ラブ・ウォーズ! 6月.二人の距離
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 ウミエルは、悩まない人間だった。
「珍しいな……お前がそんなに参ってるなんて」
「……ふふっ……まぁな……」
過去形なのは、今現在ウミエルが今まで生きてきた中で最大の問題に直面して、信じられないことに頭を抱えているからだ。
精も根も尽き果てたようにソファへ寝そべって、乾いた笑いを浮かべるウミエルに、血縁上は彼の双子であるソウルがアイスコーヒーを差し出した。
「で?今日は誰が来るって?」
「……むかつくけどあの野郎」
誘ったときのあの心底驚いたような表情が脳裏に浮かんで、すぐさまかき消した。
好き好んで男の顔を思い浮かべるような趣味はない。どうせ出てきてくれるなら、愛しいあの少女がよかった。
 ウミエルが悩んでいるのは、他ならぬ彼女のことだ。
一度出かけると後は簡単なもので、二人きりであちこちへ出かけた。
それは、何の問題もない。むしろ精神的な距離が縮まっている気がして、嬉しかった。
それなのに。
今月に入ってから、どうも彼女の様子がおかしい。
出かけようと誘うたび、翡翠色の瞳に一瞬の迷いを宿す。
話しかけても上の空、以前なら無邪気な笑顔で笑いかけてくれたと言うのに、最近は、何かを隠すような、曖昧な上っ面だけの笑顔が返ってくる。
彼女を嫌いになることはありえないが、それでも彼女の今までにない不自然な態度は気になった。一体何がいけないというのだろう。
触れようとすると、無言の拒否を示して決して近寄らせてくれない。先月の明らかに行き過ぎてしまった行為にはなんともなかったのに、今では肩を抱こうとしても泣き出してしまいそうになる。
彼女はなかなか不満を口に出さない。せめて気に入らないことがあるなら、言って欲しいと思う。他の人間の言葉に耳を貸す気はないが、彼女のためになら変われると、ウミエル自身は思っている。実際……幾分かは変わったのだ。一緒に暮らしているソウルに、何があったんだと不思議そうな顔で問い質される程度には。
「……レイエルー」
ソファに突っ伏したまま、彼女の名を呼んでみた。
……ただ、虚しくなっただけだった。そして。
「おーい来てやったぞーところであの女を食い物にしてたプレイボーイどころか女の敵の権化みたいな性欲の塊がプラトニックな関係しかない女に骨抜きにされたってのはホントか!」
「……そのよく回る舌、引き抜かれたいか?」
呼び出したくはなかったが、呼び出さざるを得ない。どかどかと騒々しい足音を立ててリビングに入ってきたのは、喧嘩相手としか言いようのない同級生だ。同じ容姿を持ったソウルは信じられないくらい硬派で役に立たない。ウミエル並の恋愛経験を持った人間なんて、その辺には転がっていないのだから。
アーサーは伸びかけた髪を梅雨の蒸し暑さのせいか後ろで一つに結い上げていた。
ソファに長々と横たわっているウミエルの前に、さも当然のように腰を下ろしたアーサーの感情は、言葉でなくてもその表情だけで手に取るように分かる。
今であれば、ざまぁ見やがれいい気味だ、といったところか。
「……ウミエル、ペンチは家にはないぞ。あるとしたら、ドライバーくらいだ」
氷を浮かべたアイスコーヒーのグラスを二つ、おそらくアーサーとソウル自身の分なのだろうが、それを持ってリビングへ戻ってきたソウルの言葉に、ウミエルは失笑を漏らした。
「ちょっと待てソウルっお前までこいつの味方かよっ?!」
不満をありありと顔に浮かべて、視線どころか顔も合わせようとせずに人差し指を突きつけてくるその態度は、ウミエルの怒りを煽るだけだ。不自然な体勢のせいか、目の前でかすかに震えるその指を、ウミエルは妙な角度へ曲げてやった。
「ぎゃー何しやがる痛ぇだろうが!」
