ラブ・ウォーズ! 5月.初めてのデート
<< text index story top >>



 五月晴れの空を見上げながら、レイエルはぼんやりと彼を待っていた。
遅刻してはいけないと、ずいぶん早くから用意を済ませてしまい、結局、待ちきれなくなって待ち合わせの時間より30分近く余らせて駅についてしまった。
見上げた空の色は、待ち合わせの相手の目を思い起こさせる。
今日の空も十分綺麗だが、彼の目を見れば、きっと誰でもそちらに軍配を上げてしまうに違いない。
風のように颯爽と現れて、そのままレイエルの中に居座ってしまった不思議な人だ。
慌ただしく始まって、絶対に『普通』という枠には当てはまらないだろうのに、今ではそれが当たり前のような気さえしてくる。
今はまだこの胸に眠る想いが恋かどうかは分からないが、それでいいと彼は言ってくれた。
そして今日は、初めて一緒に出かけようと誘われた……くすぐったい言い方をすれば、初めてのデートだ。
何だか遠足に行く前の日の小学生みたいに緊張してしまって、自分でもそれがおかしかった。
両手で握った重たい籐のバスケットの取っ手を握りなおす。中には、今朝作ったサンドイッチやちょっとしたデザートが入っている。昨日、最終的な時間の確認のために彼と電話で話したのだが、そのとき彼が、最近手料理を食べてないと笑いながら言っていたからだ。
両親が仕事に出ていたレイエルにとって、家事全般は趣味同然。それならばと、寮生活でしばらくご無沙汰だったキッチンへ立った。
と、周囲に一瞬ざわめきが走った。それだけでレイエルには、彼が来たと分かる。最近ではもう慣れたものだ。
顔を上げる。
想像通り、そこには彼がいる。どこにでも売っていそうな服を着ているのに、どうしてこんなにまぶしいのだろう。きらきらと流れる金の髪に、二歳差とは思えない優美な体躯。
隣に並ぶのが怖くなるくらい、この人は輝いて見えた。
「レイエル、おはよう」
「おはようございます」
サングラスをはずした向こうの、蒼い瞳が笑みの形に細められている。
身長差のせいで決して楽とは言えないが、それでもレイエルは彼の目が好きで、必ず目を合わせて話をするように心がけていた。
「何だ、ホントに作ってきてくれたのか?悪いな、手間かけさせて」
手に提げたバスケットに目をやった彼は、軽く肩をすくめて嬉しそうに笑う。
「いいんです、好きでやってることですから。久しぶりに思い切り腕が揮えて楽しかったですし。ウミエルさんのお口に合うかどうかは、保証できませんけど」
彼の気遣いが嬉しくて、レイエルはにっこりと笑みを返した。
「それじゃ、行くか。駐禁の場所に停めてきたから、急がないとな」
こっちだ、と肩を抱かれて誘導される。
頼んでもいないのに、バスケットはいつの間にか彼の手に渡っていた。
「重いな。つらかっただろ?」
レイエルには両手でも重かったバスケットを、片手で何気無しに持っている彼を見て、自分の非力さが恨めしくなった。もう少ししっかりしていれば、彼にこんな気遣いをさせずに済んだのに。
「そ、そんなことないです。大丈夫です」
気遣うような優しい声音に、レイエルは慌てて首を振った。
「私、持てますよ?」
「なに言ってるんだ、俺は大事なお姫様に荷物持ちなんてさせないぞ?」
そういうのは男がやればいいんだ、と笑顔で言い切られて、レイエルは小首を傾げる。
「……そういうものなんですか?」
「あぁ。隠しても無駄だぞ、手の平真っ赤なの、知ってるんだからな?」
くくっと小さな声で笑われて、レイエルは初めて自分の手が痺れて、感覚がなくなっていることに気づいた。
「それに、この細い華奢な二の腕に筋肉なんかついて欲しくないし。女の子は柔らかくて綺麗なもんだ……今のレイエルみたいに」
そう言って彼は、いつものように身体をかがめて、額に軽い口づけをくれた。

 過保護な両親と同じくらいに、彼はレイエルを大事に扱ってくれる。それと同時に、留学していたときの習慣がまだ残っているのか、過剰なまでのスキンシップも与えられてきた。
学校でも、そうだ。
