続・王子様たちと私 First day
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 彼女のすべてを手に入れるためなら、どんな苦しみにも耐えよう。
彼女に望む幸せを与えるためなら、どんな努力でもしよう。
そして、彼女から与えられるものを得るためならば……どんな困難にも、打ち勝ってみせよう。
 だがしかし。
……現実は、そう甘くないものだ。

 「……これが恋人たちの甘い時間なのだろうか」
アーサーは、それなりに落胆していた。
「なに言ってるのよアーサーっ、手伝って頂戴! きゃ、だ、駄目、痛いのっ……! お願い、もうやめて……?」
甘い声で非難はしても、彼女の薄く涙を浮かべた瞳は、こちらへ向きさえしない。
「そういう悲鳴を、一度でいいから俺の腕の中で言わせてみたいもんだなぁ」
意図せずこぼれる溜め息に、ほんの少しの期待を織り交ぜて吐き出したアーサーだったが、愛しい彼女は腕の中の暴君に気を取られたまま、いや……もし二人きりだったとしても、彼女にその意味が伝わることはないだろう。
大切な、何よりも大切な人。
アーサーの恋人であるディオネは、そういった俗的なことに酷く無知なのだから。
 豪奢な客室の窓辺。日当たりのいいその場所には、揺り椅子がひとつある。その上には、たった今天から舞い降りてきたような、美しい少女が腰掛けていた。
全体的に色素の薄い、華奢な少女だが、真珠色の頬にはうっすらと赤みが差し、藤色の大きな瞳にはこぼれんばかりに涙を湛えている。唇は小さくふっくらとした珊瑚色。
丹念に手入れされているのだろう、眩しいばかりの銀の髪は、二つに分けられ、緩く編まれて背中に垂らされている。無造作に背中を流れる滝のような髪も美しいが、今の髪型であらわになる、透き通った項も捨てがたい。
細い首筋や、浮き出た鎖骨の上のしっとりとした瑞々しい肌。
女らしいふくよかな丸みを描く部分と、ほっそりとした少女めいたなだらかな線を描く部分の二つを併せ持った肢体は、衣装に包まれていても伸びやかで、内側からの光を懸命に押しとどめるよう、静かに息を潜めて、開花の瞬間を待ち望んでいる。
そんな、母親には程遠い年齢を想像させる、彼女の二本のか細い腕の中には、なぜか一人の赤子が大切そうに抱き締められていた。二本に編んだおさげの片側を、強く強く握り締めて放さない赤子は、引っ張られる痛みと、度重なる育児ゆえの疲労に半泣きの彼女に対して、何が楽しいのか酷く嬉しそうだ。
「アーサー、お願い。助けて?」
こちらを見つめてくる、柔らかな藤色の瞳。懇願する声の響きには、甘く切なくなるような、抗えない呪縛に似た魅力が秘められている。
この声音に逆らおうとは思えないアーサーは、再び吐息を吐き出すと、窓辺の彼女に向かって足を踏み出した。
愛しい少女は、淡い緑色をした薄手のワンピースに身を包み、肩からは卵色のレースのショールをかけて、腕の中の赤子を宝物のように抱きかかえて待っていた。
夜中に叩き起こされようとも、結んだ髪の毛を力任せに引っ張られても、決して癇癪を起こさず、大切に、大切に愛情を注いで育んでいる、小さな生き物。
 2日3日ほどしか付き合いのないこの赤子とアーサー、また、赤子と彼女の間には、血のつながりはない。では、なぜこうして赤子の世話など焼いているのかというと、それなりに面倒ないきさつがある。
 詳細はアーサーもよく把握していないのだが、五日前、ここ、太陽の国の王宮で、とある騒動が起こった。野望と呼ぶにはあまりに悲しい理想を抱いて、一人の神官がディオネを欲し、結果『彼』は、女神の制裁を受け、消えた。
それで騒ぎが収まったかと思われたのだが、翌日、渦中に置かれていたアーサーとディオネに、何とこの世界を見守る月の女神から、一人の赤子が預けられた。
生まれた日も、はっきりした年齢も、何ひとつ分からない、小さな小さな赤子。
 ただひとつ、分かっているのは。
……この赤子が、騒動を起こした張本人、すなわち……月神殿の高位神官だった『ナイン・アルス=イヴィル』であるということだ。
「本当に……どこからどう見ても、普通のガキだよなぁ」
張本人、と言うのは、少し語弊がある。
正確には、騒動を引き起こした張本人に、月の女神から与えられた、二度目の生、だ。
