恋愛予行演習 1
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 目の前に、どんと構えた巨大な漆黒の単車。
その前に、こちらも全身真っ黒の、単車とのデザインもぴったりのフルフェイスメット、ライダースーツ、ラバーソールを纏う男。
遠目から女の子たちが熱い視線を送るほどなんだから、そりゃ、目の前で見ればもう失神してもおかしくないほどの肉体美。
身長は、180センチくらいあるだろう。155センチの私から見て、ちょうど胸に目線が行くくらいだし。
頭身が高くて、何と言うか、例えるならば水泳選手の肩の厳つさを取って、スレンダーにしたような、ってのが妥当か。これで顔が悪かったら、詐称罪で訴えてやりたくなる。
 わけも分からず友達に『ちょっと来なさい!』って連行されて、こいつの前に引き出されて。
 私は、あっという間に拉致された。

 「……で?あんた誰?」
わけも分からないままに拉致された先は、学校のそばの超高級マンションの、地下駐車場だった。別に、こんなごつい単車で乗りつけるような場所ではないと思う。
……タンデムが初めてで目の前にいたこの男に必死でしがみついてたとか、それでも怖かったとかそういうことは別として。
ぽこんとかぶせられていたヘルメットを取る。よくよく見ると誘拐犯がかぶってるのとデザインとか一緒なんだけどこれってどうなの?あぁもうどうでもよくなってきたけど。
じろりとにらみつけると、そいつはヘルメットの中で、苦笑した。くぐもった音が漏れる。
「……私、状況さっぱりわかんないんだけど?」
追求するように、強い口調で。
なのにそいつは、知らん顔でバイクを軽く扱って、『梶原』ってプレートがかかったスペースにそれを止めて鍵。
ヘルメットに手をやって、こちらを向いた。
「はじめまして、伊沢咲姫ちゃん」
慣れた仕草で乱れた髪を直す。少し、長め。さらりとかき上げられる、染めたものとは違うだろう綺麗な栗色の髪。
こちらに目をやるその動きさえが綺麗で、自然で。
金色がかった茶色の瞳が、こっちをそっと伺う。
鼻筋から薄い唇にかけての綺麗なライン、緩やかな頬の線、それは、起訴する勇気も出ないくらいの、いい男。
どこかのポスターにいなかったか、雑誌で紹介されてたりしなかったか、テレビで見てないかとか、色々乏しい記憶をひっくり返してほじくってみる。
それでも、ちっとも見当たらない。片隅にも引っかからない。
どうして?
「百面相は後にしてくれ。記憶をひっくり返しても、俺は一介の大学生だ。そう顔が知れてるとすると逆に困るんだがなぁ」
ため息混じりに苦笑されて、私は顔を上げた。
……直視するには、有害な美貌。
「えーっと。で。結局あんた誰?私はどうして拉致られたわけ?」
腕を組んで、仁王立ち。
そいつはやっぱり苦笑して、分かったから待て、と私を諭した。
……こんなところで大人ぶりやがって。いや、実際大人なんだろうけど。
「梶原深雪、知ってるな?」
「大ファンですっ!!」
そいつのライダースーツの胸元から、すちゃっと出てきたのは、見たことある写真。私は間髪置かずにそれに飛びついた。
綺麗なダークブラウンの髪、金色がかった茶色の瞳。整った顔が、微笑んで。
それは、今もっとも著名なミステリー小説家の作者近影に載ってる写真だった。

 梶原深雪。
それは、ミステリーでデビューした、現在ミステリ界の新星としてベストセラーを山のようにはじき出している文才の持ち主。私が今、一番好きな作家さんの名前でもある。
私、怖い系の話がすごく苦手で、そういうジャンルの映画とか、お化け屋敷とかはどうしても敬遠しちゃうんだけど、梶原深雪さんの小説は違った。
驚くほどすらすら読めて、漂う小さく散りばめられた恐怖がますます読者を引き込んでいく。
読後は、息が切れるくらいの緊張を全身から解くことからはじめる。それからしばらく気持ちを落ち着けて。そうでもしないことには、動く力が出ない。
それほどまでに、深雪さんの小説を読むときには心を決めて、しかも一気に読みきってしまうから十分な時間が必要になる。
そんな小説を書く人は、私の人生で初めてだった。
心酔している、と言ってもいいくらい、私はこの人の書く小説に魅了されている。

