モノカキさんに30のお題 13.螺旋
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 原田は、迷っていた。
届きそうで届かないもどかしさは、今まで味わったことのない焦燥感を駆り立てる。
早く掴み取らなければ、別の何かに掠め取られてしまう。
……いつからだっただろう。こんな風に、彼女に対して焦り始めたのは。
 ゆっくりと回想してみて、思い出すのは彼女が倒れた日。
確かあの日は、傘を持って迎えに行ったのだ。
自分でも、道すがらに何をしているのかと何度も自問した。
嫌がられるかもしれない。無駄足かもしれない。
それなのに自分の中にあるのは、埒のあかない『行きたいから』という衝動。
原田にとっては、そのときの感情がすべてだった。
玄関前で、酷く綺麗な顔立ちをした少年と談笑している姿を見るまで、は。
高校の制服を着て、何枚かメモ用紙を持っためぐみの姿。つい10日ほど前に、衣替えだと言って夏服をわざわざ見せてくれたのを覚えている。
その向こうには、どこの高校も代わり映えのしないワイシャツを、下品にならない程度に着崩した少年の姿がある。髪の色も薄く、整った顔立ちは嬉しそうな笑顔に満ちていて、原田の浮ついていた気持ちを沈ませた。
 彼女は、高校生なのだ。
そして、どう足掻こうとももう自分は大学の3回生だ。
年齢は縮まらないし、そんなくだらないことを考えるのは馬鹿らしい。
原田にはそれがちゃんと分かる。
良くも悪くも、もう大人だから。
いつかの彼女のように悩んだ記憶はないけれど、もうその辺の分別はつかなければならない年齢だといえる。
それなのに……原田は、乱れる胸の内を強引に閉じ込めるように表情を固くした。

 それからだ。
めぐみのやや上気した寝顔を見つめながら、何も出来ない自分をもどかしく思う。
彼女の父のように全部を家族として包み込んであげるには、原田とめぐみの関係は離れすぎているし、今日見た少年のように高校生としての楽しさを感じさせてあげるには、原田とめぐみの年齢差が邪魔だ。
原田がもっと早く生まれていれば、二人が出会うことはなかっただろうし、めぐみがもっと遅く生まれていれば原田はこんな風に悩まなくて済んだだろう。
それでも、原田はもう自分の感情を無視することは出来なかった。
出会ってしまったときから、惹かれていたから。
今までずっと、気のせいだとか年齢が離れてるだとか、言い訳にもならないことで逃げてきたのに、もうどうしようもないと分かってしまった。
めぐみが、自分の手の届かない位置で、自分の踏み込めないところで笑うのを、黙っていられないと知ったから。
なんて馬鹿なんだろう、と原田は一人呟く。
年の差は、4歳だ。
決して小さくはない。彼女にこの思いを明かせば、きっと困らせてしまうだろう。
加えて、彼女の父である江藤教授も面立ちはいい部類に入る人だ。もちろんめぐみも、その血を継いで愛くるしい顔をしている。
自分の隣にいてもらうには可愛らしすぎるほどに。
それも、原田の気持ちを堰き止めている。
だが、もっとも大きな要因は、彼女に恋人がいないとは言い切れないことだ。
恋人までとはいかずとも、想い人、くらいはいてもおかしくない。
だから、この気持ちは決して彼女に知られてはいけない。
知られてはいけない気持ちなのに、自分の中からめぐみを愛しいと、それが行動になって溢れ出してくる。
彼女が熱を出して眠っているこんなときでさえ、この時間を独占したい、可能なら……触れたいと。
 螺旋状に築かれた気持ちに、出口の見つからない行き場のない想いに、原田は息をついた。
頭を振って、歪んだ考えを自分の中からはじき出す。
今は、そんなことよりも彼女の体調回復に協力すべきだ。
額に乗せていた濡らしたタオルを取り、代わりに手の平を重ね体温を確認する。
……まだ、ほのかに熱い。
もっと早く自分が気づいていれば、こんな苦しい思いをさせずに済んだのかもしれない。
めぐみが倒れた後、教授に電話をかける中そう思った。
だから、怒鳴られてもそれを当然のものと受け止めた。
彼女一人、この手で助けることも出来ない。なんて非力なんだろう。
こんなにもそばにいたいのに、もう二時間もすれば、出かけなくてはならない。
講義の最中であっても上の空だったのだから、きっとバイトの勤務中はもっとひどいだろう。……それも、この制御できない気持ちのせいだろうか。
行きたくない、と思う自分を律する。
そばにいたい、と言葉にしてしまいそうな自分を封じる。
けれど。
「……先輩?」
「……めぐみちゃん」
ゆっくりと、めぐみの瞼が持ち上げられる。
奥から覗くのは、熱っぽい、熱く熟れた瞳。
掛け布団の中から出てきた小さな手が、額に乗せたままだった原田の手の上にそっと重なった。
「あ、ごめん、タオル替えるから……!」
「……いいです、このままで」
めぐみは、小さな声で原田に答え、力ない笑みを浮かべる。
「先輩の手、冷たくて気持ちいいです」
こんなときでさえ柔らかく響く彼女の声に、螺旋は深く、どこまでも落ちる。




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モノカキさんに30のお題 13.螺旋