一歳前後の赤子との接し方など知る由もなかったアーサーは、その正体、もとい以前の『彼』にいい印象を持っていないせいか、どうしてもその名を呼ぶことを躊躇ってしまう。
「ほら、来い……ナイン。母さんは疲れたんだとよ」
機嫌よく笑っている赤子の、小さな暖かい手指をゆっくりとほどいてやって、彼女の髪を解放する。
白い柔らかな布にくるまれて、可愛らしく声を上げるその表情は、眩しいばかりで、とても以前の姿を想像することは出来ない。
新雪色の髪。そして、紅玉色の瞳。先天的に色素が欠乏しているこの赤子のような者を、世間一般ではアルビノ、と呼ぶらしい。生まれる確率は極めて低く、身体も弱く生まれつく。しかし、その特異な色彩や持って生まれる才能は他とは一線引いたものがあり、結果的に好意を向けられることは少ない。
そんな偏見を抱かれてもなお、『彼』は月神殿で、高位神官という地位に就いた。
それなのに。なぜ人は、より多くのものを求めて、手を伸ばしてしまうのだろうか。手を伸ばした末に、『彼』はすべてを失った。
そして……今、二度目の生を歩み始めたのだ。
すべてを忘れて、新たな肉体を授かり、初めからやり直すことを許された今の『彼』が、過去に歩んできた道筋を、こちらから望んで聞くことはないだろう。
たとえ、それをよく知るものが現れたとしても。
自分や彼女に任されたのは、新しい生を女神から授かった『ナイン・アルス=イヴィル』という魂を慈しみ育てることだけ。
過去など、もう必要ないのだ。
 抱き上げたナインは、視界が高く、広くなったせいか、目をきょろきょろさせて不思議そうに周囲を眺めている。やがて、アーサーへと焦点をあわせて、赤子独特の、邪気のないまっさらな微笑みを向けてきた。
確かに、血が繋がっているわけではない。
それでも、抱き上げ、そのぬくもりを感じ取れば、強く心臓を掴まれるような、ディオネに感じる想いとは別の庇護欲が沸き上がってくる。
ディオネに害成した、という事実は消えもしないのに、それでも、愛しいと……思ってしまう。
「……本当に。俺は、まだ親父になる気なんてないんだが」
「あー、あー」
可愛らしく笑って、こちらに真っ直ぐ手を伸ばしてくる小さな小さな、暖かいもの。
どうして赤子という生き物は、小さくて柔らかくて、暖かいのだろう。
血の繋がっていない赤子をこんなにも可愛いと思えるのだ。自分の子供が生まれたら、どうなってしまうのだろう。
……自分で、自分が怖くなった。
「その……何て言うか、俺と分かってて呼んでるのかただ無意味に母音を垂れ流してるんだか、だんだん分からなくなってきたぞ」
「あら、ナインは、誰を呼ぶときも『あー』しか言わないわよ? まだ。だから、私は一番出しやすい母音を発してるほうに賛成するわ」
優しく微笑んで、少女が椅子から立ち上がった。
長い裾を上品に揺らしながら、光を撒き散らして。
ただそこにいるだけで、空気が清らかになっていくような、そんな錯覚を覚えるほどの、神聖な存在。
やがて腕を伸ばせば届く位置までやってきた彼女は、ナインを抱くアーサーに、微笑んでくれる。
「ディオネ」
「なぁに? アーサー」
「いや……幸せ、だな」
これは、今のアーサーの幸せの形だった。彼女自身が、アーサーにとっての、幸せそのもの。
「どうしたの、突然。変なの」
溶けてしまいそうな微笑みは、砂糖菓子のように甘く脆くて、アーサーはそれを忘れないよう、大切に胸の中にしまい込む。少し前まで、すべて諦めてしまうつもりだったとは思えない。そんな自分が馬鹿らしくて、アーサーは彼女へと微笑みを返した。
 こんなにも美しい、恋人が。
この世界に必要不可欠な、声で人を惹きつける『光の歌姫』であり、誰よりも月の女神に愛され、その存在に近い容姿を持つ月神殿の姫巫女であり。そして、月の王国唯一の王女である、ディオネ=クレセントが。
今、こうして一緒に、理由はどうあれ夫婦の真似事をしている、現実が。
アーサーにとっては、どこか別の人間のことを見ているようだった。
過去に、何度も諦めた、ありきたりとも言える幸せのかたち。
自分がいて、想いあう相手がいて、こうして、傍にいられること。
望むだけ無駄だと思っていた自分に大きな変化をもたらし、今を掴み取らせた、幻のような一ヶ月。
向かっていく道筋は、今までのように成り行き任せではなく、はっきりと思い描くことの出来る、明るい確かな進路だ。
 アーサーは太陽の国の第一王子として、望まれ、恵まれて生まれた。
