ラブ・ウォーズ! 4月.出会いは衝撃的で
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 うららかなある春の日。
海外を行き来するスーツ姿の男性が多く見られる某空港に、若い一人の男が降り立った。黒に近い濃いグレーのサングラスをかけ、身に纏うのはどこにでも売っていそうなTシャツとカーゴパンツ。忙しなく出て行くスーツの背中が途絶え、人の姿もまばらになってから、手荷物もなく身ひとつで旅客機を後にする青年の姿を、女性添乗員一同は溢れんばかりの好奇心を湛えた笑顔で見送った。
彼はそんな添乗員の様子に見向きもせず、ゆったりしたペースで足を進める。

 日本人離れした優美な肉体は、ややルーズな服越しにもそれを悟らせる。完璧な計算で配置されたような整った顔立ち、その縁を彩るのは染めたものや脱色とは違う、天然の輝きを放つ木漏れ日のように淡い金の髪。光の粉を振り撒きながら揺れる髪は、絹糸のように細く軽やかに踊る。
その隙間からは、切れ長の澄んだ蒼い瞳が覗いていた。周囲のどよめきを気にも留めず颯爽と歩く彼の姿は、すれ違う誰もが振り返って見送るほどのカリスマ性を感じさせる。
彼の職業は何だと思うか、と問いかけられれば、10人に9人は芸能人かモデルと答えるだろう。均整の取れた長身と美貌は、目立つ髪形と色を除いたとしても十二分に目立つ。彼がすでに目の前から過ぎ去ってしまったというのに、その場に居合わせた人間の視線は、誰もが彼の後姿と揺れる金の髪を追いかけた。
 だが、彼はやはりそれらには一瞥もくれずに、ただ真っ直ぐにエントランスを目指して歩いていた。目立つことなどいまさら特別でもなんでもなかったし、彼にとっては他者の視線など、歯牙にかける価値さえないものだったのだから。
 空港のエントランスに立った彼は、しばらく空を見上げたまま立ち尽くし……ポケットから携帯電話を取り出した。
慣れた調子でそれを操作し、どこかに電話をかけ、二言三言で通話の終わったそれをまた元のポケットに納める。……たったそれだけのことだというのに、その一連の動作はまるで一種の芸術のようにも見えた。
彼は目の前に停車していた客を待つタクシーの窓をノックし、それに乗り込む。ルームミラー越しに視線を交わした運転手へ言葉少なに場所を指定して、どことなく居心地の悪いシートに日本人離れしたその身を預けた。


 まだ幼さの残る愛らしい少女が、駅の切符売り場に立ち尽くしていた。
じっと料金表示を見つめ、考え込んでいる。
大きな翡翠色の瞳はきらきらと輝き、何かを探すようにゆっくりと瞬きを繰り返す。つばの広い白の帽子の下からは栗色の髪が流れ、華奢な身体を包む衣装も白のサンドレスだ。深窓の令嬢を絵に描いたようなその少女からは、洗練された上品な雰囲気が読み取れる。ふわりと広がったスカートもあいまって、可憐な立ち姿は高級洋菓子店で丁寧にデコレーションされたケーキのように見えた。童話の中から抜け出してきたような現実離れした彼女の空気に、せわしない駅を行き交う人々はその姿を視界に捉えながらも声をかけられなかった。
10分もそうしていただろうか。
彼女がそうしているのを同じように10分近くじっと見つめていた青年は、ふむ、と小さく息を吐いてサングラスをはずすと、いまだ販売機の前で立ち尽くしている少女に向かって足を踏み出した。
近づいてみて、少女の小柄な身体はますます小さく見えた。青年の胸辺りまでしかなさそうな華奢な身体は、彼のささやかな悪戯心を疼かせる。
真後ろに立って、手を伸ばす。販売機へ手をついて、上から見下ろすように声をかけた。
「何かお困りですか、お嬢さん」
「ひゃっ」
少女は小さな悲鳴を上げて、ぴくんっ、と兎のように肩を震わせた。それからゆっくりと後ろを振り返る。
向けられた視線の位置は、目を合わせられる高さではなかった。彼女の視界に入ったのは、おそらく首筋までだろう。思わず笑いがこみ上げる。
予想した位置に頭がなかったことに驚いたのか、少女がはじかれるように顔を上向けた。
二人の視線が絡む。
丸い輪郭を描く頬に、あどけない表情、白い肌に栗色の髪と翡翠色の瞳はよく映えた。
間近に目にするにはやや有害なその美貌に、青年が小さく感嘆の声を上げる。
少女も青年の美貌に驚いたらしく、言葉もなくじっと彼を見つめていた。
そんな二人を、駅の構内を絶え間なく行き過ぎる人誰もが振り返り、その姿を目の端に捉えていく。なんでもない駅の切符売り場の前だというのに、二人のいる空間だけが別世界のように見えた。
 しかし、次の瞬間には青年は自分を取り戻し、少女へと問いかける。
「……どこに行くんだ?言ってみろ」
「あ……」
「あんなに考え込んでたんだから、どうせ分からないんだろ?」
そう言いながら、青年は手早くコインを投入口に流し込んだ。遠目には販売機に手をついた彼が、少女に覆い被さっているように見えるだろう。人によっては二人を恋人同士かと勘違いしたかもしれない。だが、現実に二人の身体が触れることはなく、少女が青年の作り出す影にすっぽりと入っているだけだ。
あまりにも急な展開に呆然としていた少女は、小さな音にはっと目を瞬く。
ピッ、と電子音が鳴って、いくつかの料金区間にランプが点った。
それを物珍しげにじっと見つめている少女は、まだ一言も言葉らしい言葉を発していない。不思議に思った青年は、文字通り上から彼女に声をかける。
「ん?……もしかして日本語喋れないのか?Can you speak…」
そういえば、彼女の身体はどこをとっても生粋の日本人とは思えない色彩だ。米国帰りで雑多な色彩を見慣れていた青年は、慣れた調子で英語へと切り替える。少女は小さく微笑んで、首を振った。唇が開く。
「だ、大丈夫です、喋れます。ごめんなさい」
鈴が転がるように、軽やかで愛らしい、その顔に見合った声音。
「……そうか。で?どこに行くんだ?」
少女の謝罪を軽く流して、青年はさっさとボタンを押し、自分の目当ての切符を買った。
「えっと……茅台、です」
「なんだ、同じところか。……それじゃ、そこまで一緒に行くか?」
意外そうに目を瞬いて、青年は薄く微笑む。
それを捉えた少女は、心底ほっとしたように青年に向かって可愛らしく笑った。
「はい。ご一緒させてください」
彼は真っ直ぐに向けられた少女の笑顔を見つめて、そのまま沈黙する。
見つめ合った時間はほんの一瞬だ。次の瞬間には少女の視線が離れ、衣服にそぐわない大きな生成りのトートバックへ移る。それと同時に我に返った青年は、何かを取り繕うように顔を上げ、表情を改めた。
胸に芽生えたものは、まだ形を成していない。

