モノカキさんに30のお題 03.鬼
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 「めぐみちゃん?」
「……分かってます。出来てなさ過ぎ、って言いたいんでしょう?」
「分かってるなら、いいんだけど。確かにこのペースだと、今から始めてぎりぎりって感じだね」
綺麗に片付けられたダイニングテーブルには、マグカップが二つ、それぞれ紅茶とコーヒーが注がれている。参考書を広げためぐみの隣に陣取った原田は、料理を囲んでいたときとは打って変わって、真剣な表情で問題に向き合っていた。
 一風変わった出会いから二日後、めぐみは父を口説き落として、原田を自宅に招くことに成功した。しかも、思わぬ形で……だ。めぐみが口説き落とした父は、原田を口説き落として、医師である父の許可が出るまで『泊り込み』で、めぐみの家庭教師をしながら体力の回復に努めるよう言い渡した。原田自身も、倒れてしまったことが原因でバイトのシフトを減らされ、空いた時間を持て余していたらしい。加えて、この家も原田の自宅も、同じ町内にある。行動するに当たって、不便な点はこれといって見つからない。
だが、いくら毎日いるからといって、それでは原田の勉強に差し障りが出る可能性もある。それらも考慮に入れ、週に3日、月水金に即席家庭教師をお願いした。きっと優しいいい先生になるだろうと気楽に考えていためぐみだったが、甘かったようだ。
 原田の教え方は分かりやすく簡潔でいて、納得がいく。だがその分簡単な問題を間違えると容赦なく厭味が飛んでくる。一長一短とは、このことを言うのではなかろうか。
「どうも、やる気が空回りしちゃってるみたいで……」
「このままじゃ間に合わないよ。看護学校って、倍率高いんじゃなかったっけ?」
追い討ちをかける原田の言葉に、めぐみは頭を抱えた。
「……鬼ー」
「家庭教師はおだてるだけじゃ務まらないから。めぐみちゃんだって、そんなこと望んでないでしょ?」
ことごとく事実をついてくる原田には、金輪際頭が上がらないのではないかとめぐみは思う。
「よろしくお願いします、先生」
原田さん、ではいつまでも他人行儀な気がして、色々考えた末めぐみは彼をそう呼ぶことにした。しかし、
「いや、先生はちょっと……」
頭を下げためぐみの姿を見た原田が、途端に及び腰になった。
めぐみは目を瞬いて原田を見つめ返す。
「先生、駄目なの?」
「……なんか気持ち悪い」
眉を顰めて応じる原田の表情が、いかにも嫌です、と物語っていて、わざとでも彼を『先生』と呼ぶのは憚られた。
「なにそれ、これからお医者さんになる人なのに。……じゃあ先輩」
めぐみが仕方なし、といった風に提示した呼び名に、原田が笑顔で頷いた。
「うん、それならオッケー」
いったい何があるのかは分からないが、ひとまず落ち着いたのならそれでいい。
「……っと。いけない、遅れる……」
 目の前に見やすいようにと置かれたデジタル時計が、8時を表示した。
ピッ、という小さな電子音で顔を上げた原田が、席を立つ。
カップに半分ほど残っていたコーヒーを一息で飲み干して、床に下ろしていたヒップバッグを持ち上げた。
「どうも、ご馳走様でした。あ、えーっと……明日は、今日より一時間くらい遅くなるんだけど……?」
軽く首を傾げて見下ろされる視線に、めぐみが顔を上げて大きく頷く。
「大丈夫です。私も、明日はちょっと委員会あるんで遅くなりますから……あ、でも、先輩、都合悪かったら別に」
表情を曇らせためぐみに、原田は普段の、穏やかな微笑みを浮かべて見せる。
「いや、そんなことないよ、ありがたい。……あぁ、それじゃあ携帯、教えとくよ」
原田から返ってきた、想像していなかった言葉に、めぐみは目を瞬いた。
「へっ?!携帯……持ってたんですか?」
「俺は、いらないって言ったんだけどね。父方の祖父母が、大学入学のお祝いに、って。支払いまであちらになってるから、もっぱら受信専門だけど」
そう答えながら原田は、電話代の隣にあったメモ用紙へ、流麗な文字で11桁の数字を並べた。操作もいまいち分かってないんだ、と照れくさそうに笑う表情は、新鮮で。
「それじゃ、都合悪くなったら前もって連絡しますね。連絡が来なかったら、絶対いると思ってくれていいですから」
めぐみは、原田の笑顔に応えるように微笑んだ。
そして、原田は。
「よし、じゃあ次までに、苦手なんでしょう、生物。これ重点的に解いておいて。分からない問題の解説するから。出来るぎりぎりまで進むようにね」
笑顔のままではっきりとそう言い残した。
めぐみは、微笑んだ顔の筋肉が引きつるのを感じた。しかしそれを気取られるのは何となく彼女のプライドが邪魔する。めぐみはその強張りに気づかれないよう、気をつけながら椅子から立ち上がった。
「……どうも、今日はお世話になりました……」
「いえいえ、こちらこそ」
玄関まで原田を見送り、手を振って別れの挨拶を交わしためぐみは……玄関の扉が閉まると同時に脱力してその場に座り込んだ。
「……詐欺だわ……」
あのギャップはどうにかならないものかと溜め息をついても、もうどうにもならない。
ようやく本気になってくれたと言って大喜びしていた父と、まんざらでもなさそうな鬼家庭教師の原田がついているのでは、逃げ出す場所はない。
週に3日だというのが唯一の救いか。
 まだ足に力の入らない己の体を叱咤して、めぐみはシンクに浸かっている大量の皿洗いをするために、ゆっくりと体を引き起こした。
スパルタ教育は、いったいいつまで続くのだろうか。




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モノカキさんに30のお題 03.鬼