だが、自分に与えられたものは、大きく、強く、しかし彼女のようにいい方向へ昇華出来ない、中途半端なものだったようだ。世界を見守る“光の歌”に愛されるディオネほどの力はないものの、それに似た効果を発揮する己の声と、黒、という……創世時から引き継がれる、神に連なる色彩が目にも髪にも現れた外見。
恵まれていることを恨みはしないが、かといってそれはアーサー自身に利益らしい利益など、ほとんどもたらさなかった。むしろ、そのせいで苦しんだことのほうが多い。
けれど、今は。その声と色彩、生まれ持った地位、さらには、偶然までもがアーサーに味方して、その結果、彼女を得て……幸せを覗き見ることが出来る。
それは、怖いくらいの、幸福。
「アーサー」
心に直接訴えてくるような、強い威力を持つ声が、自身の名を呼んでくれる。
真っ直ぐに自分自身を見つめてくれる藤色の瞳が、そこにある。
地位や外見に惑わされない、この歪んだ性格さえも含めて認めてくれる、正直な視線を、アーサーは愛しいと思う。
「ねぇ、アーサー」
「ん?」
「あの、ね……? 私だって、幸せよ?」
柔らかい微笑みと共に返ってきた言葉。
彼女の、心からの言葉であろうそれだけで、何もかもを耐えていけるような気がした。
今のこの時間を守るためなら、どんな仕打ちにも耐えられる。
たとえ……どんな困難が襲い来ようとも。
「ふぇ……」
改めて自分の胸に誓ったアーサーの耳に、かすかな喘ぎが届く。
腕の中の赤子が上げた声だ。何が気に障ったのか、楽しそうに笑っていたはずのナインは、不意に表情を歪めて、吐息をこぼした。
それは、予兆。
「あ、ちょっと待て、これ、来るんじゃないか来るんじゃないか」
「嘘、やだ、待ってて、クウェルさん呼んでくるわ!」
この三日で、何度かその先にあるものを体験したことのあるアーサーたちは、一様に慌てふためく。
クウェルは、アーサーと弟のシーザーの幼少時、世話係を務めた女性で、今は女官たちの教育係として王宮で働いている。この数日で彼女と親しくならざるを得なかった元凶は、女神からの授かりものであるナインに他ならない。
運のいいことに、王宮勤めが長いせいか、声への耐性もある程度出来上がっており、ナインの世話を見るようになって以来、ずっと協力してもらっている。
アーサーは大急ぎで部屋を出て行ったディオネの背中を、一人寂しく見送った。一緒に部屋を出て行きたいのは山々だったが、それではディオネに何を言われるか分からない。腕の中では、いつ爆発するとも知れない爆弾が、秒読みを開始していた。
どうすることも出来ず、ナインを抱いたままのアーサーに、数秒後、情け容赦ない耳を劈くような赤子の泣き声が突き刺さった。
「うあぁ……頼むから、早く大きくなってくれ」
耳をふさごうにも、両手の塞がった状態ではどうにもならない。
泣き言のように呟いたアーサーの言葉は、泣き声にかき消されて跡形もなく霧散した。


 ……だが、その言葉が翌日から、ナインの身体にとんでもない変化を引き起こすことになるとは、このときは誰一人、想像もしなかった。

 ――新たな時代が、始まろうとしている。


 目の前にいるのは、将来『義父』と呼ぶことになるかもしれない人。
険しい目元は元来のものではなく、わざとそう見せているのだということは、いちいち考えなくても分かる。
ナインがようやく寝付いてくれて、その隙にアーサーはディオネを連れ立って彼女の父の元を訪れた。先の騒動で人質として捕らえられていた彼女の父、すなわち月の王国の国王であるヒルベルト=クレセント陛下は、やや疲労の滲んだ、しかしその誇り高い雰囲気は失われぬ姿で救い出された。そのとき、白髪に赤瞳の乳児……ナインと一緒に見つかったということは、彼もまた娘同様に、月の女神に愛される、清廉な人格者なのだろう。
 とは言っても、やはり娘の選んだ相手を無条件で信じることは出来ないらしい。初めて彼女と二人で会いに行った時も、こんな調子だった。二度目である今回も、その態度が軟化している風ではない。彼の娘であるディオネがこの部屋のドアを開けたとき、彼は本当に幸せそうな、穏やかな顔つきをしていた。
それをわざわざ、自分の姿を認めてから難しい顔を作るのは、やはりたった一人の大切な娘が結婚相手に選んだ男が、よりによって一番浮名を流していた『狂王子』だったことに、納得できないのだろう。