 初めて出会ったあの日、帰りの電車でもお世話になったレイエルは、彼とお互いのことを教えあった。色々なことが分かったが、中でも驚いたのが、彼の通う高校に入学していたと言うことだ。こんな偶然もあるものなのかと二人で笑ったのを覚えている。
実際入学式が終わってから彼は教室まで迎えに来てくれたし、それからも何度か廊下ですれ違った。
彼は3年生で、学校で見るときはいつも忙しそうだ。けれど、レイエルの姿が見えると彼は必ず笑顔で声をかけてくれたし、時折彼から会いに来てくれる事もあった。
そんな風に少しずつ彼のことを知って、距離を縮めて。
高い位置からかけられる優しい声音も、大きな手で髪を撫でられる仕草も、レイエルにとっては新鮮で珍しくて、両親から無条件で与えられていた愛情とは別のそれが、とても心地よくて。
だんだんと好意以上のものを抱いているような気がしてきた矢先に、今日の誘いをもらったのだ。
嬉しくて嬉しくて、いつもなら帰らない週末に実家まで帰って、朝からキッチンを占拠してしまった。大きな病院を経営する両親に、出かけてきますと要領を得ない書き置きと朝ご飯とも昼ご飯ともつかないサンドイッチは残したが、心配した両親から連絡が入るかもしれない。ポシェットの中に入っている携帯電話がまだ何の反応も示していないところから見て、書き置きに気づいているかどうかも分からない。
「……どうした、上の空だな。俺との会話は、つまらないか?」
「え?」
気がつけば、目の前には磨き上げられた鮮やかな赤の車体があった。
ドアは左右にひとつずつしかない。レイエルにはその車が何と言う名前でどれくらいの価値があるのかは分からなかったが、優雅な曲線を描くそれはとても彼に似合っていると思った。
「ご、ごめんなさい!ちょっと、お父様たちが心配になって。あまり……説明をせずに出てきたんです。今まで、その、こうして誰かと二人きりでお出かけしたことって、なくって……」
顔を上げると、ほんの少し困ったような柔らかい色を宿した彼の瞳があった。レイエルの言葉に、かすかに表情を和らげてドアを開けてくれる。
「それじゃ、今日はさしずめ秘密のデート、ってことか。いい響きだな」
からかうような声音は、彼のリードに従ってシートへ乗り込んだレイエルには、はっきりとした言葉で届かなかった。

 「さて、お姫様?本日はどのような場所をお望みで?」
どんどんと流れていく景色を眺めていたレイエルは、先ほどまで凝視していた彼の涼しげな横顔に目をやる。
滑り出しがとても自然でびっくりした。年齢とドライビングテクニックの素晴らしさがどうしてもかみ合わなくて、レイエルは助手席で彼を見つめながらしばらく首を捻った。だが、不意に脳裏をよぎった『彼だから』と言う理由は、すべてを納得させてしまうような妙な説得力があって、レイエルはそれ以上考えるのをやめた。
「え?……え、あの、決めていいんですか?」
「あぁ。ネズミのいる夢を売る国でも、お前のイメージにはあわねぇけど絶叫マシンで有名なブルーサンシャインでも。海でも山でも川でも。……もちろん、俺の家でも」
にっこりと笑顔を向けられて、レイエルはびっくりして信号を見た。
赤だ。いつの間に止まったのだろう。
伸びてきた指に頬をくすぐられて、身を捩じらせる。
「ひゃぁっ……え、と。お家、ですか?……それは、また今度にします。今日はお弁当だから、どこか遠出したいです」
彼の自宅に招いてもらえるのは嬉しいが、それならキッチンを借りてその場で作ったものを食べて欲しい。まだ春で気候もいいのだから、どこか外がいいだろう。暑くなってきたら、彼の家でもいいかもしれないが。
「……弁当を理由にお宅訪問を断られたのは初めてかもしれないな。あ、なんでもないこっちの話」
で、どこ?と再び話を戻されて、レイエルは首を傾げた。
「どうしましょう。私、あまりそういうの詳しくなくて」
「俺は……お前と一緒にいられればいいから、場所はどこでもいいんだ」
思案するように目を伏せていたレイエルだったが、彼の言葉に思わず頬を赤らめた。
どうしてこんな風に彼は、いつも嬉しくなるようなことを言ってくれるのだろう。
