My fair lady 1
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 太陽の国にいたときでさえ自国から送られてくるデスクワークをこなしていたのだから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。
頼られているということは信用されているということであり、王太子という身分のオークは、それを喜ぶべきなのだろう。
だが、まさかこれほどまでとは思いもしなかった。
帰国後すぐ……一週間も、執務室に缶詰になるなどとは。


 オークの朝は、早い。
日が昇ると同時に起床し、軽い身支度を終えると外に出る。
誰よりも早い、早朝練習。
身体をほぐし、少し温めてからロードワークに入り、汗をかく頃に修練場に戻って。
続けて、剣の基礎練習。
応用を終える頃になると、この国の軍の将来を担う下位兵が集まり始める。訓練の準備をするのは、彼らの仕事だ。
その日も同じように、王宮全体が活気づいて、一日が始まった。そう思った矢先だった。
「っもー!!どうしてあたし一人でやんなきゃならないわけあいつらふざけやがって!!訓練でめためたにしてやるんだから!」
半泣きになった少女が一人、修練場に飛び込んできたのは。
その少女は、肩の辺りで揺れる亜麻色の髪を大雑把にくくって、ものすごい足音を立てながらやってきた。
オークの目の前を素通りした彼女は、酷く荒っぽい動作で倉庫の鍵を開け、引き戸を、気持ちのいい音を立てて開け放つ。
「女だと思って、馬鹿にすんじゃない!!」
模擬刀を収めた箱を引きずり出し、胸当てを手際よく数えていく。
……どうやら彼女は、訓練の準備をしているらしい。
だが、それにしては妙だ。
訓練の準備は、一人が受け持つわけではない。数人が交代制で行っているはず。少なくとも、オークが会合に出かけるまではそうだった。
オークも、彼らに混じって訓練の準備をしていたのだから。
見たことのない少女を前に、オークは躊躇う。
一体何があって、彼女はここにいるのだろうか。
確か、王宮の近衛兵は、男しかいなかったはずなのに。
……躊躇いよりも、疑問の方が大きかった。
オークは、握っていた剣を納め、滲んだ汗を拭う。数度深呼吸を繰り返して、彼女にゆっくりと近づいた。
「……失礼だが、訊ねてもいいだろうか」
「……へ?」
顔を上げた少女の瞳は、濃い紫。
どこか彼の国の姫君を思い起こさせる色に、オークは苦笑する。そういえば、あの二人は元気にしているだろうか。幸せに……なるだろうか。
脳裏をよぎった懐かしい日々をそっと伏せて、オークは驚いている少女に、続けて声をかける。
「君は……正規の兵なのか?近衛団は、男以外は入れなかったんじゃ……」
問いかけた言葉に、彼女は持っていた胸当てを取り落とした。
その表情は、唖然、という言葉がぴったりだろう。
しばらくそうして固まっていたと思ったら、少女はさっと顔を紅く染めて、何と、オークを。
「まだそんなこと言っていちゃもんつけるわけっ?!」
怒鳴りつけた。
「いや、悪いと言っているのではなく、どうしてかと……」
訊いているんだ、と続けようとしたオークの言葉は、またしても彼女の罵声に遮られる。
「だから、何度言えば分かるのよ!!あのヘタレにあたしが勝ったのは事実だし、近衛が男じゃなくちゃ駄目だなんて規定はないでしょ!!隊長が言ったんじゃない、半年間近衛の訓練や生活に耐えられたら、って!」
「た、隊長が?」
まだ分からないの?!とものすごい剣幕で詰め寄られて、オークは思わず後図去る。
何となく……彼女がここにいる理由は分かった。
おそらく彼女は近衛になりたくて、その権利をかけて近衛の誰かに勝負を挑んだのだろう。そして、彼女は勝った。だが、よく分からないのは……隊長、という言葉。
本物の隊長が許可したというのなら、オークが知らないはずはないのに。
思い当たることと言えば、それは。
「……その隊長とやらは、茶髪に翡翠色の瞳をした色男か?」