すぐさま振り払われて、その弾みにこきんと関節が軽やかな音を立てたが、そんなことをいちいち気にしてやらなければならない相手でもない。大騒ぎするアーサーを無視して、ウミエルは再びソファに顔を伏せた。
「……で?俺、結局何のためにこんなとこまで呼び出されたワケ?アイスコーヒー飲みに来たんじゃねぇんだけど」
勝ち誇った表情を浮かべているだろうアーサーの顔を見るのは、憎らしい。
ウミエルは顔を伏せ、感情を悟られないよう普段通りを装った。
「……レイエルが最近余所余所しい」
「だから?」
そんなもん気持ちひとつだからな、と彼女を持つアーサーは余裕ぶって答えてくる。
それが歯がゆくて、ウミエルは思わず身体を引き起こして力説した。
「っ変だと思わないか?!ここんところ、妙に素っ気無くておかしいなとは思ってたんだ、それが……一緒に出かけようっつっても前とは反応が違うし、後ろめたい気持ちを一抱えくらいしか持ってないささやかなスキンシップさえ出来ないんだぞ?!」
「……ささやかなスキンシップに後ろめたい気持ちを一抱えも持つなよ」
半眼で睨んでくるアーサーの言葉は的を射ているかも知れないが、アーサーはアーサーで、自分は自分だ。
「うるさい」
切って捨てたが、他に頼る道がないのも事実。
……金輪際頼りたくない相手であろうとも。
「もう少し具体的に説明しろ。違うったって……つーか、お前今までどんな恋愛してきたわけ?」
言われて初めて、ウミエルは彼女を今までの女と比べていたことに気がついた。
「どんなって……普通、だと思うんだが」
思うが……少なくとも、恋愛、と言うほどの美しい感情は自分の中になかった。
ただ、声をかけられて、自分の相手が出来そうであればそれなりに付き合ってきただけで。
その過程で、なぜか相手は『自分の魅力で彼を捕まえた』などとわざわざ公衆の面前で豪語したものだが、ウミエルはそんな、冗談にもならないような言葉は気にも留めなかった。所詮、何となく付き合ってやっている相手だ。簡単に相手の言動が変わらないのは、誰に対しても決して態度を変えなかったウミエルが一番よく知っていた。
これまで付き合ってきた相手は、何よりもまずウミエルを優先していたし、それが出来ない相手とは、付き合ってもすぐに別れた。どこへ行くにも、何をするにも大抵は受身で、自分から誘うことはほとんど、むしろ皆無に近かった気がする。
たまに気が向いたときこちらから触れれば、それだけで相手は喜んだ。
そしてそのうち、お互いの距離や、相手の存在を煩わしいと思ったら、その場で即座に関係を終わらせてきたものだ。
自分の思い通りにならない関係に出会ったことのなかったウミエルにとって、交際というものはとてもつまらないものだった。
しかし、彼女は違う。
普段からいつも一歩下がったところにいて、決してでしゃばらない。
この関係を始めたいのはウミエルだ、声をかけられた側である彼女が、今までの自分のように受身になるのは当たり前かも知れない。だが、最近の彼女の態度は、受身というよりも、逃げ腰と言った方が正しい気もする。
それまでなら、そんな彼女の態度にいい加減愛想を尽かして諦めていただろう。しかし、彼女は……レイエルは、特別だ。何がどうして、と言われても説明は出来ないが、何としてでも手に入れたいと……もちろん身体もだが、彼女の気持ちをも捕らえておきたい、そばにおきたいではなく、そばにいて欲しいと思ったのだ。
冷たい態度をとられても、思い通りにならなくても、一生をかけて彼女を追い続けるだろう。
それなのに。
心から彼女を大切にしているのに。
こんなにも、溢れるほどの愛情を注いでいるというのに。
レイエルはその分、どんどん離れていく。泣き言のひとつも言いたくなる。
「……俺が何をしたって言うんだー」
「お前のすべてが悪いんじゃないか」
妙にはっきりと言い切られて、それがウミエルの癇に障る。
