ラブ・ウォーズ! 8月.真夏日のすごし方
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 ウミエルに、弱点はない。
あるとすればそれは、一月前にようやく『堂々と公表しても怒られない恋人同士』になった愛しい彼女くらいだろうか。
それなら今までの関係はなんだったのかというと、『堂々と公表したら怒られるが、すでに言いふらして回った後の恋人未満』が最もしっくり来る。
 夏祭り以降、周囲の人間が『見るに耐えない』と不満をこぼすほどの溺愛振りを見せつけていたウミエルだったが、レイエル本人から直々に「あんまり目立つことはしないでくださいね」と念を押され、仕方なくその愛情を押さえ込んだ。
だが、人がいる部分では押さえ込んでいる愛情の何割かを、二人きりであれば表に出してもいいわけで。

「だからってこんなことしていいなんて誰も言わないじゃないですかっ!!」
「気にするなって。座椅子か何かだと思ってくれればいい。座り心地、悪いか?」
「え?いえ、そんなことないです、気持ちいい……って違うでしょうっ!!そういう問題じゃなくって!!」
決死の反論……なのだろうがそうは見えない可愛らしい怒り方だ……を試みるレイエルに、笑顔を向けた。彼女以外の人間を相手にしていたときのようにわざわざ作らなくとも、感情が表情となって、心の底からあふれ出してくる。それを隠す必要はない。
ソウルが所用で出払った後の、まさしく二人っきりとしか言えない自宅マンションの一室であれば。
「映画は、こんな風に見るものじゃありませんっ」
 夏祭り以降……特に夏休みに入ってからは、日中の生半可なものではない暑さに辟易して、室内に留まることが多くなった。
レイエルはすでにこの部屋に来る道のりにも慣れたらしく、時折「近くまで来たので、せっかくですから」と恥ずかしそうに笑いながら突然訪ねてきたりする。
会えるものならいつでも、いくらでも一緒にいたいと思うウミエルにとって、そんなレイエルの態度はとても嬉しい。つい長く引き止め、車を出したことも何度となくある。
 今日も、そんないつもと同じ日だ。違うことといえば、今日はレイエルが朝からやってきて、食事を作ってくれたことくらいか。彼女のオリジナルレシピだという冷製パスタは、その辺のシェフより美味かったとウミエルは思う。
食事の片付けも済ませ、さて何をするかという話になったところ、レイエルがおもむろに鞄から一枚のDVDを取り出したのだ。
見ようと思ってたものなんですけど、ここで見てもいいですか、と。
 リビングに敷いてある毛足の長いラグの上に、レイエルがちょこんと座っている。それを横目に見ながら、ウミエルはデッキにそれをセットして、再生ボタンを押す。手持ち無沙汰なのか、ソファに乗せてあったクッションの一つを抱きかかえている。この感じだと、普段もぬいぐるみか何かを抱えて見ているのかもしれない。想像するだけでも微笑ましい。
妙に真剣な目で、まだ真っ暗なままの画面を見つめているレイエルに、悪戯心が疼く。
小さな身体が大きなクッションを抱えている。その背中に回って、腰を下ろした。用心深く近づいて、一気に、その身体を引き寄せる。
「っきゃあ!!」
そして、今に至るわけだ。
 今にも泣き出しそうな表情で、じたばたとささやかな抵抗を試みるレイエルの初々しさは、きっと何年経っても……結婚にこぎつけようとも、変わらないだろう。
「レイエル。俺が素直に映画でも見るか、って言ってる間に、大人しくしといた方がいいぞ。俺は自己中だから、お前が嫌がるのは映画を見たくないからだって、都合のいいように考えるから。ベッドに直行だな」
彼女の背中に覆いかぶさるように、その身体を背中から抱き寄せる。腕の中に、すっぽりと包み込んでしまえる小さな身体。
レイエルは全体的に華奢で、骨格自体が小作りな感がある。しかし年齢相応の女であることを主張するように、身体の曲線は見事なまでの優美さを備えている。男なら、思わず触りたくなるような……。
いや、だからというわけではない。彼女だから。
レイエルだから触れたい、そう思う。
「それはっ、えっとあの、その、困ります……!でも、でも……いえ、もういいです」
レイエルはしばらく、抱えたクッションを上げ下げしたり、あたふたと両手をばたつかせたりしていたが、ウミエルが知らぬ存ぜぬを通す上、デッキにセットしたDVDのオープニングが画面上に現れたため、仕方なく、といった風に膨れっ面でそちらに目をやった。ゆっくりと、彼女の重みが預けられる。
どうやら、諦めたらしい。
間近にある彼女の柔らかな栗色の髪に、頬を寄せた。
彼女に似合いの、甘く華やかな香りが、鼻孔をくすぐる。
それもまたほのかで、愛しくて……抱き締める腕に、力がこもった。