客観的にみて、その心情はごくごく一般的なものだとアーサー自身も思う。
だが、これからどれだけの時間をかけてでも、彼女の両親とは打ち解けなければならない。アーサー自身は、ディオネのそばから離れる気はないし、彼女も決してそれを望みはしないはずだ。
……今のアーサーとディオネの関係は、お互いがお互いを必要としてこそ成り立つものだから。
共にあることを前提にして今を生きているのだ、たとえ彼女の両親に嫌われても、それは彼女から離れる理由になりえない。
離れる理由にはならないが、わざわざ不仲の原因を作る必要もない。アーサーとしては、出来ることなら仲良くしたいのだ。
ただ、自分の築き上げてきた過去は、どんなに消したくても消えない。自分でも分かっている。理解している。だからこそ、これから先の行いで、少しずつでも過去の自分を上書きするよう努力して、好かれるまではいかなくても、せめて嫌われないようにはしたい。
今の対応を見る限り……先行きは、嫌になるほど不安だが。
 「お父様……どうして、そんな顔をなさるの?」
「あ、あぁぁ何だいディー、別に私は彼のことを嫌ってなどいないよ!」
「……アーサーは、私を助けてくれたのに」
アーサーには厳しい態度を崩さないというのに、愛しい娘の愁いを帯びた声音には、おののき震えながらも応じる。そんな月の王国の主は、どう見てもよく出来た娘を溺愛する親馬鹿な父でしかなかった。
「突然の訪問をお許しください。本日は、月の王国へ向かう船の出立予定をお伝えに参りました」
とは言え、ディオネの父であることを抜きにしても、彼は月の王国を統べる王だ。
片膝をついて頭を垂れると、先ほどの声とは比べ物にもならない、凛と響く低い声が投げかけられる。
「……王子。顔を上げてくれ。まず、私には言わねばならないことがある。先の騒ぎでは、我が娘が世話になりました。父として、姫巫女を抱える月神殿の神官長として、王国の主として礼を言います。ありがとう」
言われるままに顔を上げれば、淡い銀の髪が目に入った。
一国の主に、頭を下げられている。
一瞬の間をおいて、アーサーは我に返った。
「やめてください、俺は、彼女が歌姫だから、月の王国の王女だから、と言う理由で助けたわけではないんです、ただ、彼女に生きていて欲しくて、それだけで……」
礼を言われるようなことは何一つしていない。
むしろ、そこに至るまでにたくさんの遠回りをして、誤解をして、ディオネを傷つけたのだから……本当ならば、こちらが謝らなければならないほどだ。だが、それを知られてしまえば殴られるのは必至だ。それだけで済むとも考えにくい。
「……それでも、だ。たとえ君が、自分の欲のためにディーを救ったとしても。私と、妻にとってはたった一人の大切な娘なんだ。父としては憎らしくてたまらないところだが、それだけ今のディーに君が必要だということなのだろう」
君の呼ぶ声ひとつで、月の女神からの誘いを断ったのだから。
そう言って、笑った彼の表情は、どこか寂しそうに見えた。娘の成長を喜び、同時に寂しがるような、複雑な微笑。
「さて。本題は何だったかな、そうだ、国に帰れるんだったね」
言葉と同時か、一瞬の間に、その表情が切り替わった。
こちらを見つめてくる瞳は、ディオネの藤色の瞳とは違う、濃い、何もかもを見透かしてしまいそうな瑠璃色。宝石のような色ではあるが、その瞳には強い意志や、信念が秘められているように見えた。一瞬、それに飲まれるように息を止めたアーサーは、ひとつ呼吸を置いて、本来の目的を言葉に変える。
「あ……はい、二日後の早朝、王国行きの船を出しますので、それまではゆっくりとお体を休めてください。彼女の荷造りは、この国のものにも、手伝わせますので」
「まぁ、早朝? それじゃあ、きっと朝日が反射して、月霞宮が綺麗だわ。アーサー、お昼までには王国に着くの?」
月の王国の、王宮であり月の女神を祀る神殿でもある月霞宮は、水晶の森に囲まれた美しいところに築かれている。空に浮かぶ太陽の国にまで届く月の王国の水晶の光は、アーサーもよく覚えていた。うきうきと踊り出しそうなディオネの明るい雰囲気に、アーサーは薄く笑みを浮かべる。
「そう……だなぁ、昼過ぎまでには、着くんじゃないか? だが、早くても日が昇りきってからだ。昼までには、着かないかもな」
膝をついたまま答えたアーサーに、目線を合わせるようにディオネがしゃがみこんだ。
