1.導入
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 とある世界の、とある国。
一人の王様が治めるその国は、それなりに平和な国です。
 その国の王様は、四人のお抱えの兵を持っていました。
人々の話題に、ひっそりと上るたくさんの噂の中、それは確かな真実。
王様の我が侭を叶えるための私兵、通称『トランプ兵』たちのお話。


 トランプ兵たちの主は、実に気まぐれだ。

 ふと視線を四十五度右に傾けてみると、全身が映る姿見があった。
その中に、優美な装飾の施された椅子に腰掛けた、一人の男が映っている。
銀髪、碧眼。肌の色が白く見えるのは、全身黒ずくめの服装をしているせいだろう。そうに違いない。男にしてはやや大きい目と下がった目尻で若く見られるため、もう少し男臭い顔であればと思うのだが、それは欲張りすぎか。なかなかの美男子だ。
スペードは、ん、と鏡の中でポーズを決める。
「うん、案外イケる」
「何がだこの変人」
「……ぶへっ!!」
凛とした声と同時に、側頭部に硬くて尖った部分のある何かがぶつけられた。強い衝撃に椅子から振り落とされそうになったが、何とかやり過ごす。
……人間、痛すぎると声が出ないというのは本当だったのか、と、スペードは声なき喘ぎの中思った。
「前から変人だとは思ってたけど、ナルシストだったとは知らなかったわ」
冷たい声音に、スペードは負けじと顔を上げた。ただ、痛みで脳髄が揺さぶられているため、さほど素早い動作ではなかったが……反応しないわけにはいかない。
「……っ何しやがるんだよ暴力小娘っ!!」
「一人で鏡の中の自分にうっとりしてこっちの声を聞こうとしない変態童顔野郎に制裁加えてやったのよ。あたしも腕が落ちたわね……椅子から打ち落とすつもりだったのに」
 視線の先には、一人の女が立っている。予想通りの人物……同僚のハートだ。
榛色の瞳が真っ直ぐにスペードをねめつけてくる。鮮やかな赤毛は彼女の動きに伴ってさらさらと揺れ、肩から背中、腰までを覆っていた。いつも異なる髪形で現れる彼女だが、今日は珍しく、横髪を軽く編んで結っているだけだ。しなやかでありながら、優美な曲線を描く肢体。流し目で微笑めば大抵の男は落とせることだろう。
ハートは、肩にかかる髪をぱっと払った。
蠱惑的な身体は、露出度の高い衣装に包まれ、その魅力を惜しげもなく晒す。
目のやり場が、なくなってしまうのだ。
「……くそ」
「ほら、早く来なさい……『例の人』がお呼びよ? じゃんけんしましょ」
手招かれて、スペードは腰を上げる。
まだぐらぐらするような気もするが、そのうち治るだろう。こんな痛みは、日常茶飯事だ。
「あ、そうだ。そこに転がってる辞書、ちゃんと王宮図書館に返しておいてね?」
「……は?」
不可解な言葉に、足元を見回す。
すると、視界に一冊の本が飛び込んできた。まるで……人を撲殺できそうな厚さの辞書だ。
「それ、あんたにぶつけるために借りてきたんだから。カウンターで『一番分厚い辞書ってどれですか?』って」
ゆっくりと顔を上げると、そこには彼女がいる。
魅力的な流し目で、薄く微笑んで。
「早く来なさい? 二人が待ってるんだから」
するりと視線が離れ、彼女が踵を返した。
赤毛がふわりとしなやかに舞い上がり、絨毯の敷かれたこの部屋でも、決して足音を立てない彼女のヒールが遠ざかる。
彼女は、そのまま静かに部屋を出て行った。
 ……批判する余裕もなかった。
「……負けた」
彼女の魅力と、微笑みに。
自身の内側に眠るささやかな感情も相まって、スペードは一度として彼女に勝てたことはない。
貧乏くじを引くのには、慣れている。
『例の人』の呼び出しがある限り、スペードの負け人生に終わりはない。
「あーあ……なんで俺、あんな女に惚れてるんだろう」
それが分からないのが人間というものだ。
思わず湧いた自嘲の笑みを浮かべたまま、スペードは立ち上がった。彼女に投げつけられた辞書を拾い上げて。
「うわっ何この辞書重てぇ!! あの女これ投げつけたのか?! 女かホントに!!」


  『じゃーんけーんぽーん!』

 そろそろこの連敗記録に終止符を打ちたいスペードだが、他の同僚たちは共謀しているのではと思うくらいにスペードを負かしてくれる。
この勝負が始まってから、全戦連敗。
じゃんけん勝負とは言え、現在進行形で更新中の恥ずかしい記録だ。
片手に因縁の辞書を抱えたまま、スペードは重い足を引き摺りながら『例のあの人』が待つ部屋へと向かっていた。
広い廊下をたった一人で進み、突き当たった荘厳な細工の施された扉の前に立つ。
――王の私室だ。
ノックなどしても仕方がないので、勝手に扉を押し開ける。
本人が呼びつけたのだから、準備くらいしているに違いない。……今日こそは。
「王様ー! 来てやったぞー、どこにいるんだ?」
問いかけの言葉に、返事はない。
おかしいな、とスペードは奥へ進む。
控えの間の向こうが、応接室であり執務室。その奥に、寝室がある。
何気なく執務室への扉を開けたスペードの頭に、何かが落ちてきたのはその瞬間だった。
痛みとは程遠い、柔らかな感触。
だが、その感触と同時におびただしい白い粉が飛び出した。
「うわ!! ……けふ、何だこれ、何が……」
毒か有害物質かと一瞬焦ったスペードだが、頭の上に落ちてきたものを確かめ、絶句する。
「……こくばんけし」
「やーいひっかかったひっかかったー!」
嬉しげに飛び上がったのは一人の男。
執務室の陰から飛び出したその男は、襟足の長いプラチナブロンドと、美しいサファイア色の瞳を持っていた。豪奢な毛皮製のマントを羽織り、金銀玉で飾られた王冠を頭に乗せている。
しばらく跳ね回るが、少しも止まる気配を見せないその男に向かって、スペードはおもむろに振りかぶった。
痕跡は見えないところに。
「死にさらせ」
人さえ撲殺できそうな辞書の背表紙が、男の……この国の王の腹にめり込んだ。

