モノカキさんに30のお題 11.37.5
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 暑くなったり寒くなったり、忙しい身体にめぐみは溜め息をつく。
気だるさが全身にこびりついて離れないまま、朝を向かえた。時折眠って、またゆっくりと意識が浮上してきて。とろとろと流れる時間に意識を委ねていたから、時間感覚はまったくなかったけれど、目を開けるとめぐみのそばには必ず誰かがいた。一人じゃないんだと、めぐみは子供のように安堵してまた眠った。
 小さな音がして、ドアが開く。
「……あ、めぐみちゃん。起きてた?」
顔を覗かせたのは、原田だ。そう言えば、昨夜薬を渡してくれたのも、ずっとついていてくれたのも、全部原田だった。父は、と思わず探しそうになったけれど、ようやくまともに働き始めた頭は父の宿直を覚えている。
「……あの、ごめんなさい」
迷惑かけてしまって、と続けたかったのだけれど、めぐみの声は掠れていて、はっきりと出てこなかった。
そんなめぐみに、原田がミネラルウォーターのペットボトルを差し出してくれる。
「とりあえず水分摂って、熱測ってもらえるかな」
ベッドのそばに、時計や小物を乗せた小さな台があるのだが、その上には体温計が置いてあった。受け取ったペットボトルの中身を喉に流し込んで、そのまま何気なしに自分の着ているものを見た。
「……先輩、あの、この着替えって」
倒れたときに着ていたのは確か制服だったと思う。もちろん、制服のまま寝かされていたら困るから、自分が寝巻きを着ているのは当然といえば当然かもしれない。
「心配しなくても、俺じゃないよ。教授に電話したら、それほどしないうちにすごいスピードで駆け込んできて。宿直だ、って言ってたから休憩時間だったのかな。看護士さんもつれてきて、点滴打ってそのままとってかえしちゃったんだ。すごい手際の良さでびっくりした」
あれが本物のドクター、だね……と笑った原田にめぐみは、当然の安堵とほんの少しの羞恥を覚えた。例え着替えさせたのが彼でなかったとしても、ずっと寝顔を見ていてくれたのは原田なのだ。血が繋がっているわけでもない、ここ2ヶ月少し、食事を共にしているだけの他人。
 本当は、それだけなのだ。
とてもたくさんの時間を一緒に過ごしたような気分になるだけで、本当は一日のほんの少しだけ。それを積み重ねているだけで、お互いのことなんかほとんど知らない。
 なのに、今原田はこうしてめぐみのそばで微笑んでいる。
嬉しいようで、何だか、とてもくすぐったい。
喉の細胞が、水を含んでようやく普段の状態に近くなった。それでもまだ、ひりひりと痛みを訴えている。
「手間かけさせて、ごめんなさい。パパにも連絡してもらっちゃって……その上、昨日なんかご飯も作らなかったし」
ケースから出した体温計を、腋に差し入れながら、めぐみは何気なく呟いた。
その言葉に答えるように、原田の口からこぼれた吐息を聞く。
「あのねぇ……めぐみちゃん、いい?君は、高校生なんだよ。俺の家政婦じゃないんだ。そして俺は、ここに居候させてもらってる分際で、こうして君と話をして一緒にご飯を食べさせてもらってる大学生。どうして、めぐみちゃんが謝るの」
「……でも」
それでも、無理を言ってこの生活を始めさせたのはめぐみなのだ。
だから、謝るのは当然だと、そう思ったのだけれど。
顔を上げためぐみに、原田は安心させるように笑いかけてくれる。
「教授に怒鳴られた。俺のめぐみがこんなになったのは、君のせいじゃないのかって。信頼してるから家に上げたのに、どういうことだってすごい剣幕。いつもの教授の姿見慣れてたから、驚いた」
父が、怒鳴る?
一瞬、理解できなくて頭の中をくるくるとその言葉が回った。
「パパ、が?」
「うん。めぐみちゃんのこと、大好きなんだね」
優しく囁かれて、めぐみは恥ずかしくなった。もちろん、父が自分を愛してくれているのは嬉しい。めぐみだって同じくらい父のことが大好きだ。
 でも。
今までの、父とめぐみ、二人だけの大好きは、もう持てないような気がする。
それはきっと、この胸のかすかに高鳴る鼓動と、万華鏡のように変わっていく感情が知っている。
ぴぴ、と体温計が鳴る。表示されたディスプレイの数値は、37.5℃。
原田が、消える前にと体温計を取り上げて、うーん、と思案顔で首を傾げた。
「とりあえず、学校はお休みね」
「え、どうして……大丈夫です、私平熱高いから、こんなの微熱だし……!」
「微熱って、続くと案外辛くない?」
体温計をケースにしまいながらの原田から返ってきた答えに、めぐみはそういえば、と昔微熱のまま学校に行ってやってのけた、ものすごい失態を思い出した。
「それに、朝は下がってても午後からまた熱って上がるしね。俺は今日2限からだから、もうしばらくいる。帰りは大体、3時になるかな。もちろん、めぐみちゃんが寝たら出るから。……弱ってるときって、一人で寝るの、嫌でしょ」
顔を真っ直ぐ見上げることが出来なくて、めぐみは俯いてしまう。
「でも先輩、忙しいし……」
小さく呟いた声は、どうやらはっきりと届いてしまったらしい。
「そんなの、心配しなくていいってば。昨日、めぐみちゃんをとりあえず寝かせたときに、今日バイト入れてあったところは連絡入れて、休みにしてもらったから。さすがに明日も休む、なんてわけにはいかないけど、そういうことだから心配しないで」
いつもの笑顔で原田はそういうけれど。
お休み、と言われてしまっては、もう眠るしかないけれど。
この風邪が治ったら、絶対彼のために何かお礼をしようと、めぐみは心に決めた。




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