 「あの、本当にありがとうございました。切符どころか、行きがけまでお世話になってしまって。えっと……よろしければお名前をお聞かせいただけますか?何かお礼をさせてください」
ホームで電車が入ってくるのを待ちながら、青年はどう答えるかと苦笑する。
それを少女はどう取ったのか、きょとんと目を瞬いてから、軽く両手を合わせて微笑んだ。
「……あ、ごめんなさい。人にお名前を尋ねるときは自分から、でしたね。私は、レイエルと申します」
ぺこり、と頭を下げた少女……レイエルの肩から、柔らかそうな髪がさらさらと零れ落ちる。
「いや、別にそういう意味ではなかったんだが……まぁ、いいか。俺の名は、ウミエル」
「……ウミエル、さん。綺麗なお名前ですね」
そっと顔を上げたレイエルは、ウミエルに向かってにっこりと微笑んだ。
邪気のない、純真無垢な笑顔。
つられるように、ウミエルも薄い微笑みを返す。
「実は、電車、初めてなんです。切符も買ったことがなかったし、駅にも来たことがなくて」
緊張した面持ちで呟くレイエルに、彼は目を瞬いた。
「初めて?一度も乗ったことないのか?」
「ないです。怖くないですか?」
不安を隠しきれない様子で問いかけてくるその表情を見て、ウミエルは思案顔で口を開く。
「怖くはないが……少し揺れるな。まぁ、座れなければ俺にでも掴まってればいい。……吊り革、届かなさそうだもんな……」
第一印象が、深窓の令嬢だったのだ。電車に乗った経験がないというのも、何となく納得できる。
ちなみに、誰にともなく呟いた彼の予想は、もちろん外れなかった。
 目的地である茅台までは、5分ほどでつく。
その間に3つの駅を通過したが、レイエルは一駅目に到着した時点ですでにウミエルに縋りついていた。
「……新学期から電車通学になるかもしれないんです」
「やめとけ。それだけは絶対やめとけ」
心細げな彼女の言葉に、ウミエルは容赦しなかった。
彼女が電車通学などしようものなら、朝のラッシュに押しつぶされてしまうかもしれない。それどころか、電車に乗り込むことも叶わず遅刻してしまいそうだ。
運良く乗れたとしても、下車駅で降りられない、違う駅で押し出される、不埒な輩の犠牲になる……などとても無事で済みそうにない。
「やっぱり寮に入った方がいいのかなぁ……」
「ぜひそうしてくれ」
また電車がぐらりと揺れた。小さな悲鳴を上げて彼にしがみつくレイエルは、どう考えても今年から中学生、もしくは2年生だ。ウミエルは胸にある落ち着かない感情を精一杯で見ないことにして、その小さな身体を支えてやった。
目的の駅は、目前に迫っている。

 「で?どこに行くんだ?」
「えっ?」
駅の構内を抜けると、高い位置に昇った太陽に照らし出された。春にしては強い日差しが、鋭く目を焼く。
手馴れた仕草で胸ポケットに入っていたサングラスをかけた彼の言葉に、レイエルはぱちぱちと目を瞬いてしばらく考え込み、すぐに力いっぱい首を振った。
「……そっ、そんな、そこまでお世話になるわけには行きません!!大丈夫です、た、多分……」
尻すぼみになっていく声にあわせたように、小さな身体を更に縮めるレイエルの姿は、妙に罪悪感を煽った。ざわめく胸の内を必死に隠し、サングラスの向こうからやや引きつった笑みを浮かべたウミエルは、小さく息を吐き出す。
「いいから。その分たっぷり礼をはずんでくれ。……実は約束の時間はまだ先でな、暇を持て余してるところなんだ」
彼にしては珍しく嘘偽りない言葉だった。だが、出会ったばかりのこの少女がそんなことを知る由もない。疑うことなど知らないような純真な瞳が、真っ直ぐにウミエルを見つめる。
「……ご好意に甘えさせていただいて、よろしいんでしょうか?」
「あぁ。この辺は寄る場所なんてないからな……」
きらきらと輝く瞳に自分が映っている様を見るのは、とても複雑な気分だった。
腹の中で暴れる大きな羽虫を強引に押さえつけるような。
両腕につけられた重石に苛立ちを感じるような。
言葉で言い表すのは難しい、微妙な疼き。
よろしくお願いいたします、そう言って深々と頭を下げる少女に、普通なら抱くはずもない感情を持っているだろう自分に、ウミエルは嫌悪の吐息を吐き出した。




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