 で?
「何で、あんたが深雪さんの写真持ってるわけ?ストーカー?」
「誰があんなやつのストーキングなんかするかよ。ストーカー持ちなんて俺一人で十分だ」
それは要するにストーキングされてるってことですか。
その美貌じゃしょうがないような気もするんだけど、やっぱり自覚ないのかな。王道っぽく。
「どうせストーキングするなら俺よりも顔のいいやつをストーキングする」
……自覚持ちだった。
「ちがーう!!ストーカー云々はどうでもいいの!あんたは何者かって聞いてるのに!」
びしぃっ、と指を突きつける。するとそいつは、その突き出した手首をがしりとつかんで。
「俺の名前は、梶原透次。透次って呼んでくれ。……お前が大ファンな梶原深雪の、弟だ」
「……は?」
「聞こえなかったか?俺はお前が大好きなミステリ小説家の梶原深雪、あぁ……本名吉森深雪の弟だって言ってるの。分かるか?」
ずるずると引きずられるようにして、上品なデザインのドアの前まで足を運ぶ。
ポーンと、綺麗な音が鳴って、扉が開いて。
私は、エレベーターに押し込まれた。
混乱しすぎて、抵抗する余裕もなかった。
この、梶原深雪の弟を名乗る美貌の誘拐犯に。

 ぐーんと上がっていくエレベーターの中で、しかも隣にはこの美男子がいて。
何と言うか、落ち着かなくなってきたと言うか不安になってきたと言うか。
だって、目的を何も聞いていない。何のためにこのマンションに来て、何のためにエレベーターに乗ってるのか。
ぶっちゃけ、深雪さんの歳や本名はどうやってでも調べられる。ホントにストーカーかもしれない。
だけど……だとしたらこいつが、何のために私を誘拐したのかが分からない。
何にしたって、こんな得体の知れない人にほいほいついていくことになってる私って……。
「部屋は17階だ。ワンフロアに二つしか部屋がなくてな、片方に俺、もう片方に姉貴が住んでる」
階数を示す電子パネルを見上げる顔も嫌になるくらいかっこいい。
あぁあああ。誘拐犯の癖に誘拐犯の癖に。
「……何うーうー唸ってるんだ?」
「……や、誘拐犯にのこのこついてって私ってばなんて馬鹿とか思って自己反省」
「反省はサルでも出来るらしいな」
「あんたのせいでしょうが!!」
食って掛かっても、澄ました顔でにこりと笑う。いや、違う、今の笑いは絶対にやりだ!
「ま、何にしたっていまさらな話だ。本格的に誘拐犯に仕立て上げたいんなら、俺が可能な範囲でそれっぽいことをやってやるぞ?うら若き17歳の美少女だしな。腕が鳴るぜ」
ちょっと待て何考えてるんだこいつは。
あぁ、にやりで当たってた……。
「それ、誘拐の上に更に罪が加わったり……?」
「それも致し方なかろう。17歳の美少女だしな」
何が致し方ないんだ何が!!
畜生馬鹿ー。
めそめそしてる私に、そいつは苦笑して小首を傾げた。
「お前本気にしすぎ。俺は犯罪者になるのは嫌です。って言うよりな?犯罪に手を染めようとするやつがあんなごつい登場するか?」
「や、だってそんなのわかんないし梶……」
「透次。名字だとややこしいから。まぁあいつは吉森ではあるんだが、梶原とも名乗ってて何がなんだかだし」
……今の私、多分不本意の塊みたいな顔をしてると思う。
「ほら、呼んで。透次って」
「……促し方がなんか変態っぽい」
「やかましい」
苦笑交じりの誘拐犯……と、透次、さん?いや誘拐犯に敬称はいらないのかあぁでも年上だし……。
決死の覚悟で、その名を、口に。
「と、透……」
しようとした途端、ぽーん、と再び上品な音が鳴って扉が開いて。
目の前には、人がいた。
写真そのままを引っ張り出したみたいな、本物の。
この間こっそり学校を抜け出して行った握手会で見た。
「ようこそ、咲姫ちゃん!」
満面に笑みを浮かべた梶原深雪さんがいた。




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