「当たり前じゃない、他に隊長がいるって言うの?!って言うか、あんた誰よ?!」
喧嘩腰のその答えに、ようやくオークは理解した。
彼女がここにいるのは、近衛隊長『代理』が許可したからだ。
……本物の近衛隊長は、会合でこの国を留守にしていた、オークなのだから。
「……準備を、手伝おう。一人では間に合わないかもしれない」
「え……あ、いや、別に大丈夫よ?!今までもやってきたし、それに、手伝ってもらっちゃったなんて奴らに知れたらっ」
「心配いらない。しばらく留守にしていたのだが、この準備を手伝うのは、日課だったから」
「で、でも!」
途端に慌てふためく少女に向かって、オークは俯いたまま囁く。
「今日は、剣を使ったまともな訓練など出来ないかもしれない」
「え?」
独り言は、彼女の耳まで届かずに梢のざわめきへと解ける。
「俺が留守の間に何があったのか、詳しく説明してもらわなければ、な」
さらに呟いた言葉は、過ぎる風の中へと散っていった。

 ざわついた集団が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
それは、オークが知っていた頃よりもどこか軽薄な印象を抱かせた。
「たるんでいるな」
「そうよ。あいつら、ホントに自分たちの能力を過信してるの。たしかに隊長はすごい腕を持ってると思うけど、でも、あいつらには特別なところなんて何もないのに。磨けば今より、絶対にましになるはずなんだから、もっと頑張ろうとして欲しいわ」
予想していたより準備は早く終わった。おそらく、彼女の手際がいいのだろう。
今までやってきた人数の半分以下でこれだけのことが出来るのだから、今までの準備は、相当な無駄があったはずだ。見直しが必要な部分は、たくさんある。
植え込みの前に並んで腰を下ろして、思うままに喋る彼女の言葉を聞いていた。
大半が彼女と同時に入団した下位兵への不満で、オークの知った人物は、彼女の言う『隊長』しか出てこない。
 その『隊長』は、剣術の腕と顔はいいのだが、少し気が弱い。一月くらいなら何とかなるかと信じて任せてみたものの、やはり入りたての兵たちには甘く見られる隊長だったのだろう。
一体どんな姿勢で彼らを嗜めていたのだろうかと、オークはそれを想像して少し笑った。
こぼれる声をこらえて俯いたその先に人影を見つけたのは、そして、頭上から声が降ってきたのは、すぐのこと。
「よぉグレイス!なんだぁ?こんなところでデートかよ?」
影の主の言葉で、ようやくオークは彼女の名が『グレイス』であることを知った。
女性の名を尋ねた経験などなかったオークは、どのタイミングでそれを訊けばいいのか、分からなかったのだ。
「はぁ?何言ってんのあんた相変わらず馬鹿ね返す言葉もないわ」
間髪置かずにグレイスが返す言葉は、キレのいい高音。会話を聞いているだけでも分かるほど、彼女の頭の回転は速い。滑舌のいい発声は耳に心地よく、同時に、悪い言葉は気に障る。
「なっ……だったら男とこんなところでぐだぐだ話してないで自主練習でもしたらどうなんだ?!」
「それはそっくりそのままあんたたちに返してあげる。あたしよりも練習が必要な人に言われたかないわ」
「っいい気になるんじゃねーぞ、グレイス!」
言って、少女に掴みかかろうとした影に、オークは思わず、割って入っていた。
「そう簡単に頭に血を上らせているようでは、近衛兵としては未熟。隊長……セーラムはお前たちをやんわり嗜める程度だろうが、俺はあいつほど優しくないものでな。手加減が出来なかったら、申し訳ない」
受け止めた拳は、まだ柔らかい。手の平は、肉刺ひとつなく綺麗だろう。
オークが鍛えた精鋭たちは、半月もあれば手が一回りほど大きくなった。あまり訓練に力を入れていない、確かな証拠を見たようで、少し不安になる。彼は、ちゃんと彼らとの間に信頼を築くことが出来たのだろうか。
「おいおい、仮にも隊長を呼び捨てにしていいと思ってんのか?」
馬鹿にするような響きが込められた言葉に、オークは苦笑する。