レイエルは一人っ子で、両親はいつも仕事で忙しかった。遊び相手なんて、子供の足では行けそうもないところに住んでいる同い年の従姉しかいなかった。幼い頃はさほど身体が丈夫でもなかったレイエルは、こうして自分を求めてくれる人がいるというだけで、幸せになれる。
「レイエル?」
「あ、えっと……どうしましょう」
言ってしまえば、レイエルだって彼と一緒にいられれば別にどこでもいい。
距離を埋めてお互いを知り合える、共有した時間があれば、それで十分なのだから。
「しょうがないなー……んじゃ、ちょっと時期じゃねぇけど海でも行くか?あそこなら駐車違反でパクられたりもしねぇだろうし人もいないし金もかかんねぇし二人っきりでゆっくり出来る」
「海……しばらく見てないです」
海へ行っても、波が怖くて入れなかった。
飛沫がきらきら光って綺麗だとは思うが、果ての知れない大きな大きな何かの中に入るのは、レイエルにとってはとても勇気のいることだった。
「……けど、大丈夫か?その服とその靴じゃ、あんまり身動き取れねぇと思うけど。寄り道してサンダルだけでも買ってくか」
疑問形ではなく、すでに決めた響きのある彼の言葉に、レイエルは自分の服装を改めて見直した。
薄水色の布地で作られた半袖のセーラーワンピースは、実用性よりも装飾性の高い可愛らしいデザインになっている。ソールの分厚い革靴は、潮風に晒せばすぐ痛んでしまうだろう。
小さい頃から人形のような、薄布を何枚も重ねた可愛らしい服しか着ていなかったレイエルにとって、これは地味な方だ。リボンとレースとフリルで飾られた服は、まだまだたくさんクローゼットの中に眠っている。
「……嫌いですか?こういう服」
話題に上ると、そういったことが気になりはじめた。学校では制服だ。体格差を考えなければ特におかしなところはないだろう。だが私服になると、彼はいつもごくごく普通のシャツとジーンズで、こんな格好のレイエルが隣に並ぶと、違和感があるかもしれない。ただそばにいられることが嬉しくて、そんなことは考えてもみなかった。
「似合わない女が着てるのは、服にも目にする人間に対しても失礼だが。お前のは十分すぎるほど似合ってるから、気にするな。連れ去ってやりたいくらい可愛いぞ、それ」
それが本心からの言葉かどうかはレイエルには分からなかったが、彼は変わらず、楽しそうに笑っている。どうしようか、とレイエルはほんの少し考えて、シートから少し身体を起こして彼を上目遣いで見上げた。
「じゃあ、連れ去ってくれるんですか?」
言ってしまってから、自分でもその言葉に責任がもてないと気づいた。
彼は『結婚を前提にした』お付き合いを求めているのだ。理由は定かではなかったが、それはまぎれもない事実。だが、すでに音になってしまった言葉が戻るはずもない。
車内は、カーステレオから流れてくるかすかなラジオの音しか聞こえなくなっていた。
「……レイエル」
「はい」
固くなった彼の声音に、レイエルにも緊張が走る。言ってはいけないことを言ってしまったのだろうかと、ほんの少し弱気になった。
「そういうことは、自分が可愛いうちは言うんじゃない。お兄さんはそういう言葉に弱いから、本気にする」
「え……」
「とりあえず拉致監禁に婦女暴行。あ……未成年略取やら色々別の罪状も加わるな……」
かすかな微笑を浮かべていたはずの表情は、酷く硬いものだった。
……本気だ。
「え、え?!あ、あの、ウミエルさん……?」
「だから……そういうセリフは、お前が俺を受け入れる決心がついたときにしてくれ。そうじゃないと、理性がもたない」
「……えっと……はい」
意味はよく分からなかったが、先に並べられた罪状の凶悪な響きや、彼の感情を隠した表情が、すべてを物語っている。少なくとも、あの言葉が本心であることははっきりした。
それ以外は、忘れることにする。
深く考えていると、何かとてつもない大きなものに飲み込まれてしまいそうで、怖かった。
「以後、気をつけます」
神妙な顔でそういうと、ウミエルは笑ってそういう顔も可愛くていいな、と有耶無耶にして気を紛らわせてくれた。




<< text index story top >>
ラブ・ウォーズ! 5月.初めてのデート