モノカキさんに30のお題 09.冷たい手
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 「いいから、貸してごらん」
そう言った原田の手が、めぐみの手に触れる。
「……冷たいです、先輩」
「めぐみちゃんの手もね。アイスクリームのケースの中何分も掻き回せば、誰だって冷たくもなると思うよ?」
苦笑する原田に、自分も同じか、と笑いがこみ上げた。

 スーパーに入ると、ちょうどタイムサービスに重なったのか、車も自転車も、たくさん止まっていた。たくさんの人たちの中に、近所の高校の制服を着た自分と浪人かフリーターか大学生にしか見えない原田のような男女が連れ添って出て行けば、話題になること請け合いだ。どうしようかな、と思って、ほんの少し躊躇った。
「めぐみちゃん?行かないの?」
めぐみが入り口の自動ドアの前で立ち止まっていると、先に入った原田が、癖なのかカートにオレンジ色の籠を乗せようとしていた。
妙に所帯じみているのが笑える。
「先輩。お腹空いてる時って、無駄物買いしちゃうからあんまりよくないんです」
「え?」
取りとめもない話題に、原田が困惑して動作を止める。
めぐみは、原田と変わらない困ったような表情を浮かべて、続ける。
「それに、カートに乗せちゃうと自分の買う物の重さが分からないから、よくないんです。籠の重さは金額の重さですから。持って帰れるかどうかの区別も出来ないし」
さすがにそこまで言われて、原田も気がついたらしい。
引っ張り出したカートを元の位置に押し込んで、籠を左手に下げた。
「……これでいい?」
「だから、言ってるじゃないですか。籠の重さは金額の重さ、って。先輩が持ってたら、意味ないんですってば」
思わずこぼれた笑いに、原田がむくれて籠を差し出す。
「金額の重さは俺が分かっても仕方ないけど、持って帰るのは可能だよ。俺もいるんだし」
「考慮に入れます」
めぐみは原田から籠を受け取って、時計がないかと周囲を見渡した。
「時間?……5時5分前」
原田がめぐみの仕草に何かを察したのか、素早く求める答えを教えてくれる。
「講義の最中に、友達が時計探してる動作とよく似てたから」
不思議そうに顔を上げためぐみへかすかな笑みを向けると、更に先回りして原田は誰にともなく呟いた。
5時5分前、ということは……タイムサービスは切り良く5時まで、だろう。レジにはたくさんの人が並んでいて、7つ並んだレジコーナー全部にランプがともっている。
「先輩、今日は何食べたいですか?できればここ3日くらいのお昼ご飯のメニューも聞かせてもらえるとありがたいです」
ゆっくり買い物をすれば、人の波も薄れるはずだ。
思考を強引に打ち切って、めぐみは今晩の夕食のメニューを、レパートリーから搾り出すべく目の前の生鮮食品売り場目指して足を踏み出した。
想像していたよりも明らかに人の少ない店内で、原田と今晩のメニューについて、朝食用のパンについて、どうでもいいことを当たり障りなく話していくうちに、冷凍食品のクーラー前までたどり着いた。
めぐみは、この間父に『アイスクリーム買ってきてねー』と言われたことを思い出す。
甘いものが好きな父は、口当たりの滑らかなバニラやチョコレート、キャラメル味を特に好んで食べる。しかも、他のことにはさほどお金をかけない父が、アイスクリームになると途端に高級嗜好となる。最近のものはどれも質がよくて、めぐみには味の違いなんてほんの些細なことだけれど、父にとってはそうでもないらしい。
「先輩、アイスクリーム捜索隊作りましょう」
「……めぐみちゃん?」
訝しげに問いかける原田の言葉に応えるように、めぐみは目の前にぶら下がっているあるメーカーの名前の載った赤文字のビラを指差した。
「パパ、あのメーカーのアイスクリーム、大好物なんです。暑くなってくると、アイスー、アイスが食べたいー、なんて冷凍庫開けては言うんですから。お酒もタバコも駄目な人だけど、甘いもの……特にアイスクリームには目がなくって。だから、そろそろ買い込んでおこうかなーって……」
メーカーの名前の下には、でかでかと『全品半額』の文字がある。どうせ商品差し替えの時期だとかそんな理由なのだろうが、半額の恩恵にはぜひ預かりたい。
「荷物持ちさんもいるし、せっかくなんで」
めぐみがにこりと笑うと、原田がいいよ、と頷いた。
 そんな、にわか結成のアイスクリーム捜索隊2名の手は、クーラーの中を数分ほどさ迷い続け……先程、めぐみの手を引かせようとした原田の手によって帰還命令が出された。
「あと、何がいるの?」
すでにたくさんの人がかき混ぜていったのだろう、無規則に散らばったアイスクリームの蓋をひとつずつ表へ返してラベルを確認する。
手を引き戻して、その手の冷たさを確認するように逆の手に触れる。
「めぐみちゃん?」
「あ、と……ストロベリーと、ロイヤルミルクティー……」
呟きながら、自分の手の冷たさと、体の熱さを確認する。
冷凍食品のクーラーそばであるこの場所で、寒さではなく熱さを感じる自分に、疑問を覚えた。
手の冷たさは鋭いはずなのに、それを心地よく感じる。
傍らに置いた籠を持ち上げると、それはさっきまでよりも格段に重くなっていた。
……アイスクリームの重さだけではない気がする。
分からないまま両手に力を入れて、原田の拾い上げたアイスクリームを、籠に入れてもらった。




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