「一応、セーラムを敬う気持ちはあるようだな」
舐められるだけではなかったのだ。セーラムを責める必要は、これでなくなった。
「だから、あんた一体なんなんだよ?もうすぐ近衛の訓練が始まるんだぜ?部外者はさっさと出て行くんだな!」
上から押さえつけるのは、自分が弱いことを知られたくないという強がりからだろうか。
今回の会合を経て、いい意味での変化と、心の余裕を得て、オークは酷く安定していた。
「……とりあえず、名前を聞かせてもらおうか」
「は?」
「君の名前を。後々必要になるかもしれない」
ゆっくりと、腰を上げる。
高くなっていく目線に、拳をつかまれた下位兵が目を丸くしている。
黒髪に、薄青の瞳。きっと彼のことは忘れないだろう。
ほとんど見下ろすような位置からの視線に、彼は戸惑っているようだった。
その後ろに連なる仲間たちも、そして、隣にいるグレイスも。
「そう言えば、あなた、一体……」
そう呟いたグレイスの声に、答えようとしたその瞬間だった。
「……っ隊長?!」
下位兵の向こうから聞こえてきた声は、耳に覚えのある懐かしいもの。
ようやく、オークの見知ったこの場所へ帰ってきたと、それをはっきり知らしめるのは、セーラムの声だ。
下位兵がさっと二つに割れて、それを押しのけるようにオークの前へと現れたのは、確かに見慣れた茶色の髪と、翡翠色の瞳。
やや下がった目尻に、安堵が見え隠れしていた。
「帰ってきたと伺っていたのに、いつまでたっても姿を見せなくて、一体どういうことなんですか!心配したんですよ?!私は、私は……もう、隊長代理なんてごめんです!!後輩にはからかわれるし、新入りには舐められるしっ!どうして、一番に顔を出してくれないんですかっ!!」
だからと言って、顔を出した途端泣きつかれるのは困る。下位兵よりも幾分か視線の近いセーラムに、思わず笑みがこぼれた。
「まさか、一週間も執務室に缶詰になるとは思ってもみなかった。だが、いい加減身体が鈍って仕方ない。どうにか言いくるめて、ようやく脱走してきた。これでも急いだんだ、そう責めるな」
「それは分かってますけどっ」
おそらくまだ続けられるだろう愚痴を、無理やり手を上げて遮る。
さっと口をつぐんだセーラムに、ゆっくりと手の平を返し、それの返却を求める。
「……留守中、世話になった。今このときより隊長代理の任を解こう。ご苦労だったな、セーラム=ディジア副長」
オークの言葉に、セーラムは頷いて、左手の親指に嵌っていた指輪を引き抜き、手の平の上へと乗せた。それは、近衛隊長の証である、剣の紋章を彫った指輪だ。元々はオークの、中指に嵌っていた指輪。
「長らくの政務、お疲れ様でございました。我々は常に、貴方様の剣の下に。お帰りなさいませ……オーク近衛隊長殿」
「たっ……!!」
隣で、甲高い声が上がった。
ふと目をやれば、そこにはオークを見上げるグレイスの視線があった。純粋な驚きを湛えた、濃い紫の瞳。そして、叫び声を押さえるためなのだろう、両手で口を押さえている。
「あ、あれ?みんな……?か、顔、青いよ?」
心配するようなセーラムの声にそちらを向けば、あたりに立ちすくむ下位兵は、揃いも揃って、青い顔で冷や汗を浮かべている。
ある意味、自業自得だ。
「長らくの留守を申し訳ない。新人諸君には自己紹介が遅れてしまったが、俺が近衛隊長、オークだ。一ヶ月所用で国外に出ていたせいで、書類を溜め込んでしまった。一区切りがついたので、これからは俺が指揮をとる」
細めた目で下位兵を一瞥すると、青い顔は血の気が引いて白くなった。
こんな鍛え方も、案外面白いかもしれないと、オークは頭の片隅でふと思う。
遠くから聞こえてきた懐かしい声は、オークが一から鍛え上げた精鋭たちだ。
上がる歓声に笑みで答えながら、そっと隣へ視線を移す。
こちらの視線に気づいた、近衛兵団最初の女性隊員は……赤く上気した顔で、笑い返してくれた。
「それでは……訓練を始めようか」




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