「あぁ?」
どうせまた面白がって煽るのだろうと、ウミエルはアーサーを睨みつけた。
だが、迎えられた視線にはそんな感情は見当たらない。ただ、諦めと憐れみの色が見えた。
「……何だよ」
「いや、まぁ、お前みたいに外見いいと、そういうの仕方ないのかもなぁって思った」
当たり前っちゃ当たり前だよ、と半ば説明を放棄したような言い草に、ウミエルは訝しげな表情で首を傾げる。
「だからさ。お前、自分の見た目分かってるだろ?それに女が寄ってくるのも知ってる。けど、だから引いてく女もいるんだってこと、覚えとけよ」
「……悪い、よく分からない」
「物分りの悪い奴だな、いいか?女は綺麗なものが好きだが、自分が綺麗だと知っているのはごく一部だ。思い込んでる奴は結構いるが、そういうのは大抵、綺麗、なんて言葉からはかけ離れてるから、お前の眼中にはないだろ。きっとお前がご執心の子は、それとは正反対。誰が見ても綺麗で可愛いのに、そういうのを武器にすることを知らないんだ。純粋すぎて、自分がどれだけ魅力的なのか知らない」
確かに、その通りだ。レイエルはどれだけ褒めても、決してつけ上がらない。恥ずかしそうにゆったりと微笑んで、私にはもったいない言葉です、と言う。
それが作ったものではなく、明らかに本心だというのが分かるくらいだ、彼女は自身の魅力を知らないのだろう。
「だから、そういう奥ゆかしい子はな、自分にはお前を引き止めておくほどの魅力はないって思うんだ。誰でもたらしこむような魅力持ってるお前を、好きにならないように必死で抑える。いずれお前の気持ちが薄れて、別の女のところへいくだろうって思ってるから、絶対にうんとは言わない。……今までみたいに簡単にはいかないぞ」
空けられたグラスの中で、氷だけが残り、ゆるゆると解け、水へと戻っていく。
アーサーは手の中のそれを凝視したまま、溜め息混じりに言葉を吐き出した。
「お前がその子のことを大事にする気があっても、それを本人に分からせてやらない限りは一生今のままだ。諦めたほうがいいんじゃないか?お前には無理だろ」
ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまったアーサーを、ウミエルはまじまじと眺めた。
「……お前、何でそんなの分かるんだ」
ウミエルの普段見せない表情が嬉しかったのか、アーサーはふふんと自慢げに笑う。
「馬鹿。クラスメイトって関係を舐めるなよ。俺の大事なディオネとお前の可愛い可愛いお姫様は、同じクラスなんだ」
「……初耳だ」
そんなところで人物相関図が新しく出来上がっていたとは思いもしなかった。
だが、その相関図のつながりでアーサーが彼女の思い悩んでいたことを知っていたのは、嬉しい誤算だ。
そんな風にレイエルに思われていたことも、複雑ではあるが、嬉しい。
「あいつ……自分ではあんまり思ってること言わないからなぁ」
「悩みの種である張本人に、思ってること面と向かって言うような女は奥ゆかしいとは言わない」
それもそうだな、と納得して頷くと、アーサーは溜め息をついて立ち上がった。
「アホらしい。俺はもう帰る。用もないだろ」
ソウルにグラスを渡したアーサーは、そう言ってウミエルに背を向けた。
が、何かを思い出したように振り返って、にこりと、胡散臭い爽やかさで微笑んだ。
「ひとつ貸しだぞ?」
「……」
あぁ楽しみ、何で返して貰おうかなぁなどとわざわざ声に出してリビングを後にするアーサーの後頭部に、ウミエルは手元にあったクッションを力いっぱい投げつけてやった。
クリーンヒットしたそれに腹を立てたのか、鬼の形相で引き返してくるアーサーとの低レベルな追いかけっこが始まったのは、言うまでもない。




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