった。
少し前を歩く原田の背中をゆっくりと追いかけるだけで、その距離は縮まり、目の前まで迫る。
静かな、穏やかな午後。
空からの明かりを取り入れているのか、不思議な雰囲気と色を醸し出す水槽の中で揺れる水や、その中で気持ちよさそうに泳いでいる魚を見ていると、それだけで何もかもがどうでもよくなってくる。
それなのに、胸にしこりのように残ったあの日の知らない女の人の影は、めぐみの中にしつこく居座って離れない。あの日の高木の言葉も、胸に引っかかって凝り固まっている。
目の前にいる原田は、飽きることなく水槽を見つめ続けていた。
「……めぐみちゃん?」
「は、はいっ」
「ごめんね、一人で夢中になっちゃってさ。つまんないでしょ?」
めぐみは、淡い微笑みを浮かべる原田に勢いよく首を振った。
確かに、つまらないといえばつまらないのかもしれないが、ここのところ心休まるときがなかっためぐみにとっては、こんな風に静かに時間が過ぎていくのを感じられるだけで、幾分か癒される。
「……先輩と一緒に来られたから、それだけで十分です」
小さく独り言のように呟いて、ほんの少し困ったように首を傾げている原田に、ゆっくり歩み寄った。
「先輩は、そんなこと気にしないでいいんです。私も来たかったから。水族館って、大騒ぎするところじゃないから……行きたいと思った人と一緒に行くのが一番いいかなって思って」
原田の笑みに返事をするように笑いかけて、めぐみは彼を追い抜く。
こんな風に、穏やかに。
なんて心地のいい時間だろう。
めぐみは原田の視線に捕まらないよう俯いたまま笑みを噛み殺した。
原田は、優しい時間をくれる。
まるで、砂糖菓子のような。
儚く脆く、ほろほろと解け崩れる砂糖菓子。
舌触りがよくて、とても甘いささやかな幸せ。
それが逃げてしまわないように、小さく、こっそりと唇に乗せて囁く。
「……好き」
いつまでも消えなければいいのに。
口の中ですぐになくなってしまうから、もっと欲しくなる。
大事に、大事に舌の上で溶かして、最後まで楽しめるように意識を集中させるだろう。
もう一度、今度はしっかりと言葉にする。
「好きです」
「……めぐみちゃん?」
声が届いたのか、原田が訝しげに顔を上げた。
めぐみは、だんだんと早まっていく鼓動を押さえつけながら振り返る。
原田の不思議そうな目を真っ直ぐに見つめて、笑って。
「先輩が、好きです」
顔が熱くなっていく。
火照りを鎮める方法は知らないけれど、一度言葉にしてしまうと、もう平気だ。
言える。
「私、先輩が好きです」
溢れてくる気持ちを、言葉にする。
仄明るい通路に立ち尽くす原田の顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。
幸せに、大きいも小さいもない。
口元が緩んで、こらえていた笑い声がこぼれる。
想いを告げるだけで、こんなにも世界は明るくなった。
「先輩?」
開いていた距離を埋めるように、原田が大股で近づいてくる。
顔を背けたままだけれど、すれ違い様に、優しく手をとられた。
誘うように引かれた手に、めぐみはつられて歩き出す。
髪の間から覗く原田の耳は真っ赤で、繋いだ手も熱い。
顔を見なくても、言葉がなくても分かる感情の変化が、めぐみは嬉しかった。
原田の背中を見つめながら、返事は聞けなくてもいいなと、そう思った。




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モノカキさんに30のお題 18.砂糖菓子