 「で? 今日は何だよこのくそキング」
「うぅぅ、痛いよぅ」
絨毯の上に長々と横たわる細い体に向かって、スペードは問いかける。
「そもそもは誰が悪いんだ? 人を石灰まみれにさせやがって。皮膚がぱりぱりするじゃねぇか。さっさと風呂入りたいんだから用件を吐け。今すぐ吐け」
「……あんなに可愛かったスペードが……」
「思わせぶりなセリフを吐くな。大人しくしてるのは初日だけって約束だったろ。いいから吐け。今日の俺は機嫌悪いぞ?」
さすがにやりすぎたと思ったのだろうか、彼は一瞬黙り込み、そして、おずおずと上目遣いでスペードに首を傾げて見せる。
「……怒らないよね?」
「保障は出来ない」
にべもなく切り捨てたスペードに怯えながら、けれど彼は、口を開いた。
「えぇっと……」
ぽつりと呟いた己の主の言葉に、スペードはまだ頭の上に乗っている黒板消しを、その顔に力いっぱい叩きつけた。


 「おかえりぃ」
真っ先に迎えてくれたのは、ハートだった。
「あぁ……」
スペードは王を執務室の椅子に縛り付けて、無断で湯を借りてから同僚たちの待つ部屋へと戻った。
途端に疲労が両肩にのしかかってきたような気がして、スペードはふらふらと長椅子に身を投げ出す。
「また何かされたの? スペードちゃん」
大丈夫? と問いかけてきたのは、スペードの寝そべる長椅子と揃いのものとは思えないほど、上質そうなソファに腰掛けた同僚の一人、ダイヤだ。
ここは王宮の一室だから、その部屋に揃えられている家具が一級品であることは間違いない。けれど、ダイヤがその家具に触れたり、腰掛けたりするだけで、さらに家具の価値が上がるように見えるのだ。
金の巻き毛と、青の瞳。この世に舞い降りた天使のような愛らしさは、まるで夢か幻のよう。シフォンやレース、リボンで飾られたドレスでも纏えば、王侯貴族の令嬢で通ることだろう。……そんな彼女が好んで着るのは、ハートに負けず劣らずの露出面積の広い服なのだが。今も、ノースリーブのブラウスと、パニエでふんわりと広がったマイクロミニのスカートを纏っている。白い四肢が眩しい。
「……まぁ、色々」
仕掛けた『例の人』も『例の人』だが、それに引っかかった自分も馬鹿だ。
わざわざ自分の失態を事細かに明かす気にもならず、スペードは言葉を濁し、そのまま突っ伏した。
「……あぁ、スペード、帰ってたのか」
「あ! クラブちゃーん!」
ぴょこん、とダイヤがソファから立ち上がって、扉へ向かって駆けていった。
仕草のひとつひとつが幼い彼女だが、よく考えると、行動を共にしている三年前からずっと変化なしだ。
……深く考えるのはやめた方がよさそうな気がして、スペードはぼんやりと横たわったまま顔を上げた。
「うーす。お前こそどこ行ってたんだよ」
「ダイヤ御所望の焼き菓子を厨房までもらいに」
ついでに飲み物ももらった、とテーブルに並べられた数種のクッキーとアイスティーが食欲を刺激する。
「あー俺も食いたい、ダイヤ、俺にもちょっと分けて」
「うんっ、いーよ! ハートちゃんも食べよー!」
にこにこと機嫌よく笑って、再びスペードの前に腰を下ろしたダイヤの隣に、引っ張ってこられたのか、クラブが並ぶ。
濡れたように光る黒髪に、切れ長の紫の瞳。がっしりとした体つきの、見るからに強そうな筋骨隆々たる美丈夫だ。半袖のワイシャツから覗く腕には、見事な筋肉が見える。彼のような男らしい肉体でも持っていれば、彼女にも勝てたかもしれないのに。
うつぶせた姿勢のままクラブを見上げ、この身体に自分の頭が乗っているところを想像する。
――とても耐えられそうになかったので、すぐさまその考えを打ち消した。
「やっぱり俺は俺のままで……」
「なぁに? スペードちゃん」
「いや、何でもない」
ダイヤの問いかけに首を振り、スペードは、しぶしぶ長椅子から上体を起こす。
「で、今回の指令な」
「そういえば、聞くのすっかり忘れてたわね」
そう言ってハートが近づいてきた。
その気配を背中に感じながら、スペードは『例の人』の言葉を、一語一句違わず、そのまま口にする。
「……『国境のおっきい盗賊団、ウザったいから潰しておいで』……だってさ」
我らが国王陛下は、そんな人だ。




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King Joker!