My fair lady 3
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 なにやら妙なことになってしまったな、とオークは独り言ちた。
「隊長、いいんですかーホントに。彼、まだ新入り組ですよー」
「分かっている。だが……あんな目で言われてしまっては、な」
彼の黒髪もあいまって、懐かしい過去が、どうしても重なってしまう。
強く、強く力を求めた、幼かった彼の王子と。
だが、理由が思い浮かばない。
あまりにも唐突な、稽古を求める申し出。
悪いとは言わないが、なぜか彼には似合わない気がした。
「でも、珍しいですねー、メンフィス君、訓練大嫌いでいつもちょっと引いた感じで参加してたのに。気持ちの変化でしょうか」
「さて。稽古のあとに、訊いてみるしかないな」
首を傾げるセーラムの言葉に、問いたいのはこちらだという呟きを飲み込んで、オークはやってきた彼の腕に抱えられた木剣を取りに、ゆっくりと足を踏み出した。
 「して、何が出来るようになりたいんだ?」
「……グレイスに勝てるようになりたいです」
聞いて、オークは目を瞬いた。
確かに、自分より弱かった相手に追い抜かれるときの不安は計り知れない。毎日その成長を目の当たりにしていた彼も、ついに耐え切れなくなったのだろう。
「負けたのか」
「……あいつの自主練習に付き合ってんの、実は、俺なんです」
納得が、一瞬にして驚きに変化した。
彼女が自主練習をしていたことよりも、この少年と一緒だったということに、激しく衝撃を受けた。理由も分からず、ただオークは、その衝撃を懸命に押さえつけることしかできない。
そんなオークの気など知らず、メンフィスは視線を落とした。ぎりりと鳴った拳は、強く剣の柄を握り締めている。
普段の彼の、訓練を受ける消極的な態度では、絶対に出来ないような肉刺がいくつも見て取れた。
「最初はそれでも俺の方が勝ってたのに。最近のあいつは……異常な速さで何でも吸収して自分のものにしていって。模擬戦やって、五分五分まで持ち込むほど、強くなった。悔しい。俺も強くなりたい。あいつに追い抜かれて、相手出来なくなって……」
ゆっくりと、顔が上げられる。
オークを真っ直ぐに見据える瞳は、なぜか……嫉妬の色に染まっていた。
今までに、あまり出会ったことのない感情に。
 人は、天が二物を与えた者には嫉妬を向けても、一物しか持たぬものにはそうでもない。
オークは武術だけが取り柄で、他に秀でたものは何もない。一見するだけならただの騎士で通るほど目立たない。だから、努力で何もかもをカバーする。
そんなオークに冷たくあたる者はさほどいなかった。
必死の努力を認めてくれる者、直接武術で優劣を競い、お互いの健闘を讃えることで分かり合う者、腹の底では見下していても、オークの価値を理解する者、その理由は様々だったが、彼らの感情は、嫉妬ではなかった。
オークも、嫉妬される何かを自身が持っているとは思えない。
一体、何が彼を嫉妬に駆り立てるのだろう。嫉妬されるというのは、不思議な感覚だ。
「これ以上、隊長とあいつが一緒にいる時間を作るのは、嫌です」
彼が抱いているだろう感情に気をとられていたオークが、はっきりと言い切られたその言葉を消化するには、少し時間がかかった。
何度か反芻して、疑問に行き当たる。
「……ん?ちょっと待ってくれ。君がグレイスに追い抜かれたからといって、俺と彼女が一緒にいる時間が増えるかどうかは分からないだろう。何がどうなってそんな結論に至ったんだ?」
「言えません。始めてください、お願いします」
一方的に打ち切られた会話に、言い募ろうと口を開く。
が、オークはふっと息を漏らし、それを諦めた。
きっと、彼はどれだけ追及しても答えない。
その強い意志を秘めた瞳に、引き結ばれた唇に、彼の拒絶は明らかだったから。
「いいだろう。では、始めようか」

 始めたはいいものの、予想外に訓練は困難を極めた。
強く振り過ぎてメンフィスの握る剣を弾き飛ばしたり、防いでくるだろうと思っていた甘い一撃が彼の脇腹に直撃したり、訓練と言うよりは一方的なしごきのような時間になってしまった。それでもきちんとついてきたのだから、彼の気持ちは本物だ。動機に多少の問題があろうと、やる気になったのはいいことに違いない。