 彼女は割合映画を好んで見る方らしく、時折最新映画が話題に上る。
それなのに、映画を見に行こうと誘われたことは一度もない。不思議に思って理由を訊ねたところ、映画館の大きなスクリーンが苦手らしい。
臨場感は確かにあるのだが、そのせいで疲れすぎてしまうのだと言う。
神経質なんです、と苦笑する彼女に、敏感なのはいいことだぞ、と答えて不思議そうな顔をされた。
そんな彼女は、レンタルショップのDVDを借りてきては、休日に鑑賞するそうだ。
思わず誰かと一緒なのかと問いただしたのだが、彼女は自分の気持ちなど露ほども知らず、映画は一人で見るほうが多いんですと、無邪気に笑っていた。ついでに、感情移入しすぎて、大泣きした経験もある、ということもこっそり打ち明けてくれた。
それ故、彼女が映画好きなのはすでに知っていた。
だが、知っていたからといって現状に納得できるほど、ウミエルは崇高な人間ではない。
自分に背を向け、こうして腕の中に抱き締めていても、頬を赤らめることもなく画面を食い入るように見つめているその様子は、非常に不満だ。
普段の態度がなまじ露骨なまでのリアクションを伴うため、それに慣らされてしまったのだろうか。
映画は映画、ウミエルさんはウミエルさんです、と彼女は言うのだろうけれど。
それがたとえば映画の中にいる、役者であったとしても。
性別に関わらず、愛しい少女の視線を自分以上に惹きつける存在があるのは、憎らしい。
電源を切ってしまおうか、と少し手を伸ばせば届く位置にあるリモコンを求め、レイエルの胴へ回した腕をほどこうかと一瞬思い。
いや……それならば気を引けばいいのか、とウミエルは思い直す。
彼女が、映画の世界に入り込んでいようとも、そのうちのいくばくかを自分の元に引き止めてやればいい。
さすがにすべてをこちらに向けさせては、彼女がいくら寛大でも、許してくれるかどうかは微妙だ。だから、ほんの少しだけ。
小さなきっかけを与えてやれば、それでいい。
 抱き締めた腕を緩める。
そっと、けれどきちんと彼女が分かるように、気を配って。
手の平に触れていた温度が遠ざかる。原因を作っているのは自分なのに、それを妙に心細く思った。本当ならもっと触れていたいのだが、それはきちんと自分を意識してくれているときのほうが楽しいし、充実感がある。
だが、徐々に触れた部分を減らしていくうち気づくだろうと思っていた彼女の身体は、相変わらずこちらに体重を預けたままだ。
画面を見上げれば、時間的にも場面的にも、最も盛り上がっているだろう部分。
そこまで、引き込まれているのだろうか。
重いと言うにはあまりにも心細い小さな重みは、離れようとする自分についてくる。
さてどうしたものか、とウミエルは考え……思い切って、身体を半身分、後ろへ下がらせた。相変わらず、こちらに身体を任せきりにしていたらしく……彼女の身体は、なくした背もたれを求めてさらに後ろへ。栗色の髪がふわりと重力に逆らって舞い上がり、重心を移動し損ねた身体が傾ぐ様を、ウミエルはコマ送りで見た。
「え……っひゃあ!」
何やら情けない声を上げて、可愛らしい少女が、こちらの胡坐をかいた足の上へと倒れこんできた。
本当に、自分に任せきっていたらしい。その気持ちは嬉しいが、それだけ無防備にこの魅惑的な肢体を任せられるのも、困りものだ。
何かあるごとにこうして、ちょっかいを出してやろうと心に決めてしまう程度には。
倒れこんできた少女は、何が起こったのかとしばし目を瞬いていたが、状況を理解したのか、真っ赤にした頬を膨らませて可愛らしい抗議の声を投げてきた。
「っや……う、ウミエルさん!」
押し倒したら、こんな感じなのだろうか。
白い喉が、チャイナカラーのパステルブルーによく映える。立てた膝のせいで、柔らかな素材で出来たスカートが滑り落ち、付け根近くまで露出していることに、気づいているだろうか?
こんな風に無防備になられるのは、それなりにまずい気もする。
「レイエル、大丈夫か?あはは可愛いな、こんなアングル初めてだ」
「だ、大丈夫か、って……ウミエルさんのせいじゃないですか!」
座椅子でいいから、と満面の笑みで納得させたものの、今のこの態度ではちっとも説得力がないなとウミエルは苦笑した。
真上から彼女を見つめるのは、初めてで。
彼女から返ってくる視線が、真っ直ぐにこちらを見つめて、それが逸らされないのも、もしかすると初めてかもしれない。次第に彼女の頬が赤らんでいくのを、じっと見つめる。
どうして、こんなに愛しいのだろう。
いくら考えても結論の出ないだろう問いかけに、ウミエルは苦笑した。
出来るならば、そのクッションよりも自分を抱いて欲しいと、思う気持ちもどうしようもない。
「酷い……!ウミエルさんだから大丈夫だって、すごく集中して見てたんですよ?びっくりするじゃないですか!」
膨れっ面のまま、可愛らしく怒って見せる彼女に、残念なことだが罪悪感は抱かない。
むしろ、もっと色々試してみたいと……そう思う。
「いや、その信頼を裏切るようで悪いんだが……俺はやっぱり、お前の視線も全部、独り占めしたいと思うから。映画鑑賞は、別に悪いことじゃないんだろうけど。お前が俺のこと、全然気にしないでそっちにばかり集中してると思うと、悔しくてな」
嫌だったか?と首を傾げて問いかけた拍子に、肩から髪が滑り落ちた。緩く波打っているそれは、ふわりとレイエルの肩口へ落ちる。
「……酷い。そんな風に言われたら、怒れないです」
拗ねたような表情で見上げてくるレイエルの瞳は、諦めとほんの少しの好奇心を混ぜた可愛らしい感情を秘めているような気がする。
ゆっくりとこちらに向かって伸ばされる指は、ウミエルの頬ではなく、肩から落ちる髪が目的のようだ。
ノースリーブのチャイナシャツを着て、むき出しになっているレイエルの肩まででは収まりきらない長い一房は、そこをくすぐるように流れ、ラグのベージュの毛の中でかすかに輝いた。これも、なにやら色々想像するに十分な要素だ。
本能を揺り動かすような、緩やかなもの。きっとこれが、そそられる、とかそういった感情なのだろうと、ウミエルは一人で納得。だが、それよりも。
彼女の悲鳴があがるだろうことを知っていて、ウミエルはそれを口にする。
「ついでに、こう、この状態で見せられる生足には色々と嬉しかったり不都合があったりで大変なんだが」




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