「……なんだ?」
「立って。私、お父様にご挨拶したいことがあるから」
この国に来た頃は、見もしなかった、悪戯を思いついたときの楽しげな表情。
ディオネの言葉に促され、アーサーはわけの分からないままそこへ立たされる。
全身を真っ直ぐに伸ばして立てば、大きく見えた王国の主は、アーサーよりいくらか小さな初老の男性になった。……とは言っても、年齢で比較すればおそらく、若々しいほうなのだろうけれど。
彼の前に立ったアーサーの隣で、ディオネが俯き、顔を上げないままぐずぐずしていた。
「どうしたんだよ、ディオネ」
「あ、あのね、えっと」
促すアーサーの声にそっと持ち上げられた顔は、こちらまで恥ずかしくなりそうなほど、照れと幸せに染め上げられている。
「お父様、私、国に帰って、お母様もいるときにって思ってたから、ちゃんと言ってなかったけれど。一番に、伝えたくて。だからその、あのね? 私、アーサーと……えぇっと、その。結婚、したいの」
初々しく恥らいながら、ディオネの唇に昇ったささやきは、アーサーだけでなく、なぜか彼女の父をも赤面させた。
柔らかく目元や頬、耳朶を薄紅色に染め、上目遣いに見上げる視線は、それだけで十分赤面させるものだというのに、さらにこんなにも可愛らしく言い出されてしまっては、聞いている方が恥ずかしい。
「ディオネ……」
「たくさん考えたの。悩んだし、分からなくてたくさん困ったけど、でも、だからこそ、お母様にお伝えする前にちゃんと、言っておきたかったの。お母様より先に、お父様に、誰よりも最初に。ね、アーサー。一緒に王国へ、来てくれるわよね?今日みたいに、お母様にも二人でご挨拶、できるわよね?」
真っ赤になりながらも懸命に訴えかける声音は、アーサーを幸せな気分にさせた。
彼女が、こんなになりながらも言ってくれるのだ。
それだけで十分、報われた気分になった。
だが。
「……ってディー! 誰がそんなこと許したか! た、確かに彼女は『いい男捕まえてきなさいよ』とか面白いもの見るような目で言ってたようだがっ、そりゃあもう彼は彼女の言う『いい男』にぴったり当てはまるだろうが!! それどころか子供の美しさを期待して今から名前とかも考え出しそうだが!! だが……だが、よりによってなんでこの男なんだ?! 言っちゃ悪いが彼は、彼はっ……!!」
先ほどまでの威厳に満ちた瞳はどこへやら、半泣きの崩れた表情で懸命にディオネに縋るヒルベルトを見てしまうと、なにやらとても申し訳ないことをしているような気分になる。
だが、縋りつかれているディオネの方は、取り立てて焦る様子もない。
ふわりと、柔らかく微笑んで続けるだけ。
「お母様は、仰ってたわよ? あなた一人を、心から愛してくれる男を連れていらっしゃい、って。そうすればほかの事なんて、たいした問題にならないからって」
「あぁもうどうしてそんなこと言うかなセスは!」
セス、というのは、おそらく彼女の母で、彼の妻であるセルティス王妃のことだろう。
二人の会話を聞いているだけで、何となく想像できる王妃のイメージは、実物を見ても覆りそうにない。絶対に、微笑みひとつで邪魔な輩を黙らせるタイプだ。
そして現実に、ディオネへ告げられた言葉通り『自分一人を心から愛してくれる男』と結婚しただろう王妃には、夫であるヒルベルトは逆らえないに違いない。そうでなければ、大切な一人娘を求婚者である王子たちの中に投げ込むような真似など、この父は許さないはずだ。
一方は必死に、一方は穏やかに口論を続ける中、アーサーは一人思う。
当面の目的は、彼女の母親に気に入られることだ。
そして、もうひとつ。
通常なら王族の娘はしかるべき知識者に教育を施されるはずだが、それを不完全なまま世に送り出したのも、王妃に違いない。
彼女にすべてを教えることになる自分には、彼女をどうしてこんな風に育て上げたかと、訊ねる権利がある。
何が何でも、その謎を解いてやる。
そんなアーサーの隣では、穏やかに見えて実は激しい父娘の口論が、まだ続いている。
これもある種の幸せだろうか、と、アーサーは一人、手持ち無沙汰に立ち尽くした。

……先は、思い描けど見通せない。長い道のりに、なりそうだ。




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続・王子様たちと私 First day