モノカキさんに30のお題 01.はじめまして
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 その日、めぐみの元にやってきたのは、栄養失調で倒れたという医大生だった。
「ね、パパ……何?この人」
屈強という言葉からは程遠い父の肩を借りて、辛うじて玄関に立っているようなその青年に、彼女は首を傾げる。
「んー?いや、僕のゼミの、3年のゼミ長さん。入学した当初から、真面目な子でさ、質問に来たり図書館でばったり会ったりしてたんだよ。で、僕のゼミに入ってからも責任感はあるし優秀だし、他のゼミ生からも慕われてて、今年度の3年生のゼミ長を引き受けてもらっちゃったんだ。やっぱり彼に頼んでよかったなーって思ってたら、今日、いきなり倒れちゃってさ。細かい事情が色々あって、仕方ないから連れてきたんだ。なんか食べさせてあげてよ」
要領を得ない説明に突っ込みを入れたいのは山々だが、ちゃんと連絡入れないでごめんね、と父に優しく微笑みかけられると、めぐみにはもう文句なんて言えない。
「うん。待ってね、今から用意する」
その間に質問したいことをまとめておこう……そんなことを思いながら、めぐみは玄関から真っ直ぐ廊下を突っ切った先の、リビングに続くドアを開けた。

「めぐー、なんかすぐに食べられるものあるかなぁ、お腹にたまるようなの。味はどうでもいいから」
とんでもないことを言う父に、めぐみは苦笑しながら首を振った。
「私の作ったもので、どうでもいい味のものなんてないわよ、失礼ね。でもお腹にたまるものなら、そうね、鳥の香草焼きがあるわ。パパの好きな料理だけど、いいわよね?」
「……えーっ……な、なんか他には?」
子供のように素直に感情を表す父の姿は、いつまでも若い。幼い頃に母親と死に別れてから、ずっと父の手によって守られてきたとは言っても、こんな父を見ているとやはり子供の相手をしているようだ。
「豚の角煮があるけど……そんな脂っぽいもの、食べて平気なの?」
父がソファに腰掛けさせたその青年の顔には、血の気がない。閉じた瞼も白く、体もぐったりして、健康的という言葉からはかけ離れている。3回生ということだから、二十歳は過ぎているのだろうが、それにしては体の肉付きも薄い。
「大丈夫大丈夫、彼はね、あんまり食事取ってないから、栄養失調気味なの。それに、疲労もかなり溜まってるし。しっかり食べてもらって、しっかり休んでもらえばいいんだ。だから、原田君が豚の角煮食べられるんなら……食べられるよね?」
「パパ、自分が香草焼き食べたいからってそんな冗談やめてよ。大体、二十歳過ぎてる大学生が、どうして栄養失調なんか……体調管理くらいできる歳でしょ?」
笑い飛ばそうとしたけれど、父からは返事がない。
見つめ返せば、かすかに細められた視線が返ってくる。
「……ほんとに栄養失調なの?」
「これでも僕は医者だからね。……めぐ、角煮あっためて。それと、あとでちゃんと原田君に謝るように」
今までの柔らかな声が嘘のように冷たく突き刺さる。
二人暮しには少し広いくらいのダイニングリビングに、かすかに響いて消えていく。
父は普段は非常に穏やかで優しい人だが、間違っている部分や悪いところははっきりと指摘する。父がそこまで言うのだから、この青年には体調管理も出来ないほどの何かがあったのだ。玄関で、細かい事情があって、と言われたのを思い出す。
「うん。待ってて、他にもなんか出来そうなものあったら作ってみる。パパも食べる?」
身を翻してキッチンに向かって歩き出しためぐみの背中に、父の普段の、穏やかな声が柔らかく届く。
「そーだなー、香草焼きがおかずだから、ピラフにしよう。ご飯はあるんでしょ?冷凍の小海老があったと思うんだよねー」
「その人が豚の角煮食べるんだから、チャーハンでもいいでしょ。……あ、海老があるんなら、エビチリでもいっか。パパ、その人辛いもの平気かな?」
「めぐー」
辛いものが好物のめぐみに対し、父は辛いものを受けつけない体質だ。情けない声を出す父に、めぐみは背中を向けたまま笑いを噛み殺す。
そして、とりあえずは父が連れてきたいわくありの青年の栄養摂取をサポートすべく、シャツの袖を捲り上げた。

 「めぐ、ごめん。ちょっとお弁当詰めてくれるかな」
ありあわせの材料ながら、豪勢な食事が食卓に並び始めたとき、父が申し訳なさそうに顔を出した。その後ろには、父とさほど変わらない身長の、青年が。
「一人分?……まさか二人分?」
「一人分。病院でなんかあったんだって。呼び出し食らっちゃった」
こんなはずじゃなかったんだけどね、と呟いた父に、起き出してきた青年が申し訳なさそうに頭を下げた。
「夜分遅くに、申し訳ありません」
「謝ることなんてないよ、君は悪いことをしてるんじゃないんだから。医者の僕からの忠告は、たっぷり食べて今日一日だけでもゆっくり休みなさい。いいね?めぐ、客間にお布団頼んでいいかな?夜中には帰って来られると思う」
柔らかく微笑んだ父の笑顔に、青年の表情が和らぐのをめぐみは見た。
そこには、確かに父への揺るぎない信頼と尊敬が存在している。
彼が父へと向ける感情には、自分の抱くものと変わらない強さがあるだろうとめぐみは確信した。
だから、笑ってひとつ頷く。
「分かった。今すぐおかず詰めるからちょっと待ってね。あんまり頑張りすぎちゃ駄目よ?」
最初に、柔らかな笑顔を返してくれる父を。そして次に、その隣にいる青年の表情を見つめて、彼と目が合うと同時に笑いかけた。
「はじめまして、江藤博幸の娘のめぐみです。先ほどは申し訳ございませんでした。今夜はゆっくりとお休みになってくださいね」
それが、最初の言葉だった。




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