ただ問題は、彼にとってはいい運動になるのだろうが、オークは慣れない手加減もあって、動き足らない。ふと、離れた位置で素振りに入ったセーラムに目をやった。
本当は、彼と打ち合うつもりだったのだ。久しぶりに柔らかく鋭い彼の太刀筋を、直接感じたかった。
「っぅあ!」
「?!っメンフィス!」
それは、反射的に取った動作。
セーラムに気をとられていたせいだろう。突っ込んできたメンフィスに、まったく気配りのない一振りを浴びせかけてしまったようだ。悲鳴に振り向くと、とっさに防いだだろう彼が力負けして倒れこむ姿が見えた。
「しまった……手加減し損ねたか」
背中を打ち付けないように受身の姿勢をとっていたから、身体は痛めていないはずだ。
近づき、覗き込むと、メンフィスは倒れたまま動かない。
呼吸はある。軽い脳震盪だろう。
荷物を漁って、何か湿らせてもよさそうなものを見つけ出す。
近くの水場で冷やして来た予備のタオルを額に当てると、彼はわずかに身じろぎして、ゆっくりと目を開いた。数度の瞬きのあと、彼は弓にしならせた瞳で笑みの形を作り、ありがとうございます、と呟く。
「強いんですね」
「俺はそれだけが取り柄だ」
「そうでしょうか……俺は、あなたの不器用な生き方を、尊敬します。俺は……とても計算高くなってしまったから」
言われて、オークは、若いな、と思わず苦笑。もっと尊敬されるべき何かをもてれば、よかったのだが。そして、妙なことに気を回す、複雑な年頃の彼を。
「その年でか?冗談も休み休み言え。太刀筋を見ていれば分かる。大人になりきれず、子供からも抜け出た多感な時期だ。大勢の人間と言葉を交わし、考え方を知り……ゆっくり自分を見つけていけばいい。自分の限界を自分で決めるな」
黒髪のせいだ、とオークは一人呟く。
だから、重なるのだ。この少年と、懐かしいあの顔が。
そして、こんな風に多感な時期を、わずかでも共に過ごすことのできなかった後悔が、まだ胸に残っていることを悟る。
だから歪んでしまったのだ、とは思わない。それは、オークの驕りであり、感傷だ。
今となってはもう過ぎ去った時間の中に埋もれ、彼女を得た彼にとっても、すでに昔のことでしかないのだろうから。
「俺は、グレイスが好きです」
「あぁ、聞いた」
「でも、あいつが想ってる人には、それが伝わってないんです。あいつ自身、自分の気持ちに気づいてるかどうかも分からないし」
「……あぁ」
「だから……グレイスを幸せにしてやってください、王太子殿下」
「何だ、俺が王太子だと気づいていたのか……」
「その髪と名前じゃあ、すぐ分かりますよ。でも、わざわざ口に出すことでもないと思ったんです。隊長は俺たちの近衛隊長で、王太子殿下はまた別物なんだと、勝手に考えてますから」
「それは……光栄だ」
笑ったオークに、メンフィスはゆっくりと身体を起こす。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫、です。……あ、約束してくださいよ、俺はグレイスのことも好きだけど、隊長のことも尊敬してるんですから。ちゃんと、幸せになってください」
「む?」
メンフィスはそう言って笑ったが、今度はオークが眉を顰める。
幸せになれ、と言われても、約束できないことはある。
「……いや、ちょっと待ってくれ。グレイスには、その……好いた相手がいるのだろう?俺がどうこうしなくても、彼女は、何とかするんじゃあ……」
「照れてないで、ちゃんと約束してくださいよ、そうじゃないと俺……」
「照れて……?」
言ったオークの目をまじまじと見つめて、メンフィスは笑みを引きつらせた。
「……えぇと……ようするに分かってないんですね。じゃあ、いいです。今のままで」
「そうか。では、今の言葉は忘れることにしよう」
「……どうしてこんな似なくていいようなところが似るんだろう」
呟くメンフィスの言葉は細部まで聞き取れなかったが、オークは深く気にすることなく思考を切り替えた。
「実は、もうひとつどうにかして欲しいことがあるんです」
「なんだ?さっきのように無理かもしれないが、聞くだけ聞こう」
答えたオークに、彼は苦笑してひとつの問いかけを投げた。
「グレイスのお父上の名を、ご存知ですか?」
「いや……入隊前の審査で身元がはっきりしているから、皆ファーストネームだけでコミュニケーションをとっているだろう?俺も例に漏れず、だが」
木陰まで移動し、そこに並んで腰掛ける。
先ほどの謎かけのような会話の続きかと、思わず身構えたオークだったが、そうではないらしい。首を振ると、彼はそっと秘密を打ち明けるように答えを教えてくれた。
「ルドルフ=ヴァレンハイト。グレイスは、ヴァレンハイト家の末子だそうですよ」
「ヴァレンハイト?あの、恐ろしく忠実な軍門一族か」
ヴァレンハイトと言われて思い出すのは、現在佐官クラスの家長と、続く尉官クラスに配属されている二人の息子たちだ。彼らと話す機会はたくさんあったが、娘がいるなど、聞いたこともない。
「なるほど。もともとの素質に、あの努力家な気質であれば伸びるのも当然か」
ヴァレンハイト家の面々は、真面目で勤勉、曲がったことや、こそこそと裏で画策することを嫌う、まさしく絵に描いたような軍人で、その能力も際立って高い。彼の才を受け継いだなら、素晴らしい武官になることだろう。
「でも、グレイスの父上は、女が軍に在籍することを嫌がっているそうです」
「……では、グレイスはどうやって近衛に入ったんだ?そう言えば、その辺のいきさつを説明してもらってないな」
「さて、どうしてなんでしょう」
「何だ、結局謎かけか?」
「隊長は、駆け引きがお嫌いですね」
「当然だ。俺に弁才はないんだ。そんなことは、頭の回転の速いグレイスやセーラムとでも……」
自分の発した言葉に、オークは息を飲んだ。
「確かにあの二人は、駆け引き、取引、上手そうですから」
メンフィスの遠回しな肯定に、オークは答えを得る。
つまり……そこに何らかの駆け引きがあったということ。
「ルドルフとグレイス、だの、ルドルフとセーラム、だのといった組み合わせではなさそうだな」
「ヴァレンハイト卿のお宅では、男は軍に、女は家庭に、といった育て方をなさるそうですから」
すごい形相で関係のない俺に愚痴るんですよ、と彼は笑う。
「情報源は末娘か」
「家に縛られるのが嫌だった、って言ってました」
言われて、オークはふと気づく。
「それでは、もしやグレイス、父には断らず……」
「かも知れないですね。一度父親の前で剣を握ったことがあるらしいんですけど、たったそれだけのことで家中の刃物をどこかに隠されたそうですから」
そこまで徹底していれば、むしろ笑える。
だが、当人にとってはがんじがらめのそんな環境に耐えられるはずがない。
自ら剣を取り、成り立てとは言え近衛隊の一員に勝負を挑んでまで武官になりたかったのだから、その決意は恐ろしく固く強かっただろう。
「だが……無断、というか、家出はよくないな」
「俺の父の妹が、ヴァレンハイトの屋敷でメイドやってるんです。病気がちな奥方様の容態がかんばしくないって言ってるんで……見舞いに行けって言ってやったんですけど、グレイス、絶対に嫌だって聞かなくて」
家出の上に、母は床に伏せっている。
これは、誰がどう見てもグレイスが身勝手なことをしたからだろう。
「グレイスの気持ちは分からないでもないが……母君の見舞いくらい、行っても罰は当たるまい」
「どうか、隊長からも説得してやってください。俺じゃあ、もう何を言っても無駄だと思うから」
ふむ、とオークは息をつく。
「分かった。今夜あたり、グレイスの部屋を訪ねてみよう」
「お願いします」
微笑んだ、メンフィスの顔。
懐かしい記憶がまた重なって、オークの頬が緩んだ。と、そのとき。
「隊長っ!!医務員連れて来ました……けど……もしかしてもう必要ないですか?」
城の中庭を横切って、ものすごい勢いで走ってきたのはセーラムだ。
そう言えば、彼が倒れたとき、セーラムに向かって医務員を呼んで来いと怒鳴ったような気もする。
「あぁ……いや、すまん」
大丈夫みたいだな、と小さく答えると、セーラムの大きな溜め